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ケース 1

 ある所にジャックという若者がいました。

 幼い頃に両親と死に別れ、遠縁の農場に住み込みで働いていました。ジャックは朝から晩まで働き、他の労働者と共に食堂で出される粗末な食事を取り、夜は狭い馬小屋のようなろくに家具も暖房もない部屋で、狭いベッドに古びた布団にくるまって寝ました。

 ジャックは毎日一生懸命働いていましたが、給料からは家賃と食費が引かれ、ジャックの手元にはいくらも残らず、いつまでたっても貧しいままでした。

「両親がいない僕が、毎日食事ができて屋根の下で眠れるだけ、ありがたいのだ」と、自分に言い聞かせながら、寝る前には神に祈りを捧げていました。

 そんな日々の中で、時々思うのです。

「いつか僕もお金持ちになって幸せになれるのだろうか」


 ある春の午後、ジャックは月に一度の休みを貰って村の市場へ出かけました。

 食べたことのない大きなローストビーフの塊、美味しそうな焼きたてのパンや甘い香りのクッキーが店先に並べられていました。どれもこれも、ジャックのひと月分の生活費くらいの値が付けられています。

 ジャックがポケットの中の小銭を数えていると、呼びかける老婆の声がしました。

「もし、お前さん、金持ちになりたくないか」

 そこには道端のベンチに座った老婆がいました。

 ジャックが一瞥して通り過ぎようとすると、老婆は再び言いました。

「お前さんの未来を見てしんぜよう。お代は5ペンス」

「ばか言っちゃいけない。5ペンスあったらひと月分のコーヒーが買える」

「ならば出世払いで。ずっとこの場所にいるから、お前さんがお金持ちになったらその時に払ってくれれば良い」

「それなら」

 ジャックは、どうせ払えないだろうと思いましたが、占い師の前の木箱に座りました。

 占い師は、頭から大きな布を被り、わずかに皺だらけの顔を覗かせていました。

 占い師はジャックの顔をしばらく眺めていましたが、やがて言いました。

「お前さんは世界一の運命を持っている」

「そんなばかな。今の俺を見てくれよ」

「いいや、世界一だ」

 ジャックが訝しんでいると、占い師は続けました。

「お前さんひとりが金持ちで他の人間は全て貧乏になる未来か、それとも、お前さんを除く全ての人間が金持ちになる未来か、どちらかを選べる運を持っておる。お前さんは今、どちらかを選ぶのだ」

「へえ。そんなこと、自分が金持ちになる未来に決まってるじゃないか。何を好き好んで自分だけが貧乏になるよ」

「なるほど、自分だけが金持ちになる未来を選ぶと」

「当たり前じゃないか」

「よし、その願い、叶えられるだろう」

「ふふん、ばかげたことを」

 ジャックは、占い師の言う言葉を本気にせずにその場を立ち去りました。

「世の中が不景気になると、おかしな輩が増えてくる」

 ジャックはそうしていつものように薄い布団で眠りにつきました。


 翌朝、いつものようにジャックが仕事へ出かけようとしていると、部屋をノックする音がしました。

 このような朝早く誰かと思ってドアを開けると、そこには上等なジャケットを着た見知らぬ男が立っていました。

「貴方は身寄りのなかった某夫人の遺産相続人となりました」

 その訪問者は弁護士を名乗りました。

 何でも、この町一番の大金持ちの老婦人が先月死んだのですが、身寄りもなく、人間不信だった彼女は周辺の人間ともうまくいっておらず、可愛がっていた愛犬が逃げ出した時に無事捕まえたジャックに、全財産を譲るという遺言を残したという話でした。

 そうしてジャックは町一番の大金持ちになったのです。


 広い部屋、ふかふかのベッド、馭者付きの馬車、温かい食事においしいデザート。全てに満ち足りた暮らしでジャックは幸せになりました。

 何不自由ない暮らしをしていたジャックでしたが、ある時、街を歩いていると人々の顔が暗いことに気づきました。

 村人たちは疲れた足を引きずり、道端では穴の空いた古い服を着た子供たちがお腹を空かせています。

 笑顔もなく生気のない貧しい村人たちを見て、ジャックは何だか辛い気持ちになりました。

 自分の屋敷に帰って改めて見ると、屋敷で働く女中も庭師も皆、痩せて疲れた顔をしています。

 女中に訊くと言いました。

「私は旦那様から充分なお給料を頂いています。でも、高い税金を取られ、両親も兄弟も一族皆貧乏で、私の仕送りがなければ暮らしていけません。私は欲しいものを我慢して毎月仕送りをしているのです」

 ジャックは、執事を見ました。

 執事は無言で頷きました。

 他の使用人たちの顔を見ても、皆、一様に頷いています。

 ジャックには、どんなに贅沢をしても使い切れないお金があったので、使用人の給金をもっと多くあげることにしました。また、村の困った人たちに無金利でお金を貸したり、会社に投資をしたり、教会や学校に寄付をしました。

 それでもまだ、村人たちは貧しいままでした。

「どうしたら村人の力になれるのだろうか……」

 ジャックは悩みました。


 ある朝、ジャックは市場へ出かけ、以前占い師の老婆と出会った場所へ行きました。

 占い師は変わらぬベンチで布を被り木箱を置いて座っていました。

 ジャックが前に立つと、占い師は言いました。

「占いは当たったようだね。で、金持ちになったから代金を払いに来たのかい」

「ええ、代金は払います。でも、もう一度、占ってください」

「どういうことだね」

「私は占い通り大金持ちになりました。でも、私以外の周りの人間は皆、貧乏で苦しんでいるのです。もう一度、やり直してくれませんか。私を除く全ての人間が金持ちになる未来を選びたいのです」

「何を馬鹿なことを。そんなことを言う人間は初めてだ」

「いくら自分が大金持ちになって満ち足りた暮らしをしていても、周囲の人が不幸なら、私は心から幸せを感じられないのです。たとえ私が貧乏でも、周りのみんなが笑顔で幸せでいてくれるほうが、ずっといいと思ったのです」

「……ふうむ。よかろう。ただし、料金は高いですぞ」

「ええ」

「ならば、今のお前の全財産を」


 翌朝、ジャックが目覚めると屋敷に数人の男たちが押しかけてきました。

「貴方が遺産相続した老婦人が多額の借金を残していたことがわかった。今すぐ支払っていただこう」

 その借金は、土地家屋、畑を全て売り払った金額と同じでした。ジャックはあっという間に無一文になりました。


 ジャックは、以前働いていた農場でまた働くことになりました。以前と同じ、古い馬小屋に住み、粗末な食事で暮らしました。

 ジャックが貧乏に戻って間もなく、村で金鉱が発見されました。そのおかげで村は裕福になり、税金も安くなって、村人も皆、裕福に暮らせるようになりました。

 ジャックは変わらず貧乏でしたが、構いませんでした。

「村に活気が戻って明るくなった。皆、幸せそうだ。これで良かったんだ」

 ジャックが貧乏暮らしをしていると、ある日、農場主が来て言いました。

「家を建て直したから、これからはそこに住んでくれ」

 ジャックは自分専用の小さな小屋をあてがわれました。質素な小屋でしたが、柔らかなベッドも薪ストーブもある居心地のいい部屋でした。

 給料は少なく貧乏なのは変わりませんでしたが、暖かい部屋で暮らせるだけ幸せだ、とジャックは思いました。

 そうしたある日、繊維工場を経営している男がやってきました。大金持ちだった頃に投資した会社です。

「あの時投資してもらったおかげで工場を広くし新しい機械を買い、会社が大きく成長しました」

 経営者はそう言って、真新しい綿のシャツを毎月くれるようになりました。

 またある時は、以前雇っていた女中が訪ねてきました。

「お屋敷にお勤めしていた頃にいただいたお給金のおかげで、実家のパン屋が潰れずにすみました。おかげで今は繁盛しています。両親の店のパンを食べてください」

 そう言って、ふっくらした焼きたてのパンをくれました。

 またある時は、屋敷の執事だった男が訪ねてきました。

「旦那様が息子の大学資金を出してくれたおかげで、息子が都で医者になれました。体調が悪い時はいつでも相談してください」

 彼は都土産の珍しい菓子と洒落た手袋をくれました。

 また別の時は、庭師だった男がやってきて、果物をくれました。

 そうやって、ジャックが金持ちだった頃に親切にした人が訪ねてきては、食料や衣服、足りない物をくれるようになりました。

 ジャックはいつまでたっても貧乏でしたが、周りの人々のお陰で幸せに暮らしました。

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