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アスペルガー京大博士エッセイ集

私の誕生日に寄せて

作者: 小島 剛

 1976年、私は生まれた。すでに児島家には姉が居て、父は母に「オマエが2人も育てられるわけがねえ」などといっており、私を作るのに消極的だったようであったが、母が「どうしても産むんだ」と言って私を地に生ぜしめたという経緯があったようだ。ところがうちの父は調子がいいのか、私が母の胎に居ることがわかると、ウザいことに毎日産婦人科まで仕事帰りにやってきて、最近盲腸の手術をやったばかりで腹が痛いなどといいながら喜んでいたそうだ。当時、鉄道の変電所で肉体労働をしていたせいで父の服は薄汚かったので、周りのお母さんたちのベッドはきれいなのに、母のベッドだけ黒っぽくなったという。迷惑である。



 そして、生れてきてみると、私は4000グラムもあり、母は大変な思いをして産んだそうである。母は、繰り返しこういっていた。「オマエは苦労をかけたけどねえ、オマエが生まれたとき、かあちゃんはホント嬉しかったんだよ。苦しかったのなんか忘れちゃうんだよ」。そして、父の悪い癖で、当時何かと母を馬鹿にする言動をとっていたそうであるが、この時ばかりは「お父さんが『オマエがこんなにいい子を産むとはなあ』って言ってた」そうである。


まさに、

「女は子供を産むとき、苦しみます。自分の時が来たからです。しかし、子を産んでしまうと、一人の人が世に生まれた喜びのために、その激しい痛みをもう覚えていません」(ヨハネの福音書16:21)

である。


 この顛末は母の口癖で、このように言われるたびに私は、自分が無上に肯定されるのを感じていた。このような肯定が生への意志を生む。けだし、いかなる贅言よりも最上の教育と言えよう。



 そんなわけであるから私は「存在は善である」と言ってはばからない。カルヴァンのようなケチ臭い邪悪な坊主は、堕罪についてばかり強調し、救いにあずかれるのは少数であるなどといっているが、見よ、創世記第1章27節「神は人をご自身のかたちとして、創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された」、31節「神はご自身が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日」と書いてあるではないか。



 確かに原罪もある。だが、それは後付けである。そもそも、神羅万象すべてが良い。神が見て「良い」と言ったのだ。良くないことがあろうか。しかも人間は特別である。


「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです」(エペソ人への手紙1:4)。


 「私たち」である。この手紙を書いたパウロだけではない。もとより人間には傷はない。産婦人科で日々生まれてくるあの神秘に満ちた存在は、すべて全き善である。


 ところが、現代社会はまことに複雑怪奇であり生を享けているのに全く祝福もされず、殺処分されてしまう子が多いというのである。もちろん私は、ゴリゴリのプロライフ派ではないから、いかなる子供も絶対に産んで育てなければならないなどとは言わない。だが、事情はもっと深刻なようである。



 私はこういった事情を沖田×華著『透明なゆりかご』(講談社)という漫画で、最近改めて知った。



 例えば、第2話「野良妊婦」はこんなである。沖田の勤めていた産婦人科に駆け込みで妊婦がやってきたが、健康保険証も母子手帳も持っていない。いわゆる「ワケアリ」と看護師たちは見る。出産はするものの、子を置き去りにして妊婦が逃げてしまう。記録しておいた名前も住所も電話番号もデタラメである。その後女性は不倫の結果妊娠していたことが分かり、男は逃げてしまう。しかし、はじめは子を愛せなかった女性も徐々に愛情がわいてきて子を引き取り、帰る。ところが、これで問題解決かと思いきや、この子が一週間後に死んでしまう。沖田以外の看護師は虐待を疑うが、沖田は添い寝中に授乳したことによる窒息死で純然たる事故ではないかと考えるところで話は終わる。



 私が「問題あるな」と思うのはやはり男の態度である。男が子を愛していないのはもちろん、その不倫相手の女性を愛していたのかもどうにも怪しく思われる。「よくあること」で済ませたがる向きもあろうが、一つの命といえどもそれ自体が世界人類史上に二度とは現れない奇跡である以上、このようなことを読んで改めて命を軽んずることの悪や醜怪さを私は感じずにはおれないのである。この漫画にはその他さまざまな、生命の誕生をめぐるドラマが沖田の透徹した観察眼を通じて描かれる。絵は上手とは言えないが表現に力があり、心理描写が緻密で、妊婦・家族・医療スタッフ等のこころの変転を知るのに格好のテキストとなっている。



 種々事情はあろうが、こと子が生まれるということ、「無=有」という矛盾命題を平然と成り立たせること、理性では説明すらできないのに当たり前のようにそれをやってみせる神の御腕への畏敬を現代人は忘れたように思う。先ほどの「ヨハネの福音書16:21」を見るがよい。「自分の時」が出産の都度来ているのだ、かけがえのない固有の「時」が。では「時」とは何か?それは天地創造第六日目のことだ。神は天地を、人間を創造した。子供が生まれるたびに創造の御業が繰り返されているのだ。昔産まれ、今産まれ、これから生まれる歴史上あらゆる子が「神のお手製」で、「鼻に命を吹き込まれた」のであり、神の完璧な完成品である。障害者。こういうカテゴリーがあるところにこそ、人の悪、罪を見るべきだろう。



 あまり余計なことはしないことだ。賢明ないにしえの医者は「助けよ、だが傷つけるな」と言ったが、さしずめ「産め、だが傷つけるな」といったところだろうか。


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