序章 死神の住む街
「聞いたかい? また死神に嫁さんが来るんだって?」
「そうらしいよ。ついこの間、たいそうな葬式あげてたってぇのに、もう次の嫁だとよ」
「これで何人目だい?」
「さあね。数えきれねぇよ。だいたい、死神って言ったって、どこの誰かもわかんねぇんだからさ」
「どうせまたすぐに、死んじまうんだろうね。可哀想に」
ハンチング帽を被った男性たちの、面白おかしく笑う声が響いている。
平岡 志乃は手に持っていた巾着袋をぎゅっと握り直すと、足早にその横を通り過ぎた。
下駄で小石を蹴るように走り、通りの角を曲がった所でやっと息をつく。
そうっと振り返り角から顔を覗かせると、さっきまで話をしていた人たちは、もうどこかへ行ってしまったようだった。
「もう、噂が広まってるんだ……」
志乃は駆け足になった鼓動をしずめる様に、着物の胸元をぐっと押さえる。
そして一度ゆっくりと息を吐くと、顔を上げ再び足を進めた。
この街には死神が住んでいる。
いや、正確には“死神”と呼ばれる誰かが住んでいる。
妻を娶り、その妻が次々と亡くなることから、いつからか“死神”と呼ばれるようになったのだ。
名前も容姿もわからないその人の噂を、街の人たちは面白おかしく広めている。
どうも海軍に出入りしているスパイだとか、裏であくどい商売をしているようだとか……。
志乃も以前は、まるで怪談話でもするように、女学校の友人たちと騒ぎながら話したものだ。
志乃たち女学生の興味は専ら死神の姿のことで、背は高く般若のような大男だという友人もいれば、よぼよぼのおじいさんだという友人もいた。
でも今となっては、そんな身勝手な噂話をしていた頃が懐かしい。
だって今の志乃には、決してそんな話はできない。
夢か現かわからなかった死神の存在は、現実問題として志乃の目の前にあるのだから。