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手帖と組紐と勲章と鉱石  作者: yuzoku
組紐の章
9/10

一滴の粒 〜blessed rain〜

 手前の建物は無数に引っ掻かれた白い爪痕が残り、遠くに見える建物は薄い灰色のペンキを被せられたようだ。

 黒い土で舗装された平坦な道に、無数の白いフキノトウが咲き乱れる。

 空を見上げれば、白いキャンパスに灰色をぶちまけただけの殺風景。


 今日は朝から雨だった。だから、歩きながらずっと傘を差していた。ようやく最後の手紙を配り終えた時、急に強く風が吹いて傘の骨はバキバキに折られてしまった。突風を合図にするように、バケツをひっくり返したような土砂降りが始まった。


 ずぶ濡れになりながらも、他に選択肢はないのでトボトボと歩く。


 夜が更けてくると、藍色がどこからから染み出してきた。暗さは増しているはずなのに、景色に少し彩りが加えられる。濃紺の夜空には、点々と白い光が見える。

 巨大な獣が抉ったような白い傷跡が、道に刻まれている。街灯に照らされて、濡れた地面が光りを紡いでいるのだ。

 そんな雨と光の芸術が目に入ってもグルーミイの心が揺れることもなく、ただ記憶に沿って足を進める。


 いつも使っている細い裏道が、冠水で道が塞がれていた。

「僕が帰れる場所なんてないのか。」

 仕方なく引き返す。


 雨の勢いは落ちそうにない。途中、ドアが開いていて雨宿りできそうな建物があったので、吸い込まれるように入る。


 座ってため息をつく。考えごとをする気力もなくかといって眠いわけでもなく。名前のない状態で座ったまま、時間がただ過ぎていく。



 雷が鳴り、今の状況を思い出す。顔を上げるとその部屋には家具などはなく、四方を見渡すと剥き出しのコンクリートになっていた。

 そこで、この建物が最近廃業になった廃墟のビルになったことに気づく。たしか10階はあっただろうか。

 グルーミィは急に屋上からの景色が気になり始めた。雨でずぶ濡れた心を晴らすために、なにか非日常的な刺激が欲しかった。のそのそと立ち上がり、雨で重量を増した足で階段を登っていく。


「おーい、グルミンか?」

 階段の後ろから声が聞こえた気がした。聞き覚えがある気がするが、どうでもよかった。今はただビルを登りたい気分だった。



「ちょっと待てよ!」

 さっきよりも近くで、声がした。鬱陶しい。追いつかれたくなくて、疲れた足をムリヤリ上げていく。



 階段を上り切ってドアを開けると、真っ暗な闇の中に、いくつもの光が見えた。

「キレイだなぁ。あそこ行きたいなぁ。」

 そう呟きながら、光の花畑に向かって歩く。





 そこで突然、歩けなくなった。


 そこに『地面』はないからだ。


 頭を下にして落ちていく中で、グルーミィは今の自分の状況を察する。


 自由落下しているのに、ゆっくりと感じるのは走馬灯に入ったからだろう。


 物心ついた頃の記憶にある場所、出会った人が次々と現れては消えていく。


 小さい頃によく遊んでいた公園。ぐるぐる回る遊具で他の景色は霞むが、向かいで捕まっている友達の顔だけはピントが合ってよく見える。


 学校で行った旅行先で、現地の辛い漬物にびっくりして、ご飯をかきこんでいる風景。


 両親が2人で近所の噂話をしている光景。いつも同じ話だから、いつの記憶は定かじゃない。


 手紙の届け先を間違えてお客さんにバレて、次の日ノスウィンさんに怒られた景色。


 学生時代が終わった後に出て来た人物は、両親と職場の人の思い出だけ。


 最後に見たのは、金色に輝くサックスと、それを楽しそうに吹く男。





 意識が戻る。


 目を開ける前に、背中に何か温かさを感じた。


 それはどうやら『人の手』だった。


 状況が飲み込めず、ゆっくりと目を開ける。目の前に見えたのは、記憶の中でサックスを楽しそうに吹いていた男の顔だった。



「カンテラ?」

「グルミン、目が覚めたか。」

 カンテラの声も顔もリアル過ぎる。どうやら天国でも夢でもないらしい。よくわからないが、10階のビルから飛び降りたのに助かったようだ。


「僕、今どういう状況?」

「一言でいうと、相合傘かな。」

 カンテラの言葉で余計に謎が深まる。


 だがカンテラの顔をもう一度よく見ると、その後ろには開いた傘の内側が見えていた。たしかに傘は見えたが、それでも意味がわからない。視界の右にはカンテラの胸らしきものが見えた。まだ状況はよくわからないのだが、とりあえず自分はカンテラに、『お姫様抱っこ』をされているらしい。情報が増えるたびに、謎が謎を呼ぶ。

 見た目は華奢だがグルーミィは男だ。別に『ソッチの趣味』もないので、この体勢の是非よりも気になることがある。状況を把握するために、頭を左に向けてみた。


「うわっ!!!」

「おい、あとちょっとで着くんだから暴れないで。」

「ごめん」

 起きあがろうとした体は、すぐにカンテラに優しく抑えられた。左側の景色がどうやら空中らしいことにびっくりして、大きな声を出してしまったのだ。


「まさか僕ら、傘で浮いてる?」

「正解だよ、少年。今ちょうど終わったけどな。」


 カンテラが言い終えると同時に、ピチャッと体の後ろで音がした。


「立てそうか?」

「うん。」

 カンテラはゆっくりと腰を下ろし、グルーミィの足を支えていた右手を少しずつ下ろしていく。そこでグルーミィは足の裏に冷たさと同時に、久しぶりに安心感を得る。



「あそこにベンチがあるから座ろう。」

「うん。」


 言われるがまま、グルーミィはベンチに座った。

「ほい。」

 顔を上げると、カンテラは茶色い紙袋を渡してきた。

「コレは何?」

「今日は月が見えないから、グルミンのために三日月を用意したんだ。」

「ごめん、意味がわからない。」

「まぁいいさ。要するに、この前のレストランのお礼だ。」

「カンテラの演奏のおかげで結局タダになったんだから、僕お金使ってないよ?」

「お礼は、奢ろうとしてくれた『心意気』にだよ。いいから開けてみて。」

 促されるまま袋を開けると、中身はクロワッサンだった。こんがりと焼けた三日月を見ると、いつのまにかかぶりついていた。

 最初に歯にあたったパリッとした食感はすぐに崩れる。普通のモノより何倍もの生地を積み重ねているから、ふわふわになっている食感。

 噛んで生地の空気を抜いていくと、少し遅れて感じるバターの甘み。同時に香りも鼻を抜けていく。


 そういえば、まだ夜ご飯を食べていなかったんだったと思い出す。


「おいしいか?」

「うん。」


 暦上は新月。だが、手元にある三日月がグルーミィを優しく照らしてくれていた。


 一面を藍褐に染めきった夜空では、もう雲の有無は視覚ではわからなかった。だがそよ風だけを感じている全身の触覚で、雨は上がったことがわかる。


 今は少年の右頬にだけ、一滴の雨粒が流れ落ちていた。

flurry 1にわか雨、2突風 3動揺、混乱

stationary front停滞前線

blessed rain 恵の雨


gloomyどんよりした天気。陰鬱な。

bright晴れた。明るい。

azure sky 紺碧の空

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