第二十四話 英国の友人(二)
「カナデ!」
大きな声に振りかえると、手を広げた大柄の男性が、こちらに寄ってくるのが見える。
男性は花奏の前に来ると、突然花奏の背に手を回し、がっちりと抱きしめた。
志乃はその西欧風な挨拶に、ドキリとして目を丸くてしまう。
「エドワード」
すると花奏も珍しく大きな声を出し、男性の挨拶に応えている。
――旦那様が、あんなお顔をされるなんて。ご友人様なのかしら?
志乃は、普段は表情を出さない花奏の、あまりにくだけた様子に驚くと、外国語で会話をしている二人をしばし見つめていた。
エドワードと呼ばれた男性は、背は花奏よりも高く、髪は柔らかな黄金色をしている。
そして先を見据えるような青い瞳に、力強さを感じた。
するとしばらくして、花奏と一通り話し終えたのか、エドワードが急にチラリとこちらを見たので、志乃はばっちりと目が合ってしまった。
「オォ、アナタガ、シノデスネ。トテモ、ウツクシイデス」
突然のエドワードの言葉に、志乃は思わず「ひゃっ」と飛び上がってしまう。
面と向かって“美しい”と言われるなど、そんな経験は今までしたことがない。
ドキドキと上目遣いで伺う志乃に、エドワードは何も気にしない様子で、にこにことほほ笑んでいる。
西欧の人にとっては、これも挨拶の一つなのかも知れない。
すると顔を真っ赤にしてドギマギする志乃の様子に、くすりと肩を揺らした花奏が、耳元で小さく声を出した。
「エドワードは、英国で貿易の仕事をしている、俺の親しい友人の一人なのだ。志乃の事も話している」
「わ、私の事を……?」
志乃は驚くと、花奏に小さく聞き返した。
花奏は自分のことを、なんと紹介したのだろう。
そんなことが頭をよぎり、志乃の心がチクリと反応してしまう。
やはり先程のように、自分の身内だと言ったのだろうか?
その時、モヤモヤと考え出した志乃の耳に、どこかで知っている旋律が響いてきた。
会場の前方に目を向けると、サロン音楽を奏でているのは、ピアノや弦楽器などの奏者たちだ。
会場にいる人々も、その柔らかな旋律が響き出すと、うっとりとするように音楽に聴き入り、会場内はまるでコンサートホールへと化したように静かになった。
このメロディは、以前にも聴いたことがあるような気がする。
すると懸命に記憶を辿っていた志乃の横で、エドワードが「オォ」と歓声を上げた。
「ワタシノ、フルサトノキョク」
エドワードはそう言うと、再び静かに目を閉じて演奏に耳を澄ます。
切なくも美しい旋律にもう一度耳を傾けていた志乃は、しばらく聴き入った後「あっ」と声を上げた。
この曲は、軍楽隊の演奏会で聞いた曲だと思い出したのだ。
あの時、曲名を聞いた志乃に、五木は“外国の民謡”と言っていた。
「旦那様。私、この曲を知っています。軍楽隊の演奏会で初めて聴いて、とても懐かしい感じがする曲だったので、良く覚えているのです」
志乃が花奏を見上げて弾んだ声を出すと、花奏は隣にいるエドワードに、志乃の言葉を伝える。
その途端、エドワードが感動したように大きくうなずいた。
「これはエドワードの故郷にある、ローモンド湖という湖を唄った曲なのだ」
花奏が志乃に説明してくれる。
「まぁ、湖を?」
志乃は見たこともない湖に思いを馳せる様に、うっとりと声を出した。
「だから穏やかで優雅な曲なのですね。まるで、私たちの瀬戸内の波や風のようです」
志乃が納得したように声を出すと、隣で花奏が小さく息をのむのがわかった。
「旦那様?」
志乃は小さく首を傾げる。
「いや、すまぬ。少し驚いたのだ」
志乃を見つめると、花奏は静かに首を振りながら言葉を続けた。
「エドワードが以前、同じことを言っていたのだ。自分の故郷と、この街は似ていると……」
「そうなのですか?」
志乃は驚いた声を上げながら花奏の瞳を見つめて、途端に頬を真っ赤にする。
優しく志乃を見つめる花奏の視線が、やけに熱く感じたのだ。
「シノ」
すると思わず下を向いた志乃の耳に、エドワードの落ち着いた声が聞こえてくる。
「シノ、アリガトウ」
「え?」
「コノキョクハ、タイセツナ、トモダチヲオモッテ、ウタッタウタデス」
「友達を?」
エドワードはこっくりとうなずくと、そっと志乃の耳元に口元を寄せる。
「シノハ、カナデノ、タイセツナヒト。ダカラ、アリガトウ」
志乃にだけに聞こえる声でそう言うと、エドワードはにっこりとほほ笑んだ。