第九話 死神の正体(二)
まだ幼さの残る爽やかな笑顔を見せる将校は、志乃とさほど歳が変わらなそうに見えるが、夏衣の白い軍服の肩についた肩章は、階級を表す星が一つ光っていた。
「あの……助けていただき、ありがとうございました」
志乃がもう一度深々とお辞儀をすると、将校は嬉しそうにほほ笑む。
「実はお綺麗な方がいるなと、気になって見ていたんです。そうしたら、僕の目の前で転びそうになるでしょう? これはしめたと思って……」
そこまで言って将校ははっと頬を赤らめると、「いや、失敬」と言いながら頭をかいた。
志乃は初めキョトンとしていたが、その様子がおかしくて、ついくすくすと笑ってしまう。
「誰かお探しだったのですか?」
しばらくして将校が小さく首を傾げた。
「えっと、それは……」
志乃はそこまで言って初めて、耳に響いていた音楽が鳴っていないことに気がつく。
はっと辺りを見まわすと、演奏を終えた軍楽隊の隊員はすでに舞台におらず、その場にいた見物客たちも思い思いに帰路についていた。
当然、来賓席にいた紳士も、今はもう姿も見えない。
志乃がもたもたしている間に、演奏会は終了してしまったのだ。
すると小さく肩を落とした志乃の顔を、将校が覗き込んだ。
「どうかされましたか?」
「いえ、何でもございません。大変失礼いたしました」
志乃は大きく両手を顔の前で振ると、「では」とその場を後にしようとする。
すると将校がそっと志乃を呼び止めた。
「良ければ僕に、送らせてくださいませんか?」
「え……?」
「あなたとここで別れたら、後悔する気がするのです」
頬を染めながらそう言う将校に、志乃はどうしたらいいのか戸惑ってしまう。
送るとは、家までということだろうか?
――私には旦那様がいるのに、そんな事できないわ。でも、将校様の申し出をどうやって断れば……。
「あ、あの……」
動揺しながら後ずさる志乃に、将校が一歩迫った時……。
ふわりと風が吹くように、志乃の側に誰かが身を寄せた。
その人は長い腕を回すと、志乃の肩を抱き、そっと将校から遠ざけるように後ろへ引く。
――え……?
驚いて顔を上げた志乃は、目を見開くと、そのまま時が止まったように動けなくなる。
志乃の肩を優しく抱いているのは、あの日お稽古の帰りに出会った、麗しくも美しい男性だった。
「谷崎少尉殿、私の連れのものがご迷惑をお掛けいたしまして、申し訳ございません」
男性はそう言いながら小さく頭を下げると、そのまま谷崎と呼んだ将校の顔を正面から見据える。
谷崎は表情を硬くすると、背すじをまっすぐに伸ばした。
背の高い二人が静かに見つめ合う姿に、志乃はもう頭が混乱してきてしまう。
――なぜ私は今、この美しい方に、身を支えられているの……?
パクパクと泡でも吹き出しそうになった志乃の前で、谷崎が声を出した。
「これは、斎宮司殿のお連れ様でしたか。そうとは知らずに、大変失礼いたしました」
谷崎はそう言うと、今にも目を回しそうになっている志乃の顔を、チラッと伺う。
「では私はこれで……」
谷崎はそっと目を細めると、そのままくるりと背を向け、多くの人が行き交う通りへと消えていった。




