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第十三話 死神の戸惑い(二)

 でも、いつからか、机の上に手紙が置かれるようになった。


 いつも“拝啓 死神の旦那様”と、その言葉から始まる手紙は、日常のほんの些細なひとこまを綴るものであったが、その文章からは誠実でひたむきな志乃の、懸命に日々を生きる様が伝わってきた。


 そしていつしか花奏は、手紙を読むのを心待ちにし、今志乃は何に興味を持っているのだろうと、気になるようになっていた。


 “死神の旦那様”という文字を見る度、ほほ笑んでしまうほどに、志乃に惹かれていったのだ。



 花奏は手紙をそっと引き出しに戻すと、志乃のまだ幼さの残る顔を思い浮かべる。


 志乃がここに来てから、長い間止まっていた花奏の心が動き出したのは確かだ。


 そう思いながら、花奏は一旦首を振る。



 ――いや、違う……。



 あの日、箏の譜面を持つ志乃を助けた時から、すでに自分の中で、何かが動き出していたのかも知れない。


 そして今ではその感情は、時に花奏自身にも制御できない程まで膨れ上がっている。



 ――あの軍楽隊の演奏会の日もそうだった。



 志乃には、着物を贈ったことも、演奏会に行ったことも、気まぐれなどと嘘をついたが、本心はそうではなかった。


 あの日、花奏は志乃の様子を遠くから眺めるつもりだった。


 きっと志乃であれば、自分の贈った着物を着て、目を輝かせながら演奏に身を乗り出すであろう。


 それを一目、遠くから見られればよいのだと……。



 でも、突然慌てたように駆けだした志乃を見て、気がつけば花奏の身体は勝手に動いていた。


 そして志乃が、谷崎に助けられる姿を見た瞬間、もういても立ってもいられなくなってしまったのだ。



「俺は、どうしたというのだ……」


 花奏は静かに立ちあがると、自分の部屋を出て、向かいにある志乃の部屋の障子をそっと開く。



 志乃が今日、実家に帰っていることは承知している。


 きっと志乃はそこで田所から、母親が無事に回復し、もう療養の必要はないと聞くはずだ。


 だからこそ、志乃に金を渡し、もうここに(とど)まる必要はないと告げなければならない。



「志乃はこの家を出る方が幸せなのだ。死神の側になど、いるべきではない……。もっと幸せになれる相手を選ぶべきなのだ。それが志乃のためだ……」


 花奏はそうつぶやくと、部屋の明かりをつける。



 ふと整理された志乃の文机に目をやった花奏は、その途端目を見開いた。



 “死神の旦那様へ”



 机には、そう書かれた封筒が、いくつも重ねて置かれていたのだ。



「まさか、ずっと書き続けていたのか……?」


 花奏はそろそろと近づくと、一番上にのせられている一通を手に取る。


 すると、はらりと何かが舞い落ちた。


 それを持ち上げた花奏は、はっと息を止める。



「これは……秋桜……?」


 それは薄桃色の秋桜を、押し花にしたものだった。


 その途端、花奏はひどく心が掴まれたような気分になり、手紙と押し花をそっと机に置くと、すぐに自分の部屋へと戻る。



「あれは、きっとあの日の秋桜だ……」


 志乃に『もう手紙を書く必要はない』と突き放した後、花奏はそのやるせない気持ちを落ち着かせるために、庭の秋桜を摘み、離れに持って行った。


 その時、開け放たれた戸から、花奏はあの箏の前に座る志乃の姿を見たのだ。


 それはあまりに可憐で美しく、気がつけば花奏の視線は、志乃の姿から逸らせなくなっていた。



 そしてその瞬間、花奏の脳裏では、離れでいつも見ていた笑顔が、志乃の笑顔に変わっていることに気がついたのだ。



 ――自分の中で、過去の記憶が薄らいでいく。



 そのことに恐れを感じた花奏は、慌てて離れを後にした。


 指先から落ちる秋桜を拾う(いとま)もなく……。



 その日の記憶を辿っていた花奏は、書斎机の椅子に腰かけると拳をぐっと握り締める。


 そして自分に言い聞かせるよう、押し殺した声を出した。


「俺は人並みの幸せなど、求めてはいけないのだ。それが、香織をたった一人で逝かせてしまった俺の、償いなのだ」と。


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