記憶
これは俺が小学二年生の時の話だ。
図工の時間に描いた鶏の絵で、俺は「赤紙」を貰った。
ここで言う「赤紙」は、金賞の「金」、銀賞の「銀」、その次の佳作を指す。
普通なら喜ばしい事だろうが、その時の俺の素直な心境は「どうしよう」だった。
バレたらヤバい、隠さなくちゃ。
俺の母は鳥が嫌いだ。特に鶏が。
しかし、俺の「バレませんように」という思いも虚しく、担任教師は連絡帳に俺が赤紙を貰った事を書いてしまった。
そんな事を書かれては、外面だけは「いい母親」を演じる母が見に来ない筈もなく、俺はどうしたらいいのか分からなくなって途方に暮れた。
実際に母が学校に来て、いざ俺の描いた鶏の絵を見た瞬間、ピクリと顔が引きつったのを俺は見逃さなかった。
壁に掲示されているのは、勿論俺だけじゃなく、クラス全員が描いた鶏の絵だ。
クォリティーに多少の差はあれど、嫌いな物が壁一面を埋め尽くしている光景。
俺なら全力で遠慮したい。
そういう理由で、俺は一応「佳作」に選ばれた訳だが、特別に誉められた記憶はない。
むしろ、母の機嫌を損ねてしまわなかった事にほっとしていたぐらいだ。
今から考えると、その時点ですでに親の顔色をうかがう子供だったのだ。
今現在、決して健全とは言えない性格で、他人との関係が上手く築けずにいるのは、こういった小さなエピソードの積み重ねのせいだと俺は思う。
父は苛つくと母に愚痴を垂れ流し、そのせいでストレスの溜まった母が、今度は俺に八つ当たりをする。
俺が物心ついた時には、すでにこれが我が家の日常になっていた。
泣きながら食べる夕食は何の味もしなくて、ただ淡々と用意された食べ物を咀嚼して飲み込むという行為を繰り返すだけの、苦痛としか言いようのない時間でしかない。
そのせいか、今でも俺は他人と食事をするのが苦手だ。
自分が何を食べているのか分からなくなるし、自分の咀嚼音で相手を不快にさせてしまっているのではないかと不安になる。
誰かを不快にさせれば、何が起こるか分からない。
大人の顔色をうかがって行動する、同年代から見れば「ませたガキ」だった俺は、小学校の間、基本的にずっと苛められていた。
切欠は低学年の時、苛めを止めに入ったからだ。
それから「チクり魔」だの「デブ」だの「短足」だのと呼ばれるようになったが、教師が見咎めて注意してからは、苛めっ子達の仲間内だけで通じるような変なあだ名に変わった。
「泣くのが面白いから」
「邪魔だから」
「鬱陶しいから」
「なんとなく周りに流されて」
子供の苛めなんて切欠はそんなもんだ。
「嫌いだから」なんて理由で苛めるのは、むしろ少数派じゃないだろうか。
中学生の時に俺を好き勝手振り回して苛めた奴は、単純に「楽しかったから」だと思うが。
俺を壁際に立たせて、カッターを振りかざして襲いかかる、という遊びを嬉々としてやっていたそいつは、おそらく自分が「自分は他とは違う子」という事を証明したかったんじゃないだろうか。
まさに中二病という奴だ。
あの行為が、今ではそいつの黒歴史になっていればいい。