第八話 死神からの贈り物
志乃が手紙を書くようになって、しばらくたったある日。
志乃がいつものように朝の支度のために部屋の障子を開けると、部屋の前に何やら衣装箱が置いてあることに気がついた。
不思議に思った志乃は、その場に正座すると、そっと衣装箱を開けてみる。
包みの和紙をめくり、中を覗いた志乃は、はっと息をのんだ。
中から出てきたのは、淡い水色の紗の着物だ。
涼しげな着物には、清楚な桔梗が表されている。
「なんて素敵なの……」
志乃はかすかに震える手で、着物をそっと持ち上げた。
すると中に入っていたのか、何やらチラシのようなものが一枚ひらりと落ちる。
「帝国海軍軍楽隊 定期演奏会……?」
チラシには大きな題字と共に、演奏会の日時や場所の詳細が書かれていた。
まじまじとチラシを覗いていた志乃は、思わず「あっ」と声を上げる。
そういえば数日前の手紙に“お使いの帰りに、軍楽隊のマーチが聴こえました”と、書いていたのを思い出したのだ。
『実際に聴いたら、どんなにか素敵でしょう』
確かに志乃は手紙にそう書いていた。
「……まさか、旦那様が?」
志乃は途端に胸がいっぱいになり、思わず着物を抱きしめる。
嫁いで以来、志乃に顔を見せることはなく、会いたいと言っても一度もそれが叶わなかった死神だ。
手紙を書き続けた所で、返事が来るわけがないと、志乃もどこかで諦めていた。
それでもこの贈り物を届けてくれた。
死神は、ちゃんと志乃の手紙を読んでいたのだ。
「嬉しい……」
瞳を潤ませた志乃は、再び着物とチラシを交互に見る。
つまり死神は、この着物を着て演奏会に行って来いと言っているのだろう。
目尻の涙を指で拭った志乃は、しばらくして、はたと顔を上げる。
チラシには右上に御招待と、赤い印が押してあるのだ。
「もしかして……旦那様もここに行かれるのでは?」
志乃は再びチラシを覗き込むと、すぐに日時を確認する。
書かれた日にちは、次の日曜日だ。
志乃は急いで立ち上がると、チラシを握り締めたまま炊事場へと駆けて行った。
バタバタと足を鳴らして駆け込むと、炊事場では五木がすでに食事の準備を始めていた。
「い、五木さん!」
志乃は息を切らしながら声をかける。
味噌汁の味見をしていた五木は、驚いた様子で振り返った。
「志乃様、どうなさいました? そんな慌てた様子で」
「こ、これを。このチラシと一緒に、着物が部屋の前に置いてあったのです」
志乃がチラシを差し出すと、五木は腰紐にかけた手ぬぐいで手を拭きながら、まじまじと顔を覗き込ませる。
そして納得したように、大きくうなずいた。
「ほほう。港で行われる軍楽隊の演奏会ですか。志乃様、これを置いたのは旦那様ですな」
志乃は「やはり」と、小さく息をのむ。
「も、もしかして、旦那様も……こちらに行かれるご予定なのですか?」
志乃は伺うように五木の顔を見た。
「そのように聞いてはおりますが、まだはっきりとは……」
すると五木の話が終わらない内に、志乃はずいっと身を乗り出す。
「これは、私も行って良いということでしょうか?」
「もちろん、そうでございましょう」
「つまり、旦那様にお会いできると」
志乃の勢いに、五木はフォッフォッと笑い声を立てると、興奮する志乃を落ち着かせるように、小あがりに腰を下ろさせた。
「志乃様。旦那様はご招待はされておりますが、実際に参加されるかは、私も存じ上げないのでございます」
「え……そうなのですか」
志乃はうつむくと、じっとチラシを見つめる。
――やっと旦那様に、お会いできると思ったのに……。
すると五木が優しくほほ笑みながら、志乃の顔を覗き込んだ。
「でも、せっかく旦那様がご用意なされたのですから、志乃様はお行きなさいませ。この日は、五木がご一緒しましょう」
「え? 五木さんが? 旦那様はよろしいのですか?」
「えぇ、大丈夫ですよ。旦那様もきっと、五木は志乃様に付き添うようにとおっしゃるでしょう」
志乃はにっこりとほほ笑むと「はい」と元気よく返事をした。
そして次の日曜日、快晴の中、志乃たちは軍楽隊の演奏会を迎えたのだ。