第二十話 珍しいお客様(一)
秋も深まり、時折冷たい風も吹く季節になった。
志乃は今日も離れで箏を弾いている。
ふと横に目を向ければ、花奏は障子を開けた畳に横になり、庭を見ながら肘枕でうつらうつらとしているようだ。
最近では珍しくなくなったその姿に、志乃は小さくほほ笑むと、心が満たされるのを感じながら弦を弾く。
志乃が初めて離れで箏を弾いてから、花奏が屋敷にいる日は、こうやって二人で過ごすことが多くなった。
「志乃の箏の音は、心が落ち着く」
そう花奏に言われるたび、志乃は自分が天にも舞うような気分になっていることに気がつくのだ。
少し前、志乃は一度だけ、花奏に香織のことを聞いたことがある。
箏の名手であった香織が、どのように箏を弾いていたのか、どうしても気になったのだ。
でもその時、花奏は少しだけ寂しそうな顔をした後、ほほ笑みながら志乃を見つめると、首を横に振った。
「志乃の箏を聴いてから、何度か思い出そうとしたのだが、一向に思い出せぬのだ」
「え?」
志乃は驚いて目を丸くする。
花奏は、そんな志乃に顔を覗き込ませると、愛おしそうに見つめた。
「俺は過去を忘れることに恐れを感じていた。でもそれは、間違いだったのかも知れん」
花奏のその言葉を聞いてから、志乃は自分らしく表現すればよいのだと自信を持った。
そうすることで、香織の思い出も含めて、花奏の心を癒していくことができる気がしたのだ。
「こんにちは」
箏を弾き終えた志乃が、横になる花奏に羽織をそっとかけていた時、入り口の戸の方から誰かの声が聞こえた。
首を傾げた志乃は、花奏を起こさないように、そっと立ち上がると入り口の障子を開く。
そこに笑顔で立っていたのは田所だった。
「まぁ、田所先生」
田所に会うのは、母の回復の知らせを聞いた時以来だ。
珍しい田所の来訪に、志乃は思わず驚いた声をあげてから、慌てて自分の口を両手でふさぐ。
不思議そうな顔をする田所に、志乃はしーっと口元に指を当てた。
志乃は座敷の奥を振り返りながら、そっと花奏の様子を伺うが、花奏は横になったまま動かなかった。
「どうされたのですか? こちらに、いらっしゃるなんて珍しいですね」
志乃は小声でそう言いながら下駄を履くと、そっと土間に下りる。
「たまには花奏の仏頂面でも見ようかと思ってね、少し寄ってみたんだよ」
田所はそう言うと、顔を大袈裟にしかめて見せる。
「まぁそんなお顔をしたら、旦那様に叱られてしまいますよ」
志乃はくすくすと肩を揺らして笑った。
田所はそんな志乃に、満面の笑みを見せる。
「安心したよ」
「え?」
「前に話をした時は、志乃ちゃんは家を追い出されるって嘆いていたけれど、もう大丈夫そうだね」
田所の声に、志乃は静かにうなずいた。
「田所先生からお話を伺って、その日の夜、旦那様と話をしたのです。香織様のことも、この家に迎えていた人々のことも伺いました」
「そうか……ついに花奏は、一歩踏み出せたんだね」
田所は感慨深そうに低い声を出すと、目頭をそっと押さえる。
「そう、願っています」
志乃も力強くうなずいた。
すると田所が、急に表情を明るくさせる。




