第二十四話 英国の友人(一)
花奏の腕に手をかけ、ゆっくりと会場の中に入った志乃は、足を踏み入れた途端、まるで別世界のような光景に思わず息をのむ。
優雅なサロン音楽が奏でられる会場は驚くほど広く、どこまでも高い天井には眩いばかりのシャンデリアが、煌びやかに光を放っている。
そしてそれらを囲む壁には、会場を彩るように飾られた七宝焼きの額縁の数々。
見たこともないような豪華な食事が用意された会場には、それに劣らぬほど、華やかに着飾った人々で溢れかえっていた。
初めて見る社交界の光景に、志乃は思わず気後れしそうになる。
女学校の友人たちと見た、少女雑誌に載っていた、高貴な方たちの暮らしぶりが、まさに目の前にあるのだ。
一瞬眩暈がしそうになった志乃は、それでも自分を奮い立たせるように背筋を伸ばす。
――ここで動揺していては駄目よ。旦那様に恥をかかせてしまうわ。
志乃は五木に言われたことを思い出し、にこやかに花奏の後ろをついて歩いた。
どうも花奏は顔が広いようで、行く先々で人々に話しかけられている。
軍の関係者と思われる軍服に身を包んだ将校から、タキシード姿の紳士まで、さまざまな人と仕事の事と思われる難しい話をしていた。
志乃は初めて見る花奏の貿易商としての顔に、とても新鮮な驚きを感じていた。
その時、後ろから聞き馴染みのある声が聞こえ、志乃ははっと顔を上げる。
「花奏、志乃ちゃん」
明るい声に志乃が振りかえると、笑顔で手を振っているのは田所だ。
「田所先生」
志乃は見知った顔に安心して、思わず大きな声で返事をしながら、そっと隣の花奏の顔を伺う。
花奏は田所の顔を見ても、特に表情は変わらない。
先日の二人のいさかいは、今は気にしなくても良さそうだ。
ホッとした志乃の側へ、田所がにこやかな顔でやって来た。
田所も今日は、いつものくたびれた白衣に下駄の様相ではなく、黒のタキシードをパリッと着こなしており、見違えるように紳士的だった。
志乃がふと田所の隣に目をやると、ドレス姿でにこにことほほ笑んでいる女性がいる。
そっと女性に目をやった志乃は、以前見せてもらった田所の家族写真を思い出し、隣の女性が田所の妻だとわかった。
「志乃と申します。田所先生には、母のことで大変お世話になりました」
志乃が慌てて挨拶をすると、田所の妻はにこやかに笑顔を返した。
志乃はそっと田所の妻を目で追う。
田所の妻は、モノクロの写真で見た時よりも控えめで、柔らかく落ち着いた印象だったが、妻である存在感はとても大きかった。
――なんて素敵な奥様……。私も奥様のように、落ち着いた大人の雰囲気を身につけねば……。
するとそんな志乃に、田所が笑顔を覗き込ませる。
「志乃ちゃん、今日は一段と綺麗だね。花奏にはちゃんと、褒めてもらったかい?」
わざとらしく大きな声を出す田所に、志乃はさっきまでの決意を忘れたように、途端にあわあわと頬を赤らめる。
そんなことを人前で聞かれたら、どうしてよいかわからなくなってしまうではないか。
「ええと、あ、あの……少しだけ……」
小さく答えた志乃に、田所は大袈裟にのけ反った。
「少しだけ!? おい、花奏。こういう時は男の照れくささなんて捨てて、大いに女性を褒め称えるものだと、エドワードにも言われていただろう?」
田所はそう言うと、呆れた様子でそっぽを向く花奏の肩に手を置いた。
志乃は聞いたことがない名に、小さく首を傾げる。
エドワードとは、一体誰のことだろう?
――外国の方のお名前よね?
するとその時、志乃の耳に聞き慣れない言葉が飛び込んできた。




