歪んだ日常
どこか鬱々とした気持ちを抱えて、私は玄関の前に立った。
この扉を開ければ、私は「日常」に飲み込まれてしまう。
それは私にとって当然のようにそこにあって、けれど決して一般的なものではなかった。
私は鍵を握る右手でそっと、ひんやりと金属質な冷たさを持ったドアノブに触れる。
そのまま流れるように鍵穴に鍵を差し込み、くるりと回せば鍵は開く。
たったそれだけの事が、私にはひどく重く感じられた。
この扉の向こう側には、私の「日常」が広がっているから。
「家」という閉鎖的空間内で何が起ころうと、それは他人に知られる事のないまま、ずるずると沼に落ちるようにして「過去」に塗り替えられていく。
私にとってこの「家」は、毒々しい色をした「過去」がひしめき合っている、そんな場所でしかない。
睡眠と食事をする為の、それさえ精神衛生的に危うい場所。
私の「家」が「普通」と決定的に違うという事に気が付いたのは、小学生の頃だった。
今と比べれば随分と社交的だった頃、友達と何気ない話をしていて、他の子はあまり叱られたりしないし、ましてや叩かれるなんて事はないのだと知った時だ。
当時の私はテレビを見る事も制限されていて、低俗なバラエティー番組や下品なアニメなどは視聴禁止とされ、当然そういった類のものを見た事がない私は、家族揃ってニュースを見ながら夕食をとる、というのが普通なのだと思っていた。
夕方に親の機嫌が悪いと、些細な事で難癖をつけて叩かれ、そのまま夕食になった時は「お前のせいでメシがマズくなる」とまで言われたが、これも当たり前にある事なんだと思っていたのだ。
幼いながらも、「何だか納得いかない」と思ったのは、親から他の子と比較された時だった。
よく「一人っ子は兄弟と比べられないから羨ましい」と言われたが、そんな都合の良い話がある訳がない。
むしろ兄弟という限定的な比較対象がいないので、誰とでも比較された。
親類なら一番近い従姉妹、近所の子は当然、親同士の交流があるクラスメート、果ては私は話した事もない上に一度も同じクラスになった事がなくて名前しか知らない同学年の子まで。
単純に同学年の生徒ほぼ全員と比較されると考えると、もはや生きた心地がしない。
ついでに、「一人っ子は欲しいものを何でも買って貰える」なんていうのも、兄弟がいる人の羨望から生まれた幻想だ。
私は自分の少ないお小遣いですら、そう、消しゴム一つ買うにしても、親の許可が必要だった。
だから、親の機嫌が良さそうな時を見計らって「マンガ買ってもいい?」とお伺いを立てていたし、そもそも私の財布自体、親が引き出しにしまっていたので勝手に何かを買う事は出来ない状態だった。
もしも勝手に何かを買った事がバレたら没収されるのは当然、最悪そのままゴミ箱へ投げ入れられてしまう。
そんな状態で「好きなものを何でも買って貰えるんでしょ?」なんて羨ましがられても、困るというより、どうしてそんな風に考えるんだろうと不思議で仕方なかった。
まあ、実際に「ベッタベタに親に甘やかされて欲しいものは何でも買って貰っていた子」が一人だけいたが、それは例外だろう。
彼女は甘やかされたせいか、やはりというか若干わがままで強気な性格だったような気がする。特に仲が良い訳ではなかったので、よくは覚えていないが。
私を唯一、精神的にも甘やかしてくれたのは、今はもう鬼籍に入ってしまった祖母だった。
祖母を懐かしむ度、大病を患って入院した祖母を見舞いにも行かず、何もしてあげられなかった事を悔やむ。
おそらく祖母が存命だったら、きっと今はまた違ったものになったであろうと思う。
都合の良い理想に憧れて、ドアの前に立ち尽くし、感傷に浸る。
もう過去は取り戻せない。
それは理解している。
これからの未来を考えて、それでもずるずると「今」が続くのだろうと思うと、私は一度鍵穴へと差し込んだ鍵を引き抜いて、じっと掌でそれを見つめた。
結局、私は親が死ぬまで親にとって子供であり続けるのだ。
私は冷たい鍵を鞄にしまうと一つ深呼吸をして、あたかも鍵を持って行き忘れたかのようにドアを叩いた。
こうやって私は、鍵を開ける時の親の態度を見て、その機嫌を伺う癖がついてしまっている。
灯された玄関の明かりが私を照らし、がちゃり、と鍵が開けられた。
・・・ああ、今日は平和に過ごせそうだ。