カッサンドラの囁き
先日、スマホからニューストピックの通知が来たので何となく見てみたら、その中に
《テレワークでの社員監視がもたらす5つの恐怖、名作『1984年』が示唆》
という、DIAMONDonlineの記事があった。
偶然といえば偶然なのだが、僕は半月ほど前からこの「1984年」という本を図書館で借りて読んでいる最中だ。
(なかなか本を読む気力がないので、遅々としてページは進まないのだが)
そして、読み始めた時に何故か「オレンジとレモン」というマザーグースを思い出したのだが、作中でこの歌が出てきた時は軽い既視感に襲われた。
東日本大震災が起きる前の年、恐らく12月の半ば頃だったと思うが、僕は急に「ぼくのじしんえにっき」という、小学生の頃に何度も何度も繰り返し読んだ児童文学書が久し振りに読みたくなった。
しかし、これは図書館どころかネット書店にもなかったので読む事が出来ず諦めた。
翌年1月頃、今度は「風が吹くとき」という外国の絵本の事を思い出して読みたくなった。
元々家にあった大判の絵本なのだが、幼い頃に読んで何となく怖かったのでどこかに押し込んでしまい、それを探すのは面倒だったので手っ取り早く図書館で借りる事にしたのだ。
同じ頃、「見えない雲」という本も読みたくなったので、それも一緒に借りた。
そして、東日本大震災が起きた。
地震、原発事故、放射能汚染。
ぞっとした。
本で読んだ事が立て続けに起きたのだ。
僕はなんであんなに本を読みたいなんて思ったんだろう。
単純に怖かった。
信じ難いかも知れないが、幼い頃は偶に未来を垣間見る事が出来た。
歳を経るにつれて予知能力は衰えてしまったが、今でも未来が視える事はあるし、コンディションにムラがあるとはいえ直感力は余り変わらない。
シャッフルされた1セットのトランプの中から間違える事無くジョーカー2枚だけを選んだ時は、僕より友人達の方が驚いていた。
僕はただ、「色が違って見える」2枚を選んだだけなのに。
カッサンドラには、不幸や災いがはっきりと視えていたのだろうか。
信じて貰える事のない忠告を胸に抱え、彼女はどんな思いで日々を過ごしていたのだろう。
誰も自分の声を聞いてくれないなんて、それはきっと深く暗く、他人には計り知れない絶望だ。
僕は、気まぐれにカッサンドラが呟いた声を偶然感じ取っているだけなのかも知れない。
きっと、報われなかった彼女の嘆きは、今でも小さな光の粒となって夜空を滑り落ち、優しい予言として誰かの心に囁くのだ。
「睡りから目覚めるのなら、未来にお気を付けなさい」と。




