第二話 病の発覚(二)
「お姉ちゃん、私たちこれからどうなるの?」
その日の夜、布団に入った華が不安そうに眉を下げる。
志乃はすでに寝息を立てている藤に薄手の肌掛けをかけると、華の頭をそっと撫でた。
「これからの事はお姉ちゃんが考えるから、華は安心しておやすみ」
志乃の落ち着いた声に、華は少しだけ不安が和らいだのか、こくんとうなずく。
「……うん……おやすみ」
華も相当疲れていたのだろう。
そう言うとすぐに、ことりと寝てしまった。
志乃は二人の寝息が一定の間隔で聞こえだしたのを確認すると、部屋の隅に置いてある文机の前に座る。
そっとランプをつけ机の引き出しを開けた。
引き出しの中には、藤の作った折り鶴がいくつも詰め込まれている。
志乃は、そのいびつな鶴の下に一冊のノートを見つけた。
引っ張り出してきたのは、母が家計簿をつけている手帳だ。
母は几帳面な性格で、毎月丁寧に帳面をつけていることは知っていた。
――これを見れば、だいたいの家のお金のことはわかるはず。
志乃はゆっくりと文字を目でなぞりだす。
それでも頭の中では、今日一日の出来事がぼんやりと繰り返し浮かんでいた。
正直、母の病を知った後のことは、記憶があまり定かではない。
田所先生とおばちゃんにお礼を言い見送った後は、お腹が空いたという藤にせかされるように、ただ無心で夕飯の準備をした。
絶望の淵にいてもお腹は空くし、日常はやってくるのだと実感させられる。
志乃はこれからどう暮らして行ったらよいものか、思考を巡らせる。
家計簿を見る限り、家には父の残したお金と、母の貯えがあるため、明日の食べ物に困るということはないだろう。
それでも母の病状によっては、志乃がこの家の大黒柱にならねばならない。
志乃は手帳を閉じて立ち上がると、母の寝ている部屋の襖をそっと開ける。
母は度々咳をしながら、苦しそうに顔を歪めていた。
――女学校を辞めて、早々に働きに出た方がいいわね。お箏も辞めるしかない。
志乃は自分自身に静かにうなずくと、そっと襖を閉じた。
嘆いてばかりはいられない。
次の日から志乃は、すぐに新しい生活に向けて動き出した。
母を看病しながら妹たちを学校に通わせ、働き口を探す。
忙しく動き回る志乃の家に、田所先生も度々様子を見に来てくれた。
「志乃ちゃん。一番怖いのは、志乃ちゃんたち家族が感染してしまうことだからね。この病は一家全滅することも少なくないんだ」
田所先生はそう言って、予防法を何度となく丁寧に教えてくれた。
志乃は教えられたことを忠実に守り、母のお世話をする時はマスクをつけ、部屋の換気を十分に行った。
そして母だけでなく妹たちにも、できるだけ栄養のあるものを食べさせ、十分な睡眠を取るように工夫した。
そのおかげか、志乃も妹たちも今の所、感染した様子は見られない。
そんなある日、志乃が母にお粥を持って行くと、母は目を開けていた。
田所先生が持って来てくれた、水銀の体温計で体温を測ると、熱もさほど出てはいない。
まだ激しい咳込みはあるが、それでも今日はだいぶ調子が良さそうだった。
「志乃、明日お師匠様の所へ行っておいで」
突然の母の言葉に、志乃は戸惑う。
もうお稽古には随分と行っていない。
「どうして? 私はもうお箏は辞めたのです。今更行っても……」
そう言いながらうつむいた志乃に、母は顔を歪めながら身体を起き上がらせると、志乃の顔を覗き込んだ。
「いいですか? 志乃。芸は身を助けると言うでしょう。母のためだからと言って、途中で投げ出しては駄目です。お母さんはこんなになってしまったけれど、あなた達娘には、健やかに幸せに過ごしてほしいの」
母はそう言うと“お師匠様へ”と、細い字で書かれた手紙を志乃に差し出す。
「これを必ずお稽古の前に、お師匠様にお渡しするのよ。いいわね」
母は手紙を志乃の手に握らせると、そのままぎゅっと手に力を込めた。
母は何を考えているのだろう。
その意図がわからず、志乃は困惑しながらもしぶしぶとうなずく。
「……わかりました」
母は志乃の返事を聞くと、安心したのか再び床に横になり眠ってしまった。