第6話
目を開ける。いつも通りの日差し,いつも通りの格好,いつも通りの目覚め。エミールの視界にあったのはそれらの中のどれでもなかった。ぼやけた視界が少しずつ鮮明になっていくにつれ、その光景を目の当たりにする。これをなんと形容するべきであろうか。「地獄」という言葉では生ぬるい惨たらしい有様が見渡す限りに広がる。下を向けば、そこにあるのは生気の感じられない死んだ目をして、その至る所に赤黒い液体がべっとりとついた人体の数々であり、近くを見回せば、子供たちが「痛い痛い」と叫びながら傷だらけの体をゆっくりと引きずりながら母親と父親のことを叫んでいる。また、もともと家があったのであろう場所には、瓦礫の山の下で赤い液体が広がる。彼は嫌でも理解する。この人たちは実際に死んでおり、助けを求め、苦しみ、もがいていると。目を、耳を塞ぎたくなった。この光景を一欠片でも感じたくなかった。それでも体は意に反し、それを脳にひたすら知覚させるだけであった。その時。何かにズボンの袖を掴まれた気がした。彼はゆっくりとガクガクと震えながら視線を向ける。そこにあったのは…
???「タ…ス…ケ…テ…。」
生気のない死んだ瞳がこちらを見つめている。苦しい、痛い、助けて。ただそれらだけが激しく伝わる。その刹那、足元にあった数多くの死に体がこちらに視線を向ける。そして、次々に彼らの足を掴んでくる。助けて、助けて、助けて。ただ助けを求めながらジリジリと這い上がってくるそれらにとてつもない恐怖を感じた。そして、それらがすぐそこまで迫ったところで彼の意識は突如として暗闇に落とされた。
エミール「ぐあぁがぁぁぁぁぁ!!!!ガッハア!アガッ!ッーハァ!!」
跳ね上がる。呼吸を荒げ、しばらくその場で硬直する。布団の上に雫が垂れ、ジワリジワリと滲む。寝巻きがやけに湿っていると感じた頃に、大量の冷や汗を体のあちこちに滴らせていることに気づいた。悲鳴を聞きつけてやってきた両親に優しく抱擁されたことで、彼は夢を見ていたのだと理解し、少しずつ落ち着くことができた。後から聞いた話によると、どうやら彼の顔はひどく真っ青で、やつれていたらしい。なんとか自分を落ち着かせると、ようやくいつも通りの朝を迎えることができた。両親に心配されながらも服を着て、靴を履くとまたいつもの公園に向かうため、いってきますの一言をつきながら、玄関の扉を開けた。しかしその道中はとても気が重かった。所々あの夢がフラッシュバックし、その度に肩が竦み、足を振るわせていたのだ。恐怖に足を引っ張られながらもふらふらと公園に着くことができた。どうやら今日は2番乗りらしい。そこにはベンチに座って本を読むジョゼフの姿があった。しかしその顔色はひどく悪い。近づいてくる足音に気づいたジョゼフは本をパタリと閉じると、力なくにこりと笑う。
ジョゼフ「やぁエミール。おはよう。」
エミール「おはよう。」
ジョゼフ「その様子だと、もしかして君も悪夢を見たりしなかった?」
エミール「もしかして、ジョゼフも見たの!?」
ジョゼフ「うん…。」
ジョゼフは「はぁー」っと一息つくと右手で頭を抱えた、頭を垂れて何やら深刻そうに今日の様子を話し出す。
ジョゼフ「おかげで最悪な目覚め。まったく。金輪際あんなものは見たくない。それにしても2人とも悪夢を見るなんて、一体どうなってるんだろ。」
エミール「さぁね。間違いなく昨日のことは何か関係しているんだろうなぁ。」
ジョゼフ「そうだね。ヴィクセルさんの話にあった戦争の様子なんだとしたら、本当に酷いものだった。あの人たちも本来なら、いつもと変わらない日常を送るはずだったのに…。」
エミール「でも、あれは本当に戦争の様子なの?何か確証とかはないのかなぁ。」
ジョゼフ「どう考えても、あんなの戦争の光景としか…。それに、上空を空爆機が飛んでたろ?」
エミール「なんだって!?」
ジョゼフ「見てないの?爆発してたから間違いないはず。」
エミール「そう…なのか…。」
しばらく沈黙が流れる。何を話せばいいのか、それすらも見失ってしまったようだ。パッと思いついたことをエミールが口に出す。
エミール「なぁ、ジョゼフ。もし、もし仮に今、戦争中だったとしたら、だ…だったら…僕たちも、母さんたちもあんなふうn」
ジョゼフ「エミール。」
そこまで言ったところでジョゼフが割り込んでくる。彼の目は明らかに暗くなっていた。いや、暗いと言うより何か黒いものを感じたと言うほうが適切だろうか。殺意とも言えるようなそれは明らかにエミールに対して向けられていた。
ジョゼフ「僕も、おんなじこと考えた。だから、悪いけどそれ以上は言わないで。もう考えたくもない。それにエミールも悪夢を見た後なんだし、余計にしんどくなるだけだよ。」
エミール「うん…分かった…。」
彼の真剣な眼差しはエミールに有無を言わせずそうさせた。しばらくの間2人の間には沈黙が訪れた。何か言い出そうにもどうも気まずく、さらに今朝の悪夢での疲労感が彼らの活力を削いでいたのだ。あまりの気まずさに何か話題を話そうとしてもただ口もとをもごもごと動かすくらいしかできなかった。そんな沈黙が続いていると、何やら何やら話し声が聞こえてきた。そちらを向くとエミールはやっぱりこんな時でも俺たちはここにくるのは変らねぇんだなと思った。ここにくる途中で合流したであろう残りの3人が同じように暗く沈んだ空気を纏わせながらこちらに向かってくる。
エマ「おはよう。エリー,ジョゼフ。」
いつもの彼女とは思えないほどため息まじりの声で挨拶をする。
エミール「おはよ。」
ジョゼフ「おはよう、エマ。その様子だと、やっぱりみんな悪夢を見てるみたいだね。」
ウィリアム「みてぇだな。」
サンドラ「本当になんなの…あれ…。」
ジョゼフ「とりあえず、みんなも揃ったし、一応今日の夢の内容がどんなのだったか言っていこう。」
ウィリアムは声にいつものような元気はなく、サンドラは目に隈をつけている。3人とも絶不調なのは目に見えて分かった。そうして、今朝見た夢の内容を擦り合わせるとオリヴィアのいるあの丘へと向かうことになるのだった。
教えてもらった道を通っていくと、安全にポールの家にたどり着くことができた。コンコンと数回のノックの後、中から優しく彼らを迎えてくれる老人が出てきた。
ポール「おお、お前さんたちかよくきたのぉ。とりあえず上がりなさい。」
そう言われたので彼らはお言葉に甘えて上ることにしたのだった。中に入ると「そこへ座りなさい。」とテーブルの方へ指をさして言われた。彼らは各々空いている席へ着く。少しすると、前会った時のように上からホワホワと白い息を吐き出しているマグカップが差し出された。なぜだか自分たちの沈んだ気持ちも安らがせる温かいホットミルクであった。一口含むと喉を、お腹を、次第に身体中をゆったりと温めていく。なぜかは分からないが、心がどんどんと和ごんでいく気がした。
するとポールは突然話し出す。それも妙に神妙な雰囲気を漂わせていた。
ポール「のぉ、お前さんたち。聞きたいことがあるんじゃがぁ。ええかのぉ。」
ウィリアム「なんだ?ポールさん。」
ポール「お前さんたちの友達の名前はオリヴィアというんじゃよな。」
エマ「ええ…そうだけど。」
ポール「そのこの出身地はリーラットという村なんじゃよな。」
サンドラ「うん…。」
ポール「その子は…」
確信に迫るもので、否定のしようなど微塵もなかった。星の輝きを消さないように、風が吹くのを止ませられないように、命がこの世に芽吹くのを止められないように。それは彼らに今まで集めた真実へのピースを一つのパズルへとつなげ合わせものでもあったのだ。そうしてポールはその言葉を放つ。
ポール「綺麗な青い目に、黄色い髪をした女の子だったりせんかのぉ。」
エミール「…は?」
ジョゼフ「え…なんでそのことを知って…。」
ポール「まさかじゃったとは…。ほとんど確信のないことじゃったが、お前さんたちがリーラットを知っておって、オリヴィアと友達と言っておった時点でほんの一握りでも可能性があると思っておったんじゃ。」
エマ「でも、なんでポールさんがオリヴィアのことを知ってるの!?」
ポール「なんでも何も、オリヴィアはわしの幼馴染じゃったからのぉ。」
5人「…は?」
彼らは驚きふためく。そもそもとしてオリヴィアとポールが幼馴染ということが理解できなかった。華奢な少女と屈強な老人がそういう関係がこの世の理にかなったものであるはずがないのだ。
ポール「思い返せばおかしいことだらけだったんじゃ。お前さんたちが友達に会いにいくと言って着いた先がわしの故郷の跡地じゃったり、その友達がどこにもおらんと思うとったら急にお前さんたちは倒れるし、起きたお前さんたちが友達と会ってきたと訳のわからなんことを言っておると思うとったらその友達はオリヴィアという名前じゃというし。」
エミール「ちょ…ちょっと待てよ!じゃあ、もしかして、爺さんの故郷ってのは!?」
ポール「わしの故郷の名前はリーラットじゃ。」
5人「ええぇ!?」
ジョゼフ「どういうこと!?だってその話が本当だったとしたら、オリヴィアは一体…。」
ポール「お前さんたちに話しておいた方がよさそうじゃな。」
そう言うとポールはコホンと一つ咳払いをして話し出す。それはまるで資料館でのヴィクセルの様子と酷似していた。神妙な顔で、深刻そうな雰囲気で、少し心苦しそうに。そうして彼は答え合わせを始める。
ポール「あれはまだわしがお前さんたちとおんなじくらいの坊主だった頃の話じゃ。わしの父親は狩りを生業としておってのぉ。昔はわしも狩りに連れ出されておったわ。村の友達と一緒に自分たちのいつもを一緒に語り合っておってのぉ。その中の1人がオリヴィアだったんじゃ。オリヴィアはわしの村の中でも群を抜いた可愛さをもっとったんじゃわい。じゃから、あんな綺麗な子を忘れたりなんぞ簡単にはせんわ。もちろんちゃんと他の友達も覚えておるが、それでもあれだけ印象深いのはオリヴィアだけじゃ。その日もわしらはいつも通り会話を楽しんでおったんじゃ。こんなことをしたじゃの、こんなことをしたいじゃのといろいろな。そんな時じゃわい。奴らが来たのは。」
彼のマグカップを握る力が強くなった気がした。苛立ちを隠せず、言葉に怒気が孕み始める。
ポール「当時この国は他の国と戦争をしておってのぉ。その激しさは凄まじいものじゃった。」
ウィリアム「それって、この辺りにクレータができまくったっていう…。」
ポール「知っておったのか?」
ジョゼフ「昨日、資料館に行ってきたんです。オリヴィアの家がどこにあるかとかオリヴィアが一体何者なのかとか。」
ポール「そうかぁ、なら詳しく話す必要はないようじゃのぉ。その戦争はわしたちの村にも被害が及んだんじゃ。この森からはいろんな資源、それこそ食料なんかはここから溢れるほど採れるからのぉ。それに気づいた相手がこの森を焼こうと爆撃機を送り込んだんじゃ。そうして奴らは始めよった。わしらも最初は何が起こったのか分からんかったわい。でっかい音がしたと思ったら、黒い煙が見えてのぉ。怖くなったわしらはひとまず家に帰ったんじゃが、とうとう奴らは村も爆破し始めたんじゃ。いざ家から逃げようと玄関を開けた時にはもうさっきまであったはずの村はなかったんじゃ。辺り一面瓦礫が広がっておって、こんな話をお前さんたちにするべきじゃないと思うんじゃが、たくさんの人が死んでおったんじゃ。わしよりも小さい子ですら、助かっていなかった。わしたちは村から逃げる人の列に混ざって逃げたんじゃが、その途中でも爆破に巻き込まれて死んでいく人たちがおった。そうしてなんとか安全な場所に着いた頃にはもう馴染んだ顔ぶれがほとんどいなかったわい。その中にオリヴィアの姿もなくてのぉ。じゃが、わしは見てしまったんじゃ。村から逃げるときにオリヴィアの真上から爆弾が落ちてきて、目の前で爆発するのを。もうわしは言葉を出すことすらできなかったわい。目の前が友達が死んだのを理解はしたんじゃが、実感は湧かなかくてのぉ。そんな訳ないと何度も言い聞かせたんじゃが、実際目で見てしまったのから酷にも認めるしかなかったわい。オリヴィアは泣き叫んどった小さな子どもを助けようとしとったわい。なんと言っとるかは分からんかったが、優しくなだめてなんとか一緒に逃げようとしとった。そんなあいつが目の前で爆破されて、友達も知り合いもほとんどいなくなって、わしは耐えられんかったわい。じゃが、そんなわしを励ましてくれる奴がおってのぉ。もう亡くなってしまったが、わしの妻じゃ。それからわしらはそのことを忘れんように故郷の近くのこの家でずっと暮らしてきたと言う訳じゃ。」
全てが繋がってしまった。何もかも全てが。今まで集めたかけらがポールの話が進んでいくにつれて元の形に戻っていった。一つの違いもなく、ずれもなく、綺麗に。完全に戻り切ったそれは彼らに全てを理解させる。認めたくない。それが真実だなんて思いたくもない。けれどもポールのように認めるしかないのだ。その真実を。震える声で皆が答えを紡ぐ。
エマ「つまり…つまり…オリヴィアはもう…。」
ウィリアム「死んじまってるのか…?」
サンドラ「オリヴィア…。」
ジョゼフ「まぁ…そうなんだろうね。」
エミール「あぁ、どうしてこうなるんだろうなぁ。」
『オリヴィアは死んでいる』それが彼らの認めるべき真実なのだ。
ポール「おそらく、お前さんたちがオリヴィアと会ったことはたとえ夢じゃとしても、必ず何かの意味があるはずじゃ。」
彼らは俯いたまま何も喋ることができなかった。ポールの言っていることは正しい。しかし、それでもこのまま行けば、彼女と会うのはこれで最後になるだろう。それがたまらなく苦しいのだ。せっかく会えた友達が、まだ話したいのに、遊び足りないのに、いろんなものを一緒に見れていないのに。別れは確実なものになってしまう。嫌だと言いたい。まだ共に時を過ごしていたい。それでも、それでも。彼らはもう歩みを止めることはできないのだ。
エミール「…行こう。オリヴィアのところに…。」
その言葉に彼らは奥歯をキッと噛み締めながら、力強くに頷く。
足取りが重い。頼もしい豪傑の背中の後をついていってるというのに、今までのどんな時よりも足が重いのだ。まるで重り付きの足枷が付いているように体を引き摺るようにして進んでいく。所々歩みを止める。しかし駄々をこねる気持ちをグッと堪えて体をこわばらせながら向かう。そうしてたどり着いてしまう。おそらく最後の時だというのにこの場所はいつにも増して優しく迎えてくれているような気がした。緑の生い茂るカーペット,撫でるように音を奏でる温かい風,そして丘のてっぺんに根を伸ばし、悠々と構える大きな切り株。彼らは切り株に近寄っていく。そして手を添える。
エミール「じゃあ、行ってくるよ。」
ポール「うむ。こんなことをお前さんたちに頼むのもおかしな話じゃが、どうか頼む。オリヴィアを楽にしてやってくれ。」
ジョゼフ「任せてください。」
エマ「うん。」
ウィリアム「おう。」
サンドラ「コクッ」
そうしてエミールは心の中で“唱える”。
「もう一度『星空を見たい』。」
その瞬間、意識が吸い込まれるかのような感覚に陥った。もう激しい眩暈を感じることはなかった。ただ彼らは行くのだ。彼女を救うために。あの丘のあの木の下で忘れられた少女のために。彼女と交わした約束を果たすために。そうして彼らの意識は完全に暗転する。