第三の視点
彼女はとても外聞を気にする人だったから、気分を悪くしないといいのだけれど・・・。
何か嫌な事があると、必ず正当な理由―――こじつけとも言うけど―――そういったものをつけて、自分の子供に当たるのよ。
彼女の夫もそういう人だったけど、少なくとも彼の方はまだ「不機嫌」って顔に出てるから、そういう時は近付かなければ良かったし、彼の言動が目に余る時は「良い母親」である彼女が宥めていたから、幾らかマシだったみたい。
問題は彼女の方ね。
彼女はそれと悟らせずにやるから、周りに気付かれにくいのよ。
やられる方としては理不尽極まりない話でしょう?
これは彼女の子供が不登校だった頃の話だけれど、彼女の子供の担任から電話が掛かってくるとね、出ないの。
全部、子供に出させる。
「恥ずかしいから」って。
自分が恥をかきたくないからって、全部子供にやらせるのよ。
「普通」じゃない子供を持っている母親、っていう風に見られたくなかったんじゃない?
自分の保身の事しか頭にないみたいだから。
彼女の子供は自傷癖があったのだけれど、ある時子供に小言を言った最後に、彼女はこう付け加えたの。
「こうやって怒れば、また自傷する訳?」って。
そして、こうも言ったわ。
「もっと生産的な事をしなさい」と。
止めもせず、認めもせず、否定と要求を押し付けるその言葉に、子供はどんなに孤独感を覚えたでしょうね。
その時は、本当に死んでもいいと思ったそうよ。
あの女に見捨てられるのには慣れているから、今更本当に捨てられたところで悲しいとは思わない。
でも、あの人にだけは見捨てられたくない。
あの人に見捨てられたら、僕は人として終わりだ。
あの人は、本気で僕の事を心配して怒ってくれる。
あの人に怒られないようにする事は、僕にとっても良い事で、あの人に誉められる時は、きっと僕も清々しい気分の時だろう。
あの人が逃げろと僕に言うなら、僕は逃げようと思う。
あの人が頑張れと僕に言う時は、僕が自暴自棄になっている時だから、そんな時は考え方を変えてみようと思う。
あの人なら信頼出来る。
いたずらに僕を傷付けたりしない。




