初めてのキズアト
初めて自傷行為をしたのは、母の誕生日だった。
最初は当てつけのつもりで付けた手首の小さな引っ掻き傷は、やがて両腕、顔、首へとエスカレートしていった。
使った「キョウキ」も、プラスチック製品のバリからカッターへ変わり、傷口から血液が流れ落ちて掌がベタベタになるまで何度も切る場所を変え、文字通り「切り刻んだ」両腕は真っ赤に汚れて、隠しきれない程に細かいキズアトが蓄積されていった。
人様に見せられないそれは、僕が今まで生きてきた証で、恥ずかしいと思った事はない。
このキズアトが無ければいいのに、と思う事が無い訳ではないが、それは決して後ろめたさからではなく、自分の考え方と他人の考え方が違えば、このキズアトは嫌悪と非難の対象にしかならないと分かっているからだ。
だから僕は病院に行く時にしか半袖の服を着ないし、バイト先の七分袖の制服の下には必ず長袖の服を着ている。
バイトという理由が無ければ、僕は躊躇い無く自傷してしまう。
だから僕はバイトをする。
自分を「自傷してはいけない」という状況に追い込んで、何とかカッターを手放したのだ。
こうして僕が自傷行為をしなくなって、もう随分経つ。
けれど、過度のストレスがかかると、やはり自傷行為に走りそうになる。
泣き喚くだけでは処理しきれない、胸中に渦巻いたどす黒い「何か」は、カッターの刃で殴るように腕を切りつけ、両腕を真っ赤に染めて、その赤さで冷静になるまで「無かった事」には出来ない。
だから僕は、ストレスという感情の歪みを避ける様に息を潜めている。
これ以上キズアトが増えないように祈りながら。




