第二十話 珍しいお客様(二)
「ところで花奏は?」
「旦那様は今、あちらでお休みになってます」
「休んでる?」
すると田所が驚いたように、再び離れの奥へ顔を覗き込ませた。
「驚いたな。花奏が人前でうたた寝するなんて。こりゃ季節外れの雪が降るかもしれないね」
田所がいたって真面目な顔をしながらおかしなことを言うので、志乃はつい吹き出してしまう。
「まぁ、田所先生ったら」
すると田所はさらに顔をずいっと覗き込ませた。
「いやいや、これは真面目な話だよ。それぐらい志乃ちゃんに、心を許してるってことだからね」
大きくうなずく田所の言葉に、志乃は頬をぽっと染めた。
「そうであれば、嬉しいのですが……」
「そうであるに決まってるさ。前にも言っただろう? 僕はね、志乃ちゃんだったら、花奏のことを救えると思っていたんだ」
ドンと自分の胸を叩く田所の声に、志乃はうつむくと小さく首を振る。
「いいえ。きっと私はまだ、本当の意味では旦那様をお救いできていないのです。まだ本当の妻にもなれていないのと同じように……」
次第に声が小さくなる志乃に、田所は驚いたように目を丸くした。
「本当の妻……?」
「はい……。その、私……まだ妻らしいことを、何もさせていただいていないので……きっと、そうなのだと……」
少し恥じらうように頬を染め、下を向く志乃に、田所は「ほお」と声を上げる。
すると座敷の奥で、花奏が動く様子が目に映った。
「志乃?」
花奏の低い声が聞こえる。
「はい、旦那様」
志乃は田所に小さく目配せすると、花奏の側に駆け寄り、起き上がった花奏から、身体にかけていた羽織を受け取った。
「つい、眠ってしまっていたな」
花奏は胡坐をかきながらそう言うと、脇に座った志乃に優しくほほ笑む。
「はい。とても気持ちよさそうでした」
志乃は頬を桃色に染めながらくすりと笑うと、先ほど受け取った羽織を、慣れた様子で花奏の背に広げる。
花奏は笑みを浮かべたまま、志乃の持つ羽織に袖を通した。
すると離れをぐるりと回ってきたのか、田所が庭の横から縁側にひょっこりと顔を覗かせる。
「もうすっかり似合いの二人だね。なんと羨ましいことか」
にっこりと口を引き上げる田所に、花奏はわざとらしく大きなため息をついた。
「なんだ、田所。来ていたのか」
「なんだ、はないでしょうよ。せっかく花奏の幸せそうな顔を、見に来てやったというのに」
ぷっと頬を膨らませる田所にお構いなく、花奏はぷいと顔を背ける。
「田所、お前だって妻と子がいるではないか。家の前を通ると、よく子らの声が聞こえておるぞ」
「え? そうなのですか?」
志乃は思わず驚いて声をあげてしまう。
田所に妻子がいたとは知らなかった。
すると田所は照れたように頭をかきながら、胸のポケットから手帳に挟んだ一枚の写真を見せてくれる。
手のひらほどの大きさのモノクロの写真には、洋装で身なりを整えた田所と妻、三人の子どもたちが、やや緊張した面持ちで写っていた。
「まぁ、なんて素敵な……」
志乃は目を輝かせると、うっとりと写真を覗き込む。
いつか本当の妻になれたなら、自分も花奏とこうして写真に納まることができるのだろうか。
すると写真に見とれる志乃に、田所が「そうそう」と声を上げた。