表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Marlboro

作者:

(……秋……)


 私は眩しい紅に瞳を細めた。細い枝に必死にしがみ付いているそれは、まるで紅葉のようだ。その隣に立っている木の枝にいる黄色い葉は、イチョウのようにも見える。

 ……私一人が通る事さえ困難な、そんな小さな四角い窓の外から見える世界なんてそんなものだ。この部屋に監禁されてからどれほどの年月が経ったのだろう。何故私はこんな所に入れられてしまったのだろうか。


 私はまず私の事について考えてみる事にした。私の国籍はフィリピン。別にハーフだという訳じゃないから、私の肌の色は家系に忠実な黒色だ。名前は……。名前をつけてくれるような親はいないし、自分で自分の名を付ける前にここに閉じ込められてしまったから、まだない。そうだ、「ない」のが私の名前だ。何だ、もうあるじゃないか。

 ここで思考は一旦休止した。これ以上考えられるようなものがなかったからだ。私は捨て子で、貧しい黒人だから、大切な個人情報など持っていない。失くすものがないのは寂しい事であり、だから失くさなくてすむ事は喜ばしい事だ。


「お前は黒人だから、この檻の中にいる」


 ライフルを肩に掛けながら、軍人らしき格好をしていた男が私に向かってそう言っていたのを思い出す。確かあの男は肌の色が白かった。私を捉えた人達も肌が白かった。ああいうのを白人と言うのだと、同じ黒人である誰かが、裏路地で固い黒パンを齧りながら呟いていた。


「私が白人、なれば、ここから出られますか」


 黒い錠に手を掛けながら私はその軍人に向かって言った。私が監禁されている部屋はすすけていて、とても汚かった。水溜りがないから私は私の顔を見る事が出来ないけれど、きっと今の私は凄く汚いのだろう。


「馬鹿にするな。お前が白人になれる訳がない。憲法とやらの改正でものんびり待つんだな」

「のんびりしてたら、お腹空いて死にます。私、ここから出たい」


 軍人は私の顔と体を見てから、嫌そうに少しだけ顔を顰めた。私はその変化をすぐに見破ったからそれを知っている。薄い布一枚だけのワンピースを着た私はお風呂にも入れず、垢が詰まった指先がどうしても好きになれなくて、この前爪を割ってしまった。その傷口が何故か今になってじゅくじゅくと疼く。


「これを見ろ」


 軍人は胸ポケットから小さな箱を取り出すとそれを私に見せた。縦長の白い箱には何か文字が刻まれているが、学のない私には読めなかった。


「わからない」


 私がそう言うと軍人はズボンから小さな何かを取り出し、親指を縦に滑らせた。チッ、という何かが擦れた音がしたと思えば、細い線のような橙色の炎がゆらゆらと揺れた。私はまた、わからないと言った。


「ライターも煙草も知らないのか。……まあこれは軍人や富豪にとっての嗜好品だからな。ストリートチルドレンで、しかもこんなとこにぶち込まれてるようなお前じゃあ、わからないだろうさ」

「…………」


 軍人は煙草と言われる箱から、白くて細い棒を一本取り出すと口に咥えた。そしてそれの先端に細い炎を押し付け、鼠色の煙をくゆらせる。私の鼻腔が苦い香りで満たされていくのがわかった。


「エム、エー、アール、エル、ビー、オー、アール、オー」

「…………」

「マルボロ。煙草ってのにも色々種類ってもんがある。でもこれは特別な煙草でな」


 軍人は錠を掴んだままの私の手を見ると、にやりと笑った。私は首を傾げる。軍人が一歩前に出たと同時に、手の甲に電撃が走るかのような痛みが広がった。思わず悲鳴を上げる。男はぐりぐりと煙草の先端を押し付け、火が消えた事を悟ると私の方へと投げ入れた。肌が焦げた匂いが何ともおぞましい。


「この文字は馬鹿な黒人が逆さに吊り上げられてるんだよ」

「やめて、やめて」

「公開処刑。この箱が白いのは何故だか知ってるか。それはな、吊り下げられた馬鹿な黒人を白人がせせら笑うって意味なんだよ」


 それだけ言うと、軍人は高笑いを上げながら去って行った。水が地面に落ちて潰れた跡のような焦げ方をした私の手の甲。私はそれをもう片方の手で庇うように覆って、両の手を胸元に寄せた。


 くしゃくしゃに折れ曲がった煙草の吸殻を見て、窓の外で呑気に揺れている木の葉を見て。自分の荒い呼吸を聞いて。


 私の心の奥は怒りで燃えていた。白人への怒りではない。でも、白人への怒りだって少しは混じっているのかもしれない。忘れるものか。今日この日この刻の事を、忘れるものか。いつか白人を見下してやる。白人め、国め、憲法め。……ああ、この世の全てが憎らしい!

















































































































 明るく差し込む斜陽。それを体全身に浴びられる日。今日は明るい記念日になりうるのかもしれないのだが、私にはとてもそうとは思えない。憎しみにみちた記念日だ。

 白人への贔屓、黒人の迫害。政府の働きでそれは最低限抑えられるようになったのだ。だから私はこうしてきちんとお風呂に入った綺麗な体で、綺麗な真新しい白のワイシャツと黒いズボンを着ている。しかしそれを誰かが祝福してくれる訳ではない。だって牢獄が友達だった私にはそういうものがいないから。

 すれ違いざまにまるで異物を見るかのような目で、私を見る白人がいた。私はそれを横目で見ただけで、特に何も言わなかった。


 私はとある自動販売機の前で一枚のコインを握っていた。牢獄を出る際にあの軍人から貰ったものだ。どうやらあそこで監禁されていた黒人達は、皆今日解放されたらしい。しかし無一文で町に出す訳にもいかず、政府から少しだけのお金と衣服が給付された。私が握っているのはそのなけなしの金だ。

 少し深呼吸をしてから、自動販売機のコイン投入口に一枚のコインを入れる。ちゃりんと何かが着地する音がした。光るボタンの内、目ぼしいもののボタンを押す。……自動販売機の使い方はあの牢獄に入れられる前、路上で生活していた時にそれを大人が使っているのを見ていたからわかる。

 落とされた商品を拾い上げて、その場で封を開ける。私がこんな事をしても誰も咎めないのは、私がいつの間にかに成人してしまっていたからだ。


「そうだ、ライター……」


 ライターがないと意味がない。という事に気付くと、何故だか私はとても可笑しい気持ちになってきた。クスクスと笑い声が零れる。


 私は手に持っていたそれを地面に転がすと、力強く踏み締めた。ぐしゃりと何かが潰れる音がした。私は潰れてしまった煙草(それ)の箱をじっと見詰めてから、にっこりと微笑みながら今日覚えた言葉をそれに掛けた。軍人が言っていた言葉だから、私が使うような途切れ途切れの言葉ではないだろう。


「Congratulation. So long!」(おめでとう。またな!)


 私が過ぎ去った後には、醜く潰れたマルボロがある。いつか私は白人を吊り上げて、笑ってやろうと思った。いつかきっと、黒いマルボロだって出て来るだろう。……醜い白人どもめ。





 空を見上げると、そこには青空を一直線に走る飛行機雲があった。


 道の隅に転がる私の涙を誰も知らない。

お目汚しすみませんでした。こんな小説でも読んでいただければ嬉しいです。

眠いなまこを擦りながら打ち込みました。少し楽しかったです。

そろそろ長編をやらないといけないのに短編に(うつつ)を抜かしている今日この頃。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ