場面緘黙
衝動的な自傷他害の感情を抑える為に理性の半分位は使っていて、残りの理性で自分の考えやら感情やらを上手く相手に伝える為に一生懸命言語化しようとしている結果として黙ってしまっているだけなのに、「また黙りか」とか「黙ってれば終わると思ってるんでしょ」とか「逃げ得」とか言われるのが苛々する。
その癖、いざようやく何かを口に出せば、「こっちの都合を考えろ」だの何だのとほざいて聞く耳を持ちゃしない。
事ある事に「忖度」を要求するばかりで、「思いやり」という温かさの無い一方的な上下関係。
気に入らなければ心身を痛めつけて首輪を締め上げる。
そんな横暴なルールが異常だと気付くのは早かったが、当時小学生だった自分には只々理解し難いだけでどうする事も出来なかった。
学校で苛めを注意すれば今度は自分が苛められて、何が「正しい」のか分からなくなって、親の言う事を「躾」という暴力に脅えてバカ正直に信じて傷付いて、それでも自分を騙し騙し生き長らえる閉塞感。
けれど、唯一心の拠り所であった祖母が亡くなると、それまで耐えてきた総てが壊れた。
中学校。
人気のない時間を選んで歩く早朝の通学路。
痛む頭を押さえてまだ誰もいない教室に入り、それでも耐え難い吐気に襲われてトイレへ駆け込む毎日。
仕方なく保健室で休み、それでも治らないからと早退すれば叩かれて、どこにも、誰も、自分を助けてはくれなかった。
未来が怖くて、慎重に言葉を選ぶ癖がついた。
そんな短い時間さえ待てないのか。
考えれば簡単な事だ。
何一つ弁解もさせずに暴力を振るう人間が待てる訳がない。
そうして口を噤んだ結果、言葉として昇華出来ないまま渦巻く感情は自分の内に溜まるばかりで、どす黒い闇がまた深くなっていく。




