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【 番外編4 王妃アニエルカの話 】

予定外にユストゥス陛下が現れたのは、政務に丁度区切りがついたところだった。


「やあアニエルカ。突然ごめんね。今日は月が綺麗だよ。もし時間があるのなら、月見でもしない?」

「はい、もちろん喜んで」


ユストゥス陛下は時折、こんなふうにわたくしをお誘いくださる。

常は国王と王妃として、それぞれに忙しくしているので、本当に時折ではあるのだけれど……。


婚姻を結んだ当初は、お忙しい陛下に気を遣わせてしまっていて申し訳ないと思った。

けれど、ユストゥス陛下がわたくしにこうしてお時間を取ってくださることは本当に嬉しい。


そして、少し……ほんの少しだけ、寂しい。


義務とまでは言わない。

けれど、ユストゥス陛下がわたくしにこうして優しくしてくださるのは、わたくしが「王妃」だからだ。


例えば、わたくしではなく、別の令嬢がユストゥス陛下の妃となっていても、ユストゥス陛下はそのご令嬢を、わたくし同様に大事にするのだろう。


そう……ユストゥス陛下は「女」としてのわたくしを愛してくださっているわけではない。

もちろん「王妃」として、わたくしは十分大切にされている。二人の時間をきちんと取ってくださるし。結婚して長い間、子が成せなかったというのに、側室や愛妾を作ることもなく、彼の「妻」はわたくしただ一人だ。

夫婦仲も悪くない。お互いにお互いを尊重し合っている……。


だけど、わたくしは、知っている。

ユストゥス陛下のお心の中には愛する方がいる。


先王の側室であったクレメンティア様だ。


不幸にも、先王に手を付けられて、子を成した故に側室として地位を賜ったクレメンティア様。


ふんわりとしたミルクティ色の髪と柔らかな水色の瞳を持つ、はかなげな雰囲気のご令嬢だった。


ユストゥス陛下とクレメンティア様が出会った時には、既にクレメンティア様の腹には子が宿っていた。

それがエードゥアルトとジョセアラだ。


そして、クレメンティア様は二人を出産した後、しばらく経って病死した。


その死の間際に、クレメンティア様はユストゥス陛下に「エードゥアルトとジョセアラを……お願いします」と手を伸ばした。


ユストゥス陛下はクレメンティア様の手をそっと取り「ああ、わかった」とだけ、お答えになった。


お二人が触れ合ったのは、その時、ただ一度きり。


それが、何百の言葉にも勝る愛の告白なのだと……わたくしにはわかった。


だけど、わたくしは、何も言わなかった。

永遠よりも長い一瞬を、歯を食いしばって耐えた。




案内されたのは薔薇園を見下ろすサロンのバルコニー。既にテーブルの上には二人分のシャンパングラスが用意されていた。スタンダードなフルート型のグラスではなく、やや丸みのある形状のグラス。飲み口が広く、香りが広がりやすい。給仕の者がそのグラスにシャンパンを注ぐと、フルーティな香りがふわりと鼻をくすぐった。


「よい香りですね」

「うん。アニエルカ、好きでしょう。こういう果物っぽいさわやかな香り」


礼を言って、そのまま静かにグラスを傾ける。


銀色の月の光に照らされた白い薔薇。昼間とは異なる静謐な空気。

わたくしは、静かにユストゥス陛下の言葉を待つ。


「あのね、アニエルカ。ギード君の話は聞いた?」

「ギードですか? あの子、また何か……」


マルレーネとの婚約をなくした後、ギードはある男爵家に預けたのよね。そこで何かしたのかしら? 


「いやいや、悪いことじゃあないよ。あのね、平民向けの舞台だけどさ。そこでね、王子様役とかやり出して、結構人気、出てきているみたいだよ?」

「え……? 舞台……ですか? それ、あの子が役者になったということですか?」

「らしいね」

 

驚いた。


「台本の台詞……覚えられるのかしらねあの子。学園での試験の結果なんて、見てもいられないほど低かったのに」

「あははははは。アニエルカが気にするの、そこ? なんかね『悪役令嬢』を『断罪』する『王子様』役が多いんだって。だから、大丈夫っぽいよ」

「……まさか、マルレーネに告げた言葉を、一字一句同じにしているのでは……」


何をやっているのかしら、あの子。


……まあ、でも、自分で自分の身を立てているのなら……それはそれで良いのかもしれないけれど。


「まあ、何はともあれ、自活できそうで、親としては良かったってトコロかな」

「そうですわね……」


ユストゥス陛下がシャンパンを飲み干した。


「エードゥくんのところも幸せそうだし。ギード君もなんとかなりそうだし。俺もそろそろ引退後を考える時期かな? エルネストは王太子としては問題ないから、あとは経験を積ませれば……五・六年後くらいには王位を譲っても大丈夫でしょ。何かあったら俺のきょうだいたち、みーんな手助けしてくれると思うしね」

 

引退……。であれば、わたくしも王妃の位をエリーゼに譲ることになる。


「他の異母弟たちもみんな今は幸せっぽいしね。うん、俺の役目はもう終わりだなあ……」


役目。

そう、国王で無くなれば、ユストゥス陛下はもう自由だ。


ずっとずっと……自分のためではなく、責任だけを背負って生きてきた人。

今の今までずっと、ご自分のためになんて、生きてこられなかった人。

当たり前のように、周囲の人間のために奔走してきた。

もう自由に……生きたいのだろうか?


「お役目が終わりなら……あとは自由ですわね。陛下は、どのように過ごされるおつもりで?」

 

たった一人、愛したクレメンティア様を偲んで生きられるのだろうか?

 

それとも……一日でも早く、クレメンティア様の待つ天の国へ行きたいと願うのだろうか?

 

氷の剣で刺されたように胸が痛む。


だけど、わたくしは顔に薄い微笑を浮かべたままユストゥス陛下を見る。

陛下の顔が何故だか曇った。

……わたくし、何か聞いてはいけないことを尋ねてしまったのかしら?


「そう……だね。贖罪かな? 神様に祈るとか」

「はい? 贖罪?」

「うん、そう。死ぬまでの間、俺はできるだけ善行を積まないといけないよね。だけど、どれだけ頑張っても、俺は天の国には行けないから、善行を積むだけ無駄かな? 罪を、償っても償いきれないだろうしね。だったら許されるのなんて諦めて、死ぬまでの短い間だけでも、のんびりと自堕落に過ごした方がいいのかな……」


自嘲気味に呟かれる声。


何故? 


思わず目を見開けば、ユストゥス陛下はふっと笑った。


「だって、俺、親殺しだもん。死後の世界がもしあるとしても、天の国には行けないでしょう」

「それは……っ! あなたが悪いのではございませんっ!」

 

わたくしは思わず立ち上がった。ガタンと音を立てて、椅子が倒れる。

 


前王は、それは酷い方だった。女色に溺れ、散財し、まともに政務は行わず……。この国は、思い出したくもないほどに酷い状態だった。

だけど、国王であるから誰も前王を裁けず……被害者は増えていった。


側室に召し上げられたルイーゼロッテ様とステフィ様には相愛の婚約者がいた。

なのに前王は、彼女たちを奪うようにして、側室にした。


前王妃のコルネリア様は毎日のように泣いていた。ロズリーヌ様だって、わたくしだって……。思い出したくもない目にあわされた。


ユストゥス陛下はそんな前王を無理矢理王座から引きずり下ろし、ご自身が国王として立ったのだ。

半ばクーデターのようなものだった。


「うん。仕方がなかった。当時はね、許せなかったし、俺も若くて血の気が多かった。だから……親を『処分』するのに躊躇は無かったよ。悪を倒す俺は正義だなーんて驕っていたよ。だけど、あれでも親は親だ。俺は、もっと……やり方を考えなきゃいけなかった。少なくとも、異母弟達や母達を巻き込むべきじゃあなかったんだ……」


今この国が平和なのはユストゥス陛下のおかげです。わたくしだって、あなたに賛同し、あなたを旗印に、前王派の者たちを『処分』していった。いいえ、あれはわたくしなりの前王への復讐だった。だから、あなたは悪くはない。あなただけの罪ではない。皆の選択の結果だ。

 

わたくしの喉元まで叫びが溢れてきそうになった。


もう、いいのです。責任など負わずに、貴方の心のまま、自由に、愛する方と共に幸せを願っていいのですっ!

 


だけど、そんな叫びを、わたくしは決して言わない。

 

だって……わたくしだって、ユストゥス陛下を愛しているから。

 

クレメンティア様を選ばないで。わたくしだけを愛して。

そう叫びたかった。ずっとずっと……。


だけど、わたくしはそんな言葉を、これまでただの一回でも、ただの一つでも、ユストゥス陛下に告げたことはない。

表情に出したことすらもない。


言えない。


言葉に出してしまえば、わたくしの辛さも、ユストゥス陛下は背負われてしまう。


愛していると言葉に出せば、きっと困ったように笑って「ごめんね」と言われるのだろう。

愛せなくてごめん。なのに、俺は、アニエルカに頼るだけ頼ってきたね。一方的に支えてもらうだけで、何一つ返せなくてごめんね」と。

 

血の涙を流してでも、わたくしはユストゥス陛下に愛を告げない。


ユストゥス陛下がクレメンティア様を愛している。そのことを知っている、気が付いているだなんて絶対に悟らせない。


無表情のまま、わたくしはユストゥス陛下の足元に跪く。そして、その手を取って、恭しくその手の甲にくちづけをする。深く、ゆっくりと……心を込めて。


「ユストゥス様が償いきれない罪を背負われるとおっしゃるのであれば、その半分をこのわたくしにお与えください」

「アニエルカ……」

「わたくしは、ユストゥス様を支え、ユストゥス様のために生きよと定められた者です。それ以外の生き方を知りません。いいえ、生きている間だけではございません。もし死後の世界があるとしたら、その世界でもわたくしはあなたのお傍に侍ります」

「……死後まで俺に付き合う必要はないんだよ? 俺はアニエルカに迷惑をかけ続けた。自由に、していいんだ」

「必要である、必要でない。それを決めるのはこのわたくしです。わたくしは、あなたと共に在る運命を、わたくし自身で選びました」

 

たとえ愛されなくても。

この愛を告げられなくとも。それでも。


「あなたと共に在ることができるなら、罪などいくらでも背負いましょう。天の国に行けなくとも、地の底で業火に焼かれようとも。わたくしという存在が無に帰すまで、その最後の一瞬までも、お傍におります」

 

いくらでもわたくしはこの心を殺す。

決して告げることのない思いを抱えたまま、わたくしはあなたの側に居続ける。


銀色の月に照らされた薔薇が咲く美しい世界。

クレメンティア様がユストゥス様を待っているであろう美しい天の国。

そこにあなたが行かないというのなら。

ずっとわたくしがユストゥス様のお傍にいられるというのなら。業火にこの身が焼かれるとしても、わたくしは幸せだ。


わたくしは跪いたまま顔を上げ、静かに微笑む。


ユストゥス様は何かを言いかけるように、口を開きかけ……そうして唇を噛みしめた。小刻みに震えるユストゥス様の手と身体。その両目に涙が溢れ、その涙がひと筋、ユストゥス様の頬を流れて落ちた。


「ありがとう、アニエルカ……」

 

小さな声と流れる涙。

それは……月の光よりも薔薇よりも美しい、わたくしだけの宝物。

  







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