第五話 死神の家(二)
死神の正体もわからぬまま、志乃の死神の家での生活が始まった。
死神の家の朝は早い。
まず一番の仕事は、仏間の清掃からはじまる。
志乃は仏間の障子を開けると、朝日の差し込む中、軽く部屋の掃き掃除を始めた。
初めてこの仏間に案内された日、志乃はその豪華な仏壇にも圧倒されたが、何より驚いたのが位牌の多さだった。
「どれだけご先祖様がいたら、この数になるのよ」
呆れる志乃に五木が横から顔を覗かせる。
「こちらでは月命日には、お庭の花を摘んで供えておりますので、お忘れなきように……」
志乃はじっとりと五木の顔を睨みつける。
これだけの位牌の数だ。
命日が重なることがあったとしても、ほぼひと月のすべての日にちを網羅していそうだ。
「つまりは毎日が月命日ってことね」
「いえいえ、時にはそうでない日もございますよ」
ため息をつく志乃に、五木はフォッフォッと楽しそうな声を出したのだ。
志乃は庭に出ると、仏壇に供えるための花をいくつか見繕う。
今時期は花菖蒲が見頃を迎えていた。
「今日はお母さんの様子を見に帰るから、うちにも少し摘んで帰ろう」
志乃は花切狭を持つと、花菖蒲を数輪、丁寧に摘み取った。
薄紫の華やかに咲き誇る花菖蒲と共に、部屋に戻ろうとした志乃は、ふと庭の奥の離れに目をやる。
障子の閉じられたあの部屋は、決して入るなと五木からきつく言われている場所だ。
何が置いてある部屋なのか、はたまた誰かの部屋なのかはわからないが、少しだけ恐ろしいような気がして、志乃はできるだけ近寄らないようにしていた。
志乃は心持ち駆け足で庭を通り過ぎると、縁側の前に置いてある沓脱石にぴょんと上がる。
下駄を脱いだ志乃は、そのまま仏間へと向かった。
ついさっき摘み取ったばかりの花菖蒲を飾り、今日が月命日にあたる位牌を一番手前に置いた。
それにしてもなんという数だろう。
戒名を見る限り、ほとんどが女性なのではないかと思われる。
「まさかこれ全部が、奥様だった方なのかしら……?」
死神が死神たる所以。
娶った妻が次々に亡くなるというのは、本当の話なのかも知れない。
「でも今の所、私の身は大丈夫そうよね。第一、旦那様のお顔すら、知らないんだもの」
志乃はロウソクに灯をともし、線香を供えると、静かに手を合わせた。
あんなに固く決意して死神の元に嫁いできたというのに、今の志乃の生活はとても穏やかなものだった。
決められた仕事を終えてしまえば自由に過ごすことができるし、いつ実家に帰っても文句は言われない。
その上、母の療養にかかる費用や、妹たちの生活費は、余るほど援助してもらえるのだ。
田所先生も相変わらず様子を見に来てくれているようで、母の体調もかなり落ち着き、最近では起き上がる日も多くなっている。
「死神の旦那様には、申し訳ないくらいね」
志乃はくすりと肩を揺らすと、ロウソクの火を消して、炊事場へと向かった。
「志乃様、今日はご実家にお戻りになりますでしょう?」
炊事場では五木が大きな釜で白米を焚いている。
「そのつもりですが、何かありますか?」
五木はモクモクと湯気のあがる釜に手を入れると、「よいしょ」と声を出しながら、しゃもじでご飯をかき混ぜだした。
「今日は旦那様が遠出なさるので、一緒におにぎりをこしらえてくださいませんか? 志乃様のご実家の分もお持ちください」
「旦那様が?」
志乃は驚いたような声を出す。
死神のために、何か仕事を言いつかったのは初めてことだ。
志乃は割烹着の袖をまくると、少しだけ張り切って、五木と一緒におにぎりを作りだした。
炊きたての白米を、塩をつけた手で「あちち」と言いながらホカホカと握る。
真ん中には五木のお手製の梅干をたっぷりと入れた。
海苔を巻き、竹の皮に二つ並べる。
その横に、これまた五木のお手製のぬか床から出してきた、たくあんを切ったものを三枚添えて紐で縛った。
「志乃様は、やはり手際が良い。お上手です」
五木がにこにこしながら声を出す。
「そうでしょうか?」
志乃は褒められことが嬉しくて、さらに張り切っておにぎりを握った。
「やはり箏が上手なだけあって、手先が器用なのでしょうな。良いことです」
五木はほほ笑みながらそう言うと、干している竹の皮を取るために外へと出て行く。
志乃は五木の背中を見ながら、五木に箏のことを話しただろうかと、小さく首を傾げた。