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第1話


 世の中は理不尽だらけだ。


「私達はもう婚約してるしぃー」

「私はもう嫁ぐから隣国に引っ越すしぃー」

「つまり、あなた以外、誰もいないってことなのよね」


 これだけの人数に囲まれた記憶がなかった。あまりにも威圧的で、まるで無機質で冷たい壁みたいに感じる。そしてなにも言えない自分も、やはり壁の一部といえた。


 カナレットは自ら望んで孤児になった稀有な少女だった。


 幼少期から弟ばかりを可愛がり、自分を邪魔者扱いする両親の直接的な暴力に耐えかねて、夜も明けきらないうちに着の身着のまま逃げ出した。


 道端で野垂れ死んだって構わない。


 愛してくれるはずなのに愛してくれない人の傍にいるより、愛してくれるはずのない人達に愛されずに素通りされるほうがよっぽどマシだった。


 けれど、世の中には親切な人もいるもので、カナレットはいつの間にか道端から拾われて女学校の寮に住み、教養を受けている。案外、人生捨てたもんじゃない。


 しかし、やはり嫌な性格の人間は少なからずいるもので、制服を卒業生のお下がりで揃えてもらったからやや傷んでいるというだけで、新入生の頃から異端児と見なされて嫌がらせをされてきた。


 そんなもの、どうでもいい。気にしなければなんとかなる。


 そう気丈に振る舞っていたツケが、まさかこんなときに回ってくるとは──。



 それは数十年、いや数百年に一度あるか、ないかの国の一大事だった。


 この世界には神が住む別の世界があって、そこにひとり、ずっと独身を貫く男の神がいる。



 そして、その神がとうとう結婚相手を探し始めたというのだ。



 神が結婚相手を探すとき、国がひとり花嫁を提供する取り決めが世界ではなされていた。

 そして花嫁を提供する国は順番が決められていて、今回は奇しくもカナレットが住むガカ国が提供の番だった。


 ガカ国は騒然とした。


 花嫁は10代の純潔と決まっている。誰が花嫁という名の生贄になるのか?

 自分の娘は無理だ。

 私は無理。

 私だって無理。

 どこかにいないかしら。


 悲しむ親も家族もいなければ、婚約もしていないような都合のいい子は。どこかに。


 それが世論だった。

 学友達に囲まれて凄まれなくたって、カナレットの花嫁行きは、ほぼ決定していた。


 だからこうして、あれよあれよと政府お抱えの化粧師に身なりを整えられている。

 人生で初めて宝石を身に着けたのが生贄になる日だなんて、人生ってなんなのだろう。捨てたもんじゃないと思っていた日々が、こんな結末を迎えるための繋ぎでしかなかったのだとしたらやるせない。


 あの日、家に置いて逃げたはずの虚無が這いよってくる。


 とうとうカナレットは虚しくなってしまって、頭からベールを掛けられなければ崩れた表情を皆に晒すはめになっていた。


 神の世界へは、ある滝壺が繋がっている。

 湖の中にぽっかりと穴が開いたような滝で、真上から見れば円を描いている。浴槽から栓を開け、水を抜いているみたいに落ちていく滝の底は暗くて見えない。深すぎるのだ。


 カナレットは、そこに落ちなければならなかった。


 誰にも見送られず、真夜中にひとり乗った手漕ぎボートで湖をたゆたう。


 きーこ、きーこ。


 死ぬために、なんでボートを漕いでるのかしら、と思いつつ、手を止めてもどうせ国からは死を望まれていて戻る場所なんてないと嘆きつつ、結局は進み続けるしかないのだ。


 きーこ、きーこ。


 夜の湖はとても寒い。

 ウェデングドレスはとても薄くて肩が出ていて、白粉を叩いていなくても肌が真っ白になった。ベールの内側で息が白くなっていく。


(少しくらいいい思いさせてくれたっていいじゃないのよ。お酒だったり豪華なお食事だったりさぁ!)


 元来、気の強い性格である。釣り上がり気味の目に、少し尖り気味の犬歯、細身の体に黒の髪と黒の瞳。それらを愛されない理由のひとつだと知っているだけに腹が立つ。生まれ持ったものではないか。そんなものを理由に実の両親から嫌われるだなんて、理不尽にすぎる。この国が華やかな髪と瞳こそ美とする風習があるから、鴉のような濡れ羽色の髪は好まれなかったのだ。


(腹立つな、本当に! ええ、ええ、死んでやりますよ。死ねばいいんでしょ、死ねば! 呪ってやるからなクソが! 末代まで呪ってやる!)


 きーこ!

 きーこ!

 ぎーこ!


 むしゃくしゃとオールを動かしていると、ふと流れが早くなった。滝に近付いたのだ。もはや漕がなくとも、漕いでいた以上の速度で進んでいる。


 ふう、と息を吐いた。

 オールを手放して、ボートの上に立つ。


 空を見上げると、笑っているみたいな、裂けた口のような三日月があった。


「なによ」


 せめて月くらい笑ってくれるな。

 どうか月くらい泣いて欲しい。可哀想なカナレット。ああ、可哀想に。愛していたよ。

 そうやって嘆いてほしい。

 そう思うのに、月は妖しく輝いている。


 水飛沫が空気をより冷やしている。

 目を閉じると、轟音のような滝の音が聞こえた。


 がくん、とボートが前傾になったかと思うと、あとは浮遊感だった。


 目を閉じていればすぐに終わる。

 苦しいのはすぐに終わる。終わればなにもない。きっと、楽になる。


 だから、早く終わって──……。




 ……ん?


 すぐに冷たい水に叩きつけられて沈むのかと思いきや、カナレットはいつまでも落下し続けていた。


 辺りに水はなくなって、見上げると暗闇の中にポッカリと開いた穴がある。そこから、湖から見えた空が覗いていて水が大量に落ちていた。今はなにもないただの暗闇だ。


「はい!? な、な、な、どういうこと!?」


 空に向かって手を伸ばすが、なにも掴めない。


 月が笑っているだけ。



 そして突然──世界が白くなった。



◇◆◇◆◇◆



 どすん、と落ちたのはどこかのホールだった。学校の体育館のように広くてなにもない真っ白な空間。影さえ生まれない奇妙な場所だった。

 白色の床に紫色で描かれた魔法陣があって、その中心にカナレットはいた。


「……君が花嫁かい?」


 ふと声を掛けられ、振り向くとプラチナブロンドを分けた色白の男が立っていた。


 黒色のシャツに黒の上下を合わせた彼は口元に微笑みを携えている。モノクルを右目に掛けた彼の眼差しは髪と同じ銀色で、笑顔なのにどこか鋭い。虹彩が蛇のように細長くて珍しかった。


「僕はリフ。ここではリフ(じん)と呼ばれてる。僕が今回、花嫁探しをしていた神だよ。これからよろしくね」

「……ふつつかものですが、よろしくお願いいたします」


 まさか本当に神がいるとは思っていなかったので仰天した。むしろ外見は普通の人間にしか見えないので、神であるとは俄には信じられない。とにかく挨拶をせねばと儀礼を尽くしたが、果たして神の世界でもこれが常識なのかわからなかった。


「ここは滝から繋がる唯一の人が通れる部屋なんだ。おいで。僕達の部屋に行くついでに、少しばかり、この世界を案内してあげよう」

「お願いいたします」


 リフがスマートに左腕を差し出したので、カナレットは迷いつつもその腕に手を掛けた。ウェデングドレスに合わせた靴がとても踵の高いものだったので、この支えは非常に助かった。


 部屋を出ると、そこは森の中だった。


 太陽が昇り、風がそよぎ、艷やかな芝生が踊る。木々や花々が咲き乱れ、美しい光景が広がっていた。


「歩くのは疲れてしまうね。少し浮こうか」

「えっ、浮く?」


 と聞き返したときには、もうふたりは空中に浮かんでいた。眼下に広がる森林に驚いて、カナレットは咄嗟にリフの腕に抱きついた。リフはそんなカナレットに優しく微笑んで、頭を撫でたその指で頬に触れた。


「びっくりした? 大丈夫、離さないから安心して」

「は、はい」

「さあ、ここが僕らの世界だよ。ここが人間の世界との入口の森。色によって神がいる場所がわかるんだ」


 見回すと、そこは様々な色に分けられていた。

 世界の中心に緑の丸い森があって、色の世界が風車のひとつの花弁のように真っ直ぐに扇状に伸びている。花弁同士の境界線ははっきりと分かれていて、色鮮やかだ。黄、桃、赤、オレンジ、黒、青、紫、白がある。リフは黒を指差した。


「僕の世界は黒だ。他の神の土地へは、ひとりで行ってはいけないよ。殺されてしまうからね」

「わかりました」

「その代わり、黒の地ならどこへでも行っていいから、理解してくれると嬉しい。窮屈かもしれないけど、黒の世界だけで大丈夫そう?」

「もちろんです」


 ただでさえ寮以外に居場所はなかった。学費を免除されている学生など、学校の肥やしにもならないから疎まれていたのは知っている。政府の孤児救済措置のおかげで学べていただけだ。


 政府に生かされ、政府に殺される。

 どんなに世界が狭くたって、その理不尽に耐えたのだからどうだっていい。


 だけれどリフはカナレットの理解を諦念とは捉えなかったようだ。


「いい子」


 微笑み、また頬を撫でた。


「じゃあ、僕の地へ行こう。このまま飛んでいくよ。しっかり掴まっていてね」

「わかりました」


 リフが、くんっとほんの少し宙を蹴ると、ふたりはそのまま黒の地へと進んだ。空を飛んでいるのは不思議な感覚で夢でも見ている気分だった。


 色の世界にはそれぞれ一際大きな城が建っていて、どれもデザインが異なる。もちろん黒の地にも漆黒の尖塔の多い城が聳えている。


 ふたりは城の前庭へと降り立った。さらに中へと進んでいく。


「実は神族は男しか産まれないんだ。だから身の回りの世話をするのも全員男だけれど、どうか気負わないでほしい」

「い、いえ、自分のことは自分で──」

「じゃあ僕がやってあげよう」

「やっぱり使用人の方に助けていただきます」

「そう? 残念」


(残念って……)


「僕の花嫁、ここが我が家だよ」


 真っ黒な扉を押し開けながら、カナレットを室内へと(いざな)った。


 そこはやはり漆黒の城内だった。


 壁も床も天井も扉も真っ黒。

 床に敷かれた絨毯も真っ黒。

 飾られた絵画も真っ黒で、カナレットは最初、額縁だけを飾っているのかと思ったほどだった。


 そして、そこに使用人と思しき3人の男達が並んでいる。彼らも、やはり見事に着付けているものがすべて黒で統一されていた。

 その中のひとりが頭を下げた。


「はじめまして、ユトリロと申します。この度、あなたの執事を命ぜられました。どうろ、よろしくお願いいたします」


 ……若干、呂律が回っていないところもあったけれど、カナレットは深くは追及しなかった。20代くらい、茶髪、濃い眉で彫りが深く、目元に影が落ちているため、どこか陰鬱そうな雰囲気を醸し出す男だった。

 カナレットは礼儀を尽くして美しく礼をした。


「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

「そういえば、君の名前は?」


 リフに訊ねられて、そういえば名乗るのを忘れていたと慌てる。なんて失礼なことをしてしまったのか。


「これは、なんという不敬を……。カナレットと申します」

「そう。カナレットか。美味しそうな名前だね」

「え、美味し……?」

「オムレットみたいだ」


(あ、響きが)


 そんなことを言われたのは初めてで、カナレットは思わずはにかんでしまった。そして我慢できず、笑ってしまう。


「ははっ、そうですね。確かに美味しそうな名前です」


 その笑顔を見て、リフは笑みを深くした。

 なんとも優しげな笑顔だ。


「少し、ふたりで話をしよう。これからのことを伝えなくてはいけないから。ユトリロ、彼女の普段着は用意してあるよね。着替えたら呼んでくれるかい?」

「畏まりました」


 リフは視線を移して、ユトリロの隣にいた赤毛の男性を見た。肌が白いため、夕陽のような赤毛がよく映える。


「ダイクは軽食を」

「オッケーぃ」

「ダイク」

「え? あ、は、はい、畏まりました」


 急に恐縮した彼を諌めたのは、さらに隣にいた男性だった。髪をばっちりと固めた彼は透き通るような瞳を持つ濃い紫色の髪をしていた。頭脳明晰とでもいえばいいのか、この人には一枚も二枚も負けていると思わせる迫力がある。


「バジールは診察の準備を。健康状態に問題がないか診てくれ」

「畏まりました」

「彼は医者でもあるんだ。具合が悪くなったりしたら、バジールに言うといいよ」

「お心遣い感謝します」

「では、カナレット奥さ──ひっく……! 奥様、こちられどうぞ」


 ユトリロに促されて歩き出す。


(……絶対に酔ってる、この人……)


 少し不安になりながら、黒い城内に生まれた白い花嫁は歩みを進めていた。

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