表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/84

第二十一話 心の内(二)

「でもしかし、志乃ちゃんを選んだ僕の目に、狂いはなかったってことかぁ」


 しばらくして田所が、わざとらしく鼻を上に向け、大きく伸びをするように両手を空に振った。


「田所、お前はいつも一言余計なのだ」


 花奏があきれ顔でそう言うと、「そりゃそうだ」と田所は声をあげて笑った。


 辺りには穏やかな秋の風が吹き抜け、花奏は静かに顔を空に向ける。



「志乃は本当に面白い娘だ。なぜだろうな、俺はあんなにも自分の死がやってくることを望んでいたのに、今はただ、志乃の箏の()を聴くために生きているような、そんな気さえしてくるのだ」


「それはね、花奏。それだけ志乃ちゃんの存在が、お前の中で大きくなっているということだよ」


 田所はそう言うと、花奏に正面から向き直った。



「ねぇ花奏、どうして志乃ちゃんを、妻として愛さないんだい?」


 田所の真っすぐな声に、花奏ははっと顔を向ける。


「志乃ちゃんは、とても魅力的だよ。花奏だってそう思っているんだろう? そして志乃ちゃんは、お前に愛されることを願っている……」


「だからだ」


 花奏は田所の言葉を遮るように声を出す。


「だから、志乃には触れられぬのだ」


「え?」


 田所は眉をひそめると、小さく首を傾げた。



「俺は志乃のおかげで、こうして香織のことを、少しずつ思い出に変えていくことを知った。過去を忘れることは、決して悪いことではないと知ったのだ。それ程、志乃には人を癒す力があるし、魅力がある」


 花奏は一旦口をつぐむと、遠くを見つめるように空を仰ぐ。


「だからこそ、志乃は俺の側になど、いてはならぬと思う時があるのだ。志乃はこのまま、俺の妻になど、なってはならぬのだと……」


「だから触れないというのか?」


 問い詰めるような田所に、花奏は揺れる瞳を向ける。


「そうだ……。でも、かと言って、志乃を突き放せぬのだ。あの笑顔を見る度、衝動的に抱きしめてしまいそうになる……」


「そうすればいいじゃないか!」


 田所は大きく両手を上げると、バンと縁側の板に叩きつけた。


「田所?」


「その感情のままに、志乃ちゃんをきつく抱きしめて、自分のものにすればいいじゃないか!」


 田所は強い瞳を花奏に向ける。



「花奏はまだ恐れているんだよ。素直に気持ちをぶつけてくる志乃ちゃんに、目の前に現れた幸せに戸惑っている。そして、自分が幸せになっていいはずがないと、必死に自分に言い聞かせているんだ」


 田所は手を伸ばすと、花奏の肩をぐっと掴んだ。


「でも、お前は一歩踏み出したんじゃないのか。もう以前のような、死神のお前じゃないだろう?」


 花奏の肩を揺する田所の手が、小刻みに震えている。


「花奏、お前はあまりにも多くの人を見送りすぎた。あまりにも多くの人の死を、見すぎたんだよ。もうこれ以上、自分を苦しめるのはやめてくれ……」


 田所は声を震わせると、拳を握り締めながら下を向く。


 花奏は大きく首を振ると、田所の手を静かに離した。



「田所、俺は自分を苦しめているのではない。志乃の幸せを願っておるのだ」


「違う!」


 花奏の言葉を遮るように、田所の大きな声が響く。



「お前は何もわかっていない。志乃ちゃんの幸せは、お前の側にいることなんだよ……」


 目の前の庭をサッと風が吹き抜け、辺りの木々を大きく揺らした。


 その風に舞うように、サザンカの花びらが数枚、はらはらと散っていく。



 どれほど時間が経ったのだろう。


 田所は眉を下げると、花奏の顔を見つめた。


「自分を苦しめているのでないなら、教えてくれよ。じゃあなぜ……なぜ花奏は、未だにその髪を切れないんだ……」


 苦しげな田所の言葉に、花奏ははっと息を止める。


「……髪……?」


 花奏はつぶやくと、大きく風に揺れる自分の髪に触れる。


 その様子を見て、田所は静かに立ちあがった。



「志乃ちゃんは、お前の本当の妻になることを望んでいるよ。志乃ちゃんはお前が思う以上に、大人なんだ。身も心もね」


「田所……?」


「よく考えてみるんだ、花奏。お前は志乃ちゃんが、他の男に抱かれるのを見て、平静を保っていられるかを……」


 田所はそう言い残すと、花奏に背を向け、静かに離れを後にする。


 ただ一人離れに佇む花奏の前には、冷たい風だけが流れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ