第1話
紺碧の夜空に浮かぶ星々が各々精一杯輝いている.その光景は誰の目にも留まり、言葉を失わせる。幻想的で美しい景色に人は何を思う。世界の皆々が異なる時間で、異なる場所で、こんな星空を眺める今日この頃。ある者は流れ星に願いを託し、またある者は何十年に一度の彗星や流星群を珍しいと思うだろうか。長い歴史の中、人々は星に意味を持たせてきた。その中でも彼らは世界の誰よりも星に願いを託し、想いを馳せ、その下で約束を交わした。これはある少年少女らがひとときの友と交わした遥か未来まで紡がれる約束の物語である。
少年はその景色に目を輝かせた。母親に抱き抱えられて外に連れ出された少年エミールは夜空に浮かぶ星々に心を奪われた。これまで遊んだどのおもちゃも、これまで見たどんな生き物も、彼の眼前に広がる星空に勝るものはなかった。幼い彼の小さな脳裏に深くその景色が刻み込まれた。こんなにも綺麗なものがこの世界にあったのか。そう彼の世界が一瞬にして広がった。
エミールの母親「綺麗ね、エミール。」
彼は空に浮かぶ小さな光を掴もうと手を伸ばす。しかし、掴んでも掴んでもその手の中に収まることはなかった。何度も何度も手を伸ばしてみては手の中から消え失せるを繰り返す。そこで彼は初めて、夜空に散りばめられた星屑を掴むどころか届いてすらいないことに気づく。これまで興味の湧いたものは全て触れることができた。しかし今夜でどれだけ努力しても届くことのないものがこの世にあると思い知らされたのである。掴めない,届かない,ただ見ることしかできない。それでも彼は失望し、もう嫌だと諦めることはなかった。むしろずっと見ていたい,もっと知りたい,もっと近くで見てみたいと目の輝きを増していたのだ。まだ立つこともできないほど年端もいかず、その景色を綺麗だとさえ形容することもできない。しかし、それでも目を輝かせ、満面の笑みを顔一面に浮かばせ、声にもならない声でその美しさを賞賛した。それからというもの彼は家の窓から毎晩星空を眺めていた。あの時のように手で掴もうとするも掴めない。それでも彼は星空を見られることに感激していた。それだけで十分だった。何日も、何ヶ月も、何年も、彼は夜になれば、星空を眺め、手を伸ばし掴もうとする。毎晩同じように見えて、ほんの少しでもその姿を変えているそれは彼の好奇心を掻き立て、彼の心から退屈を奪い続けていた。
エミール「お!すっごい!今日はずいぶん綺麗にみえてる。…いいなぁ〜。もっと近くで見てみたいなぁ〜。どうなっているんだろうなぁ〜。もっともっと近くで見てみたい。」
気づけば、彼が星空に心を奪われてからはや15年近く経とうとしていた。
ある日、今日も彼は街の中央にある公園に向かっていた。街は商人や店主あるいは主婦や仕事人で賑わい、活気に満ちている。そうして、街中を歩いていると
ウィリアム「あ!おーい!エミール!」
エミール「?…ああ、ウィルか。おはよ。」
彼の幼馴染の1人ウィリアムがエミールの後ろから声をかけ、こちらに走ってくる。
ウィリアム「なあなあ、聞いてくれよ!また新しいやつ見つけたんだよ!ほら!」
と言い、彼は後ろに隠していた握り拳をエミールの前に突き出しパッと思い切り開く。そこにはとても普段見かけることのない、いかにも毒を持つ生き物の典型例ともいうべき虫の姿があった。触ってはいけないというのは火を見るよりも明らかであった。だというのに目の前の少年は触るどころかまじまじと鑑賞しているのだ。
エミール「おいおいこれやばいやつじゃないのか?」
ウィリアム「そうか?すっげぇ綺麗だぜ、こいつ。」
と彼は自分の掌に乗せている得体の知れない虫に目を輝かせ、口から涎が出そうな笑みを浮かばせ、じっと見つめている。そんな彼とは対照に少し引いているエミールだった。
エミール「ちなみになんだけどウィル、どこでこれを捕まえたの?」
ウィリアム「街の外の森。なんか珍しいやついねぇかなーって草むらの中とか探してたらこいつがいたんだよ。こんなのみんなに見せるしかないだろ!?」
エミール「やめときなよ。そんなん見せたらまたエマにあーだこーだ言われるよ。」
ウィリアム「ええぇー。せっかく見つけたのに…。」
そう。何を隠そう、ウィリアムは問題児の中の問題児。いつも何かしらの生き物を捕まえて来ては、友人や家族、挙げ句の果てには街の人にも迷惑をかけている。そのせいで、何もしていないはずのエミールまでもが巻き込まれ説教を受ける羽目になっているのだ。
エミール「前にもおんなじことあったでしょ?ウィルが見るからに危なそうな色のカエル持ってきて、そいつがエマの服に飛びついちゃって、とっても怒っちゃったんじゃないか。」
ウィリアム「あんの時のエマ、傑作だったよなぁ。顔真っ青にして、『ぎぃいやあぁぁぁぁぁ!!!!』とか叫んでさ。その後、なんでかエミールも一緒になって怒られたよな。」
エミール「本当にだよ。『あんたがちゃんと見てないのがいけないんでしょ!』とか言われて面倒だったんだから。とりあえずこいつはちゃんと元の場所に帰してやりなよ。」
ウィリアム「あーあ、せっかく捕まえたのになぁ。まあいいや。エマに怒られるよりか全然いいや。」
エミール「そうそう。じゃあ行こう。そろそろみんな集まってるだろうし。」
ウィリアム「そうだな。行くか。」
時刻は午前9時ごろ。エミール,ウィリアムを含め5人の子どもたちはいつも朝食を食べた後は街の真ん中にある公園に集まって一緒に遊んでいる。今日も彼らは公園に向かう。道中彼らは今朝の虫の話や、昨日見た星空の話など、それぞれの心赴くものの話をする。お互いに理解し合えず話が一方通行な時もあったが、純粋無垢に熱く語るその様子にどこか微笑ましさを感じている。そのようにしていると、彼らは公園に着いた。木々が風に揺られ、地面の石畳の隙間からは小さな草花が力いっぱい地面から生え、公園の真ん中には鉄の柵で囲まれた中で池の水面が太陽の光を受けてゆらゆらと輝いている。人も少なからずいるが、この公園はなんとも言えない静かさを演出している。池の前の木の下のベンチで残る幼馴染3人は遅れた2人を待っていた。
エマ「あ、やっと来た!まったくいっつも遅いんだから。」
ジョゼフ「2人とも、たまには早く来ても良いんじゃない。」
サンドラ「でも、あのノロマ2人が遅いのはもうどうしようもないと思う。」
エミール「いやいや、ずいぶんな言われようだね。」
ウィリアム「何もそこまで言わなくてもいいじゃねぇか。」
サンドラ「文句があるならさっさときたら?ノロマども…。」
エマは遅れた彼らに頬を膨らませ、ジョゼフはエマをなだめ、サンドラは辛辣に遅れてやってきた2人を罵る。これが彼らにとっていつもの光景のなのだ。見慣れたいつもの光景が彼らの1日を始める。
エマ「それで今日はどうするの?」
ジョゼフ「うーん…。昨日は久しぶりにサンドラの家の花畑に行ったから…。その時に西の大通りもついでに見て回ったし。」
ウィリアム「大通りの途中でおばちゃんにもらった串焼き、美味かったよなぁ〜。」
彼らの住む街スターリットは真ん中にある公園を中心に十字に大通りが伸びており、基本的にその大通りを中心に賑わっている。
エミール「そうだなぁ…。反対の東通り行くってのはどう?」
エマ「そう言って一昨日に行ったじゃない。昨日『東通り行ったし、西通りはどうだって?』って。」
エミール「そうだった…。」
エミールはがっくしと肩を落とし、溜め息を吐く。そんな感じで今日はどこへ行くかとみんなで話し合っていると、離れたところから何やらこんな話し声が聞こえてきた。
男A「そういえば知ってるかい?この街の近くの森に"星空が綺麗に見える丘"のこと。」
女A「何?その話。詳しく聞かせてちょうだい?」
エミール「え?何その面白そうな話。」
エマ「あ、ちょっとエミール!」
ジョゼフ「どうしたの?」
ウィリアム「何だ何だ。俺にも見せてくれ。」
サンドラ「はぁー…。呆れたやつ。」
エミールにとってまさにその言葉はトリガーであると言わざるを得ない。スイッチが入った彼を止められず、5人は話し声のする方向へ向かう。すると、そこには仲睦まじい夫婦の姿があった。5人は気づかれないよう近くの草むらに身を潜め、会話を盗み聞きする。
男A「この近くに森があるのは知っているね?その森の奥深くに開けた丘があるんだって。昼間はとてものどかで、思わず眠ってしまいそうなほど心安らぐけど、夜になると雲ひとつなくまばゆい綺麗な星空が広がるって話さ。ここらあたりじゃ、そこが一番星空が見える場所なんだとか。」
女A「へぇー、素敵ね。」
男A「僕たちも今度そこへ行ってみないかい?まぁ、君に勝るものなど、この世にあるはずないんだけどね。」
女A「うふふ。嬉しいこと言ってくれるじゃない。」
エミールの体が突然ガタガタと震え出したので何だ何だと彼に声をかけようとすると、突然バッと顔をあげ、目を輝かせてこちらを向く。
エミール「星空が綺麗に見える丘だって…。そんなの行ってみたいに決まってるじゃん!」
サンドラ「エミール、星のことになると目がない…。」
ジョゼフ「まぁ、それがエミールらしいよ。それに今日行くとこも決まってなかったし、ちょうど良いんじゃない?」
ウィリアム「なら今日はそこに行ってみようぜ。珍しいやつもいるかもしれねぇ。」
エマ「ウィルはそれが目的でしょ…」
エミール「なんでもいいからその丘に早く行こうよ!」
エマ「まったく、しょうがないわね。じゃあ今日は、その丘とやらに行ってみましょう。」
そうして彼らはその丘を目指すために街の近くの森へ向かう。ちなみにその森は西通りの出入り口を出た先半径
数Kmに広がっている大森林である。背丈の高い木々が密集した日差しが少ししか入ってこないような暗い場所で、熊などの危険な動物もいるので用がない限り、街の誰もそこへ近づくことすらしない。もちろん彼らもそのことは知っている。しかし彼らはその好奇心と冒険心,子供心の赴くまま森へ向かう。
〈森の中〉
ウィリアム「出てこい、出てこい、新しいやつ。」
エマ「やめなさいよ、さっきから。何か変なもの出てきたらどうするのよ。」
サンドラ「エマ…ビビりすぎ。」
ジョゼフ「それにしても話にあった丘、全然見つからないね。」
エミール「あれからけっこう歩き回ってるのに、一向に見つかる気配がないなぁ。」
彼らはずいぶん長い時間森の中を歩き回っている。どれほど森の中を突き進んでも、広がるのは鬱蒼と生えた木々や草の光景。静寂漂うこの森は何が起こるか分からないという恐怖に満ち溢れていた。そんな中を数時間歩き続けているのだ。彼らの体力も気力もだんだんと削ぎ落とされていった。本当にここに丘があるのだろうか。実はそんな丘はないのではないか。そう誰もが諦めかけていた時、ふとエミールはそちらへ目を向ける。陽の光が強く差し込んでいるせいか白く塗りつぶされたかのように先がまったく見えなくなっている。
エミール「なんだあそこ。やけに明るいな。もしかしてあっちの方にあるのかも!」
ジョゼフ「あ、まってエミール!」
エマ「ちょっと!どこ行くのよ!」
ウィリアム「なんだなんだ?あっちに何かあるのか?」
サンドラ「…やれやれ。」
全員がそこへ向かって走り出す。差し込む光が強くなっていく。日差しが強くなるにつれ、彼らの足は早くなる。やがて、その光景が眼前に広がる。辺り一面に広がる草のカーペット。雲ひとつもない快晴の青空。そして、丘の頂上にはどっしりと構えている一つの大きな切り株。辺りを包み込むような温かなそよ風。ここが目的の場所だと誰もが理解した。
エミール「ねぇ!たぶんそうだよね!?ここがその丘だよね!?ん〜やっと着いたぁ〜!」
ジョゼフ「そうみたい。それにしてもここは随分と穏やかで良いところだね。」
エマ「ええ、穏やかでとっても素敵なところね。」
ウィリアム「すっげぇぇぇ!ひっれぇぇぇぇ!なんかいないか!?ここか!?いやこっちか!?」
サンドラ「日当たりもいいし、風も心地良い。」
彼らなりにこの場所を賞賛する。拙い言葉で。それでも彼らが考えうる最高の言葉で。彼らの心すらも包み込んでくれそうな優しさがここにはあった。
ジョゼフ「って、僕たち星を見に来たんだよね?こんな昼くらいに来たって意味なかったんじゃ…。」
エミール「ジョゼフ、それって言わない約束っていうのじゃないの?」
ウィリアム「?…なんだあの切り株。」
エマ「何かしら?変ね。」
彼らは不自然に生えた切り株へと近づく。彼ら5人が座っても全然スペースが空きそうなほどとても大きな切り株である。辺りを見回しても生えているのはこの一本のみである。丘のてっぺんに一本だけ生えているのは不自然だ。しかしその切り株の大きな違和感は他にあった。上の部分がまるで焦げたかのようになぜか黒くなっており、断面がボロボロになっていた。
エミール「なんだこの切り株?けっこうボロボロだね。」
ウィリアム「たしかになぁ〜。熊でも来やがったのか?」
ジョゼフ「さすがにないと思うけど。それはそうとして、なんでこんな上の部分が黒くなって…いや、
焦げてるのかな、これ…。」
エマ「本当だわ!焦げてるみたいよ。」
ジョゼフ「とりあえずわかるのはここで何かがあったってことだけみたいだね。」
腑に落ちない点はあったものの、これ以上分かることはなかった。
サンドラ「この切り株は別として、ここ何もないからとっても落ち着く。」
エミール「たしかに。けどこっちの方が好都合。こんな星空を見るのに絶好な場所他にないだろうし。」
ジョゼフ「そうだね。これなら綺麗に星空を見れるっていうのは嘘じゃないみたいだね。」
エマ「ピクニックにも良いかもね。サンドイッチとか作って来ればよかったわ。」
サンドラ「しょうがない。もともとここに来るつもりなかったんだし。」
エマ「それもそうね。いつかここにピクニックしに来ましょう♪」
エミール「とりあえず、少しここで休憩しようよ。随分と疲れたし。」
ジョゼフ「そうしよう。もう足がパンパンだよ。」
と言って、彼らは切り株の上に腰掛ける。風が彼らの体を撫でる。太陽が心地よく彼らを温める。草が風の指揮で一斉に歌い出す。空が曇りなく綺麗な青を浮かべている。そんな素敵な場所で彼らは音も立てず、長い安らぎを得た。そんな中1人が静寂の中に声を発する。
エミール「…夜にここに来てみない?」
エマ「何言ってるの!?夜に森なんか危ないし、お父さんやお母さんに怒られるわよ!」
エミール「だって、僕たちの目的はここで星空を見ることでしょう?だったら、ここで星を見てみたいじゃないか!」
サンドラ「エリー…救いのない星バカ。」
エミール「なんだと!?」
ジョゼフ「流石に夜はだめだよ。エマの言った通り危ないし、夜の森で迷子にでもなったらどうするんだい?」
ウィリアム「俺はいいぜ。夜の森になんか珍しいやついるかもしれねぇし。」
エマ「あんたは黙ってなさい。」
エミール「…それもそうか。あーあ、『ここで星空見たかったなぁ』。」
その言葉が引き金になったかのように、彼らは突然天地がひっくり返るほどの激しいめまいに襲われた。彼らは体を起こしていることができずに地面に伏せる。
エミール「なん…だ…これ?気持ち…悪…い…。」
ジョゼフ「うぐっ。」
エマ「苦しぃ…頭…おかしくなっちゃう。」
ウィリアム「やっべぇ。」
サンドラ「…っっ。」
地面が揺れているのかと彼らは錯覚する。歯を食いしばり、草を力いっぱい握りしめ、頭を抑え、目をきつく瞑り、苦しみに耐える。そうして…そうして…そうして…。気がつけば、彼らを襲っていた激しいめまいは消えていた。なんだったのかと思いつつも、彼らはゆっくりと瞼を開ける。そこには。さっきまでなかったはずのなぜか広がっている。真昼間に見られるはずのないそれが…。鮮やかな紺碧の空にあまたの星がキラキラと輝いている。それはあるいは個であり、あるいは群れを成し、まるで太陽に照らされて煌めく川の流れのようであり、あるいは今にも動き出しそうな何かを形作っていたりと、この世界のどこにもない、ましてや比べることも馬鹿馬鹿しいほどの美しく、荘厳で、壮大な星空が夜空一面に広がっていた。その光景にエミールは自然と涙をこぼす。目を大きく開け、口をぽっかりと開け、時々息を忘れるくらいにその光景に釘付けになり、感嘆する。
エミール「すごい…なんだこれ…こんなものがこの世にあったなんて…。」
ジョゼフ「ああ、すごいよ。こんなにも綺麗な星空があっただなんて。」
エマ「とっても綺麗だわ!ここは夢かしら!」
ウィリアム「すっげぇ!まじでこれは最高だな!」
サンドラ「…きれい。」
ここは現実なのであろうか。夢の世界であるのか。静かで、心地よく、穏やかな昼間の光景とは打って変わり、煌びやかで,厳かで,絵画にも勝る美しい夜の光景は彼らに絶景と言う言葉がこの景色のためにあるのだと思わせるほどである。彼らは立ち上がったまま、指一本も動かせなかった。ただ今は、この景色を見ていたいと。そんな中、彼らではない誰かの声がこだまする。
???「あら?あなたたちは誰かしら?」
声のした方向に目を向ける。するとそこには、金色の髪に、紺碧に輝く瞳を持った白いワンピース姿の少女が立っていた。彼女はまるでこの星空そのものであるかのようだった。美しく佇む少女に彼らは見惚れてしまう。彼女はお姫様であるのか,あるいはこの地に舞い降りた女神であるのか,はたまたあの星空の妖精であるのか。彼らの中で彼女を形容し切る言葉はなかった。彼らのいつも通りの日常であったはずの今日がきっかけ一つで大きく姿を変える。今日は彼らの特別な日となる。これは、彼らの冒険譚の記念すべき1ページ目に飾られる序章である。