飛空艇 〜乗船〜
薄暗くて大きな空間に、風もないのに男が銀髪を靡かせながらポツンと立っている。脇には大きめの荷物ををがドンと置いてある。
彼はある音に耳を澄ませながら、飽きもせずに周りを眺めていた。お目当てのエンジン音が聞こえてきて、軽く微笑む。
ココは地下のターミナルだった。目の前に停車するその刻を待つ。時間通りに現れた、相乗りの大型車に乗り込む。
ユウドウにとって、その駅は生活圏内だった。だから車が地上に顔を出してから見えてきた窓の外は、知っている道路やお店が続いていた。これからの予定に興奮しているのか、心臓の音がうるさかった。目に入る情報は、普段と何ひとつ変わらない、たいした刺激もない日常の景色なのに。
これから遠くの国へ旅立つのだと思うと、見慣れた地元の景色すら名残惜しくなるんだろうか。
空一面に広がる大小の雲の柔らかさが、旅の後押しをするように優しく微笑んでいるように感じる。
窓の外はずっと芝生に覆われた土手が続いていた。ふいに切れ目が見えると、そこにはのどかな田園風景が広がっていた。農家の出身でもないクセに、地元に帰ってきたような郷愁の念に駆られる。
河を超えた辺りで、ふと心臓の脈動が気にならなくなったことに気づいた。
この状況にも慣れ、平常心に戻ってきたようだ。
ようやく、「空」のターミナルが見えてきた。無機質で巨大な建物が立ち並び、それらが空中回廊で繋がっている。「陸」とは規模も雰囲気も全く違っていた。せっかく静まっていた心臓が、思い出したように自己主張を始めた。
自分が利用するターミナルにつくと、荷物を受け取って手早く降りた。
門に目を移すと、みんな同じようなカートを押しているのが目についた。門の脇に目をやると、空のカートが並んでるのを見つけて、足早に近づく。一番手前のカートを引っ張ってみたが、なかなか動かず、力ませに引っ張る。車輪の滑りが悪くて手入れがなってないなぁって心の中で愚痴っていたが、いきなりすーっと車輪の転がりだしてよろけてしまった。よく見ると、手前の持ち手にはハンドルを下げろと言う表示があった。それがブレーキ解除になっているのだと気づく。カートの仕組みがわかってからは、快適に押せてスイスイと進んでいく。
ふと、子供の頃を思い出した。よく、母親と大きい市場に買い物に来ていた時のことだ。市場ならどこにでも置いてあるカートも、当時の自分にとっては新鮮だった。母親より先にカートを見つけて、決してハンドルを離すことはなかった。
現在の時空に意識を戻すと、無駄にフロントエリアを一周してしまっていた。
さすがに満足したので、大荷物をコインロッカーに預け、1階へ降りる。エレベーターの中で、金髪の男性2人と出会った。これからの肩慣らしとばかりに、異国の言葉で声をかける。
1階に到着して次の目的地の停車場を確認すると、近くのイスに腰を下ろす。隣に座った黒髪の女性が、オレらにとってはありふれた炭酸ジュースを熱心に観察している。
大事な用事を忘れていたので、一旦ターミナルを後にした。
「はぁ〜、極楽だ〜」
思わず漏れ出た独り言も、数キロ先から届く轟音に呑まれ、誰にも届くことなく夜空に霧散していった。
ユウドウは、空港近くにある温泉まで足を伸ばしに来ていた。露天風呂に入りながら見える夜空の平凡さに対して、聴覚の方は時折り飛空艇が飛び立つ機械音が非日常感を告げていた。
ホカホカの状態で空港に戻り、大荷物を預けるために列に並ぶ。思った以上に進まない列に若干苛立つも、こういう時こそ修行の機会とばかりに呼吸法の基本技を繰り返す。
セキュリティを抜けてからは、驚くほど速かった。閑散とした通路を快調に歩く。
搭乗口手前まで来ると、多国語が飛び交う雑踏が待っていた。
待合室の席もほとんど埋まっている。たまたま空いていたイスは、両側を浅黒い肌の男性に挟まれていた。
しばらくすると、ファーストクラスの乗客から案内される。やはりというか高そうな服を纏い、きらびやかな首元をした人達が列を作り出し、受付に丁寧に案内されていく。
甲高い男性添乗員の声が響いた。身分の違いを区切るようなその声が号令の合図となり、一般客が席順に従ってゾーンC、D、Eの順に次々とゲートに吸い込まれていく。
結局最後のグループまで呼ばれなかったFゾーンのユウドウだったが、その分ギリギリまで外の景色を楽しめたからよしとしよう。
ゲートをくぐると、目の前には巨大な赤褐色の金属の建物があった。無骨な金属のパイプが何本も水平方向に並んでいた。
上方を見上げると複雑な形の天井をしており、底面は地面に接地しておらず湾曲している。赤褐色の建物の上にはいくつかの柱で支えられたスカイブルーの流線型の巨大な物体が乗っかっていた。これは建物じゃない、今から乗る「船」だ。
構造は2層式のようだ。初めに目に入った赤褐色の金属部分は、海の船によく似た形をしている。ゲートはその中に繋がっているから、ここが客室部分なのだろう。
その上に乗っかっているスカイブルーは楕円形をしているから、空に浮くための気球部分なのだろう。
初めて見る飛空艇に心躍らせながら、その中に潜入する。
飛空艇は派手な外観に対して、内装は落ち着いた雰囲気だった。自分の席を見つけて座ると、柔らかいイスに興奮の熱が徐々に吸収されていく。
乗り込んでからしばらく経ったが、意外と出発までには時間がかかった。興奮が完全に冷める頃に、同時に眠気が襲ってきた。ブランケットを纏いマスクをし、温度と湿度を保つ。仕上げに耳栓とアイマスクで外界を遮断をする。気配で飛空艇が動き出したのを感じていたが、離陸するより先に夢の世界へと旅立った。