気まぐれ
ある日、母は唐突に俺に言った。
「部屋を片付けなさい。何か処分しないならご飯食べないで」
俺にとって大切な物は全て、親にとっては無価値な物らしい。
俺は、俺の持ち物を親より大切だと思っている。
理由は簡単、物は裏切らないからだ。
俺の両親は簡単に俺の期待を裏切る。
もう俺の心はボロボロで、ただ人並みに親切にして欲しいだけなのに、追い打ちをかけてくる。
それに気付いていないのか、はたまた気付かないフリをしているのかは知らないが、自分本位な人達の事だ、多分気付いちゃいないんだろう。
だからこそ「持ち物を処分しなければ食事を与えない」なんて事を軽々しく決めてしまえるのだ。
小学生の時、俺が苛められていると知った母はキレて、報復が怖かった俺が泣き叫んで「止めてくれ」と言ったのにも関わらず、俺の言葉なんか無視して、俺を苛めた奴の家に電話して更にキレまくった。
そのせいで俺は翌日、小学校の玄関で苛めっこが登校してくるのを待ち、「昨日は何かお母さんが色々言ったみたいでごめんね」と頭を下げる羽目になった。
幸いにも苛めっこが特に気にした風ではなかったので、ひとまず安心はしたが、俺はその時の母の言動が理解出来ず、ただ恨めしかった。
なぜ俺が嫌だと言っているのに電話なんかしたんだろう、と。
それじゃまるで、苛めっこと変わらないじゃないか。
俺を裏切らない大切な物達を俺は手放さないといけない。
俺が物に執着するのは、そこには期待も裏切りもないからだ。
ただそこに「ある」というだけで、俺の中で置換された「満たされない欲求」を満たし、決して俺を傷付ける事なく、安心感を与えてくれる。
そこには「条件付きの愛情」なんて面倒で手間のかかるものは一切なく、俺から物へと向けられる一方的で、なおかつ完結した愛情があるだけだ。
気に入らなければキレる、ターゲットはいつも俺。
明日も何とか飯が食えるといいな。
この不毛なルールが早く自然消滅しますように。