第十七話 新しい朝(二)
「旦那様、今日はお出かけのご予定で?」
五木が花奏の茶碗を受け取りながら、穏やかな声を出す。
「そのつもりだ」
花奏は低い声を出しながら、そっと顔を上げた。
目線の先では、志乃が五木から受け取った茶碗に、お櫃からご飯をよそうのが見える。
「では車のご用意を」
五木はそう言うと「よいしょ」と腰を上げ、座敷を出て行った。
すると志乃が、盆にのせた茶碗をそろそろと花奏の前に運んでくる。
志乃の華奢な手が花奏の前に伸びた時、花奏はそっと志乃の顔を伺った。
「志乃、少し顔が赤いのではないか? 朝もそうだったが、気分でもすぐれぬか?」
そう言いながら再び顔を覗き込ませると、志乃が真っ赤な頬をさらに赤くしながら勢いよく立ち上がる。
「そ、そんな事はございません! 私はいつも元気でございます!」
志乃はなぜがぷりぷりと頬を膨らませると、そのまま足を鳴らしながら自分の席へ戻った。
「おい、志乃……」
戸惑う花奏をよそに、志乃は勢いよく箸を掴むと、もぐもぐとご飯を頬張りだす。
しばらくして部屋には、志乃がぽりぽりとかじる、たくあんの音が響き出した。
「そんなに焦らずとも……」
花奏はそう声を出そうとして、すぐに口をつぐむ。
――すっかり、忘れていたな……。
花奏は美味しそうに、ご飯を頬張る志乃を見つめた。
――誰かと食事を取ることは、こんなにも心穏やかな時間だっただろうか……。
遠い昔、意図せずに感じていたこと。
それは、失った時には気がつかず、再び触れた時には、こんなにも心に響くものなのか。
「おや、旦那様。そんなに、ほほ笑まれてどうされましたか?」
しばらくして、座敷に戻ってきた五木が目を丸くした。
「俺は、ほほ笑んでいたか?」
驚く花奏に、五木は「はい。それはもう」とにっこりとうなずいている。
「そうか……」
花奏は小さくつぶやきながら、再び志乃に目を向ける。
志乃はというと、ご飯を喉に詰まらせたのか、急にげほげほとむせだした。
「志乃様、慌てて食べるからでございますよ」
「も、申し訳ございません……」
五木の小言に、しゅんとする志乃の横顔を見て、花奏は次第に自分の心が満ちてくるのを感じながら、味噌汁の豆腐を口元に運んだのだ。