第二十六話 優しい人(二)
「私とですか?」
驚く志乃に、谷崎はこくりとうなずいた。
「えぇ。もう一度確認したかったのです。あなたと斎宮司殿との関係を……」
「え……」
谷崎の言葉に、志乃は目を見開くと、固まったように動けなくなる。
谷崎はそんな志乃の瞳をまっすぐに見つめた。
「軍楽隊の演奏会の日、僕はあなたが斎宮司殿の奥様なのだと思いました。でもずっと、あの日のあなたの様子が、気になっていたのです」
谷崎の声に志乃は小さく下を向く。
谷崎が志乃と花奏の関係に違和感をもつのは当然だろう。
それもそのはず、だってあの日、志乃は初めて死神の正体が斎宮司花奏だったと知ったのだから。
谷崎はそのまま言葉を続ける。
「先程、父にも聞いたのですが、やはりまだわからないのです。あなたと斎宮司殿は、どういった関係なのでしょうか……? 奥様ではないのですか? そうなのであれば、僕は……」
そこまで言った谷崎は、志乃の顔を見てはっと口をつぐむ。
志乃の瞳はみるみる涙で満ちてきていたのだ。
「す、すみません。もしかして、僕は何か大変失礼なことを……?」
谷崎は慌てた様子で志乃に謝ると、心配したように眉を下げた。
「い、いえ。なんでもありません。どうしたんでしょう……勝手に涙が……」
志乃はそう言うと、慌てて手袋をはめた手で目頭を押さえる。
それでも、溢れる涙を抑えようとすればするほど、とめどなく流れる涙の雫は、バルコニーの上へとこぼれていった。
「志乃さん……」
すると、肩を震わせる志乃の前に、谷崎が優しい顔を覗き込ませた。
「今度、うちに遊びに来ませんか? 唯子もあぁ言っておりましたし、気晴らしにもなるでしょうから」
「でも……」
「唯子はあなたに、お礼がしたいのだと思います。斎宮司殿にも、僕から話してみましょう」
谷崎は志乃の前に笑顔を見せる。
谷崎はきっと志乃を気づかって、こう言ってくれているのだろう。
でも、その気持ちに甘えてしまってよいのだろうか。
志乃の頭に花奏の顔が浮かぶ。
――旦那様。私はあなたにとって、どのような存在なのでしょうか……。
それから志乃は、固く口を閉ざし、ただその場にじっと立ち尽くしてしまった。
◆
花奏は重い扉を押し開けると、静かな廊下へと出て辺りを見渡した。
志乃が会場の外へ出てからしばらく経つが、こちらに戻った様子はない。
――てっきり椅子にでも腰かけて、休んでいると思ったが……。
志乃を心配した花奏は、もう一度左右を見渡していたが、廊下の奥の突き当りを見て、はっと息を止める。
そこには建物の外へ出る窓が用意されており、その先のバルコニーに佇む志乃の姿を見つけたのだ。
志乃は誰かとほほ笑み合いながら話をしている。
じっと目をこらした花奏は、その相手を見て小さく息をのんだ。
「谷崎殿……」
そうつぶやいた花奏は、自分が無意識に拳を握り締めていたことに気がつく。
花奏ははっとすると、バルコニーにくるりと背を向け再び会場の中へと戻った。
会場の中をまっすぐ進みながら、花奏は自分に言い聞かせる。
――こうなることは、わかっていたはずではないか。
あえて谷崎の父親に、志乃を“身内”だと紹介したのは、他でもない自分だ。
それなのに……。
この胸をえぐられたような息苦しさは何なのだろう。
「花奏?」
田所が不思議そうに花奏の顔を見ている。
花奏は何も答えずに、ただじっと真っ暗な夜に染められた窓の外に目を向け続けた。




