第二十話 珍しいお客様(三)
「今度の社交界には志乃ちゃんも行くんだろう? 今回は軍の関係者だけでなく、様々な人が招待されていると聞くし、うちのも連れて行くつもりなんだ。その時に挨拶でも……」
「社交界……?」
田所の話を聞きながら、志乃は目をパチクリとさせてしまう。
社交界とは何だろう?
全く縁もないような世界の話に、志乃の頭は戸惑うばかりだ。
するとそんな志乃の隣で、花奏が大きくため息をついた。
ふと隣を見上げると、花奏は田所を軽く睨みつけている。
「田所、お前は、すぐ余計なことを言うのだ。志乃には荷が重いゆえ、黙っていたというのに……」
花奏はむすっとした声を出すが、それにも臆せず、田所は目を丸くさせた。
「え? そうなのかい? 何を言っているんだよ。志乃ちゃんなら大丈夫さ。ねぇ、そうだろう?」
田所は自信満々にそう言うと、志乃にぐっと顔を覗き込ませる。
田所のあまりの勢いに、志乃はつい、つられる様に「は、はい」と答えてしまった。
「ほうら聞いたかい? 花奏、社交界には、必ず《《妻である》》志乃ちゃんと一緒に、来てくれよな」
田所は“妻”という部分を強調するかのようにそう言うと、そっと志乃に目配せをした。
その途端、志乃は背筋をぴんと伸ばす。
もしかしたら田所は「まだ本当の妻にもなれていない」と話した志乃の、背中を押してくれようとしているのかも知れない。
でも……。
――田所先生のご厚意は嬉しいけれど、旦那様はご不快に思われたのでは……。
不安になった志乃が花奏の様子を伺うと、花奏は腕を組んだまま静かに目を閉じている。
でもしばらくしてから、花奏は「わかった」と低い声を出した。
その言葉を聞いた途端、思わず志乃は顔をパッとはじけさせる。
花奏と一緒に出かけるのも初めてなのに、その先が社交界だとは。
――旦那様のお仕事に、ご一緒できるなんて。なんだか夢のようだわ……。
志乃はどきどきと期待で膨らむ胸をぎゅっと押さえる。
少しでも花奏の妻として認められるためにも、このつとめをきちんと果たさなければならない。
――責任重大だわ。
もう志乃の頭は、まだ見ぬ“社交界”のことで、いっぱいになってしまった。
一人であれやこれや世話しなく考えていた志乃は、花奏が自分の名を呼ぶ声で、はっと我に返った。
「おい、志乃!」
「ひゃっ、は、はいっ」
志乃は慌てて背筋を正すと、やれやれと笑う花奏の顔を、上目遣いに伺う。
――ど、どうしましょう。私ったら舞い上がってしまって……。
でも、慌てる志乃の予想に反して、花奏は優しく志乃にほほ笑みかけた。
「少し田所と話しがある。後で構わぬから、茶でも持って来てくれぬか?」
「は、はい。かしこまりました」
志乃はぴょこんと立ち上がると、深々と頭を下げる。
「では田所先生、どうぞごゆっくり」
志乃はそう言い残すと、急いで離れを後にした。
外に出ると、少しずつ傾き出した夕日が、空を橙色に染め始めているのが見える。
「あぁ、どうしよう」
思わずつぶやいた志乃の心は、再び期待でいっぱいになる。
“社交界”という初めての場所へ、花奏と行くことができるのだ。
志乃は鼻歌を唄うように身体を弾ませると、お茶と菓子を用意するために母屋へと入って行った。




