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第十四話 死神の真実(二)

 花奏の後について、薄暗く静まり返った廊下を歩く。


 途中庭の奥の離れが目に入り、志乃の心の奥をチクリと突き刺した。



 ――旦那様が、過去から動けなくなる程の人。



 花奏が亡くしたという身内が、どのような関係の人物なのか、志乃だとて気にならないわけがない。


 それでも今は真実を知り、自分が花奏を支える存在になりたい、という気持ちの方が勝っている。



 志乃はぐっと手に力を込めると、花奏の後を追って部屋に入った。


 障子を閉め振り返ると、花奏は書斎机の椅子に腰かけていた。


 志乃はそろそろと足を出し、花奏の正面に立つ。



「母親は無事、回復したそうだな」


 しばらく間をおいて、花奏がゆっくりと口を開いた。


「はい。おかげさまで、以前のように普通の暮らしができるようになりました。これも旦那様に、助けていただいたおかげです」


 志乃が頭を下げると、ふっと花奏の息づかいが聞こえる。



「その金は、俺からの礼だ。志乃はよくやってくれた。これからの生活の足しにすればよい」


 うつむいた志乃の耳に、穏やかな花奏の声が響いた。


 志乃は震える手で、胸元に当てた封筒をぎゅっと握り締める。


 志乃は潤んで今にも零れそうな瞳を持ち上げると、花奏の顔を見つめた。



「旦那様……最後に一つだけお聞かせください」


「なんだ?」


 志乃は涙を堪えるように、大きく息を吸う。


「旦那様が、なぜ死神と呼ばれているのか……教えていただきたいのです」


 志乃の声に、花奏は少し驚いたような顔をしていたが、しばらくして「そうだな」と立ち上がった。



「志乃、ついて来い」


 花奏はそう言うと、障子を開けて部屋を出ていく。


 志乃は袖で涙をサッと拭うと、花奏の後を追って部屋を出た。



 薄暗い廊下をゆっくりと進み、花奏が向かった先は仏間だった。


 中に足を踏み入れると、いつもと同じ線香の香が鼻先をかすめ、今朝志乃が供えた撫子(なでしこ)の花が、細くふぎれた花弁を可憐に開かせていた。



 花奏がロウソクに灯をともすと、(だいだい)色の淡い光が、並べられた位牌をゆらゆらと照らし出す。


「ここにいるのは、皆この家で死んでいった者たちだ」


 志乃は顔を上げると、改めて一つ一つに目を向ける。


 こうやって見ると、確かに恐ろしいほどの数の人が、この家で亡くなったのだとわかる。



「怖いか?」


 花奏が志乃を振り返り、志乃は小さく首を振った。


「怖くはありません。ただ、私にはまだ死がよくわかりません。父が亡くなったのも、幼い頃でした」


「そうだな……」


 花奏はそう言うと、一番右奥に置かれた位牌をひとつ手に取る。


 それを両手で包み込むようにすると、そっと指で文字をなぞった。



「ここにいる者は皆、志乃の母親と同じ、肺を患った者たちだった」


「え……」


「身寄りもなく、療養所でただ死を待つだけの者。せめてもの救いになればと、この家に引き取った。死を迎えるその瞬間、誰かが共にいてやれるようにと……」


「そんな……」


 志乃は思わず息を止めると、じわじわと潤んでくる瞳をぐっと閉じる。


 そしてたまらずに、あふれる涙もろとも両手で顔を覆った。



 その瞬間、志乃の手から封筒がするりと下に落ち、ぽとんと悲しい音を立てた。


 志乃は肩を震わせ、声を殺して泣き出した。



 死神が迎えたのは、たんなる妻ではなかった。


 病に苦しみ、死への恐怖を抱えた、ひとりひとりの(はかな)き人間たちだったのだ。



「志乃は心優しき娘だ。お前が無事でいてくれて、本当に良かった」


 花奏はそう言うと、すすり泣く志乃の肩を抱こうとして、その手をぐっと堪えるように引く。


「……旦那様」


 志乃は涙で濡れた顔を上げると、花奏を見つめた。


 花奏は志乃からそっと目を逸らすと、仏壇の前へ行き、手に持っていた位牌を大切そうに元の場所に戻す。



「志乃、人は何のために祈るのだろうな」


 線香に火をつけた花奏が、静かに声を出した。


「え……?」


 志乃は花奏の言葉の意味がわからず、小さく首を傾げる。


「何度祈っても、何も変わらぬのだ。何度祈っても、人の死は止められぬ」


 花奏は何を言わんとしているのだろう。


 志乃は不安になり、思わず花奏の側に駆け寄った。


「死ぬのは皆、この者たちなのだ。俺は病にもかからず、未だこうしてのうのうと生きている」


 花奏はじっと、線香の煙が静かに天へと伸びていく様を見つめている。



「旦那様」


 思わず声を出した志乃に、花奏がゆっくりと瞳を向けた。


「いつからか、俺は自分の死のために祈っているような気がしてならんのだ……」


「そんな……」


「志乃、やはり俺は死神なのかも知れん」


 あまりに儚く、消えてしまいそうな花奏の言葉に、志乃はひどく傷ついたような顔を上げる。


 それではまるで、花奏が死を望んでいるように聞こえるではないか……。


 志乃は顔を上げると、花奏の腕に手をかけた。



「嫌です!」


「志乃?」


 花奏は驚いたように目を丸くしている。


「私は嫌です。旦那様は必要だから生きているのです。そんな言い方は、私は嫌です」


 志乃は手をかけた花奏の腕を、力を込めてぎゅっと握り締めた。



「私の母は回復したではありませんか。私とて、ここで生きています。病で死んでいった者たちは、旦那様の優しいお心に包まれて、この世に安心して別れを告げたのです。そんな旦那様が、死神であるはずがない……」


 志乃は言葉をつまらせると、花奏の腕に顔をうずめ「わぁ」と声をあげて泣く。


「志乃……」


 ロウソクの光は、そんな二人を温かくゆらゆらと照らし続けた。


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