第十六話 死神の過去(一)
花奏の妹の香織は、街でも有名な美しい娘だったそうだ。
箏の才があり、その腕前は遠く西国にまで届くほどで、縁談話もひっきりなしに持ちかけられたらしい。
そんなある日、西で大きな商店を営む家から見合い話が舞い込んだ。
相手は花奏の仕事に目をつけ、縁談と共に多額の融資も申し出たのだそうだ。
「その頃の俺は、亡き父親の家業を継いだばかりで、慣れない仕事に四苦八苦していた。貿易商といっても様々で、資金も信頼もない俺は、継いだ会社を存続させることだけで精一杯だった。そんな折の見合い話、こちらが浮足立つのも無理はない……」
花奏はそう言うと、深く息を吐く。
香織は初め、見合い話に乗り気ではなかったという。
それでも兄の苦労を知る香織は、少しでも助けになるならばと、しばらくして見合いを受けると言い出した。
話はトントン拍子に進み、程なくして香織は嫁いでいった。
「相手はいたく香織を気に入り、斎宮司家からの大切な嫁だと迎え入れられた。でも現実は、俺が知るものとは程遠いものだった……」
花奏の声に、志乃ははっと息をのむ。
香織の夫は根っからの遊び人で、最初こそ良かったものの、しばらくすると我慢できなくなったのか、すぐに家を空け外に出ていくようになった。
ほとんど家には寄りつかず、時折ひょいと顔を見せる程度。
妾を何人も囲い、子も生していたが、誰一人それを咎める者もいなかった。
というのも、香織にはなかなか子ができず、それがわかった途端、姑は手のひらを返したように香織にきつく当たりだしたからだ。
そして香織は、茶会や集まりがある日には綺麗な格好をして箏を弾かされるが、それ以外はまるで使用人のような暮らしを強いられていたという。
「ひどい……」
志乃は思わず両手で口元を覆う。
「それもすべて、香織が死んだ後に知ったことだ……」
花奏の苦しい声に、志乃の胸はえぐられたようになる。
なぜ香織は、そんな仕打ちを受けてまで、家を飛び出さなかったのか。
そう考えて志乃は小さく首を振る。
それはきっと花奏のためだろうと。
――香織様は、兄である旦那様のために、苦しくても悔しくても、堪えていたんだ。
事実、香織の嫁ぎ先からの、花奏への資金援助は膨大だったという。
それによって、花奏の事業が今のように安定したのは確かだ。
香織の想いを考えると、胸が締め付けられるように苦しくてたまらない。
「そんなある日、嫁ぎ先から突然、香織の箏が届けられた。箏は香織の嫁入り道具として用意したもの。手紙も何もなく、ただ届けられた箏を不審に思った俺は、事実を知って愕然とした……」
志乃の母親と同じ、肺の病に侵された香織は、嫁ぎ先から離縁され、ただ一人療養所に入っていたのだ。
「そんな……」
小さく叫んだ志乃の頬を、涙が次から次へと零れていく。
「俺は五木と共に、すぐさま療養所に駆けつけた。でも時すでに遅し。香織は息を引き取った後だった……」
花奏は目を閉じると、そのまま天井を仰ぐ。
「俺は自分の愚かさを、心の底から呪った。妹の死の上に立ってまで、自分は何がしたかったのだろうかと……」
花奏の握り締めた拳が震えている。
「旦那様……」
志乃はたまらずに、その拳を両手で包み込んだ。
花奏は目を開けると、潤んだ瞳を志乃に向ける。
「志乃。お前は俺が心優しいと言ったが、そうではない。俺はたんなる偽善者だ。他人に手を差し伸べることで、妹への罪滅ぼしをしているだけなのだ。結局は自分のため。そうでもして自分を慰めなければ、俺は自分自身を見失ってしまう……」
「そんなこと……」
「ここに来た者は皆、俺に礼を言った。最後にありがとうと……。その言葉を聞く度に、結局また命を救えなかったと苦しんだ……」
花奏はそう言うと、うつむいて額に手を当てる。




