第8話
それから3日後の夜、僕はくつろぎ亭にやって来ていた。本日貸切の札が下がった扉を開けると、およそ50人はいるであろう騎兵隊員達が飲めや歌えやの大騒ぎの真っ最中であった。扉の閉まる音すら気が付かないほどの盛り上がりは、この店ではさほど珍しいことでもない。9つある丸テーブルにそれぞれ5人か6人ずつで集まって、ウェイターやヴィクトアが酒や料理を運ぶために駆け回っていた。誰もいないカウンターの奥から取り置きしてある酒とコップを取ると、カウンター端に座り1人で晩酌を始めた。僕に気がついたヴィクトアがジョッキや皿が乗ったトレイを持ったまま笑顔を浮かべ、僕は手を振って厨房に入っていくのを見送る。ふと、奥の壁にかかっている大熊の毛皮を見つけた。3日前、村に戻ったあとすぐに山へ向かった僕達は、その日のうちにあの熊を討ち取ると血抜き作業や毛皮の作成を始めた。あとは調理するだけの状態までとなった熊の肉と、毛皮を持って店に来たのがつい今朝方だ。
「まさに壮観だな」
いつの間にかやって来ていたトラウゴットが、毛皮を見ながら呟いた。そう思う気持ちもよくわかる。全長約2メートル半はあろう巨大熊の毛皮だ、そのへんの貴族にだってそう手に入るものではないだろう。
「さすがロッテだな、あのお嬢ちゃんが協力を求めるのも頷ける」
「別に、僕はただ熊を見つけただけさ。ちゃんと仕留めたミア達の方が優秀だよ」
謙遜するな、と言うと僕の前にシチューの入った皿を置いた。
「熊肉のシチューだ。君のワインにもよく合うだろうよ」
「ご馳走になろう」
ふむ、なかなか美味い。臭みもしっかり抜いてあり、脂身の少ない肉は弾力があって噛みごたえ抜群だ。シチューに舌づつみを打っていると、僕に気がついた男がニヤニヤしながら僕の元にやって来た。
「おいおいお嬢ちゃん、悪いが今日は俺達の貸切なんだぜ。今日のところはお家に帰りな」
これはこれは、随分と御機嫌なご様子だ。トラウゴットがいれば仲裁してくれたのだろうが、今は厨房に戻ってしまっていた。
「それは失礼、でもまあせっかく来たんだ、1杯くらい良いじゃないか」
「へへへ、そうだなあ。お嬢ちゃん結構美人だし、俺にお酌してくれたら許してやってもいいかもな」
「お褒めに預かり光栄だな。しかし残念、君みたいな醜男に飲ませる酒は持ち合わせていなくてね。そこら辺の泥水でも啜って我慢してくれ」
僕の言葉に、男の酔って赤かった顔が更に真っ赤に染まっていく。
「このアマ、言わせておけば!」
「何をしているんだ」
こぶしを振りかざした男の手を、誰かが掴んだ。
「た、隊長!」
男よりふた周りは大きいであろうか。隊長と呼ばる人物はさっきまでの男を宥めテーブルに帰すと、僕の隣にすわった。
「シャルロッテ様、あまり部下をいじめないでいただけますか」
「久しぶりに会った第一声がそれか。そもそも先に突っかかったのは僕じゃないだろう、君の教育不足だと思うんだが」
ため息をひとつ付いてワインを口に含む。僕のそれよりさらに大きなため息をついてから、テオは僕を見た。
「お久しぶりです、シャルロッテ様」
「ああ、久しいな、テオ。最後に会ったのはもう三年も前かな。息災なようだね」
「シャルロッテ様もお変わりないようで」
空いた僕のグラスにテオがワインを注ぐ。
「おや、そうかい。あの頃よりはいい女になってるつもりだったが、思い違いだったか」
「いえいえ、そのようなことは。お母上様に似て、大変綺麗になられました」
「母上と同じ、ね」
僕もグラスを渡しワインを注ごうとするが、テオはそれを手で制した。
「なんだ、僕の酒は飲めないのかい?」
「あ、いえ、そういう訳では」
「なら素直に受け取ってくれないか。もう昔とは違うんだ」
「そこまで仰るのなら、ありがとうございます」
ボトルを傾けグラスにワインを満たすと、僕とテオはグラスを合わす。キインという小気味いい音が鳴り、あっという間に騒ぎ声に掻き消された。
「まさか、シャルロッテ様に注いでいただける日がくるなど、思いもしませんでした」
「そうかな。こんな状況でなかったとしても、僕は君に同じことをしたと思うけどね」
「それは。たしかに、そうかもしれませんね」
僕とテオは少し笑うと、グラスに口をつけた。
「あれからもう10年か。時が経つのは早いものだ」
「まったくです。ですが、当時のことは、まだ昨日の事のように覚えております」
「それは僕も同じだよ。でも、昔は昔だ。今の君は王国最強の騎士で、僕は山奥に住むしがない娘さ。僕に敬意など払う必要は無い」
「そうはいきません。私にとってシャルロッテ様はシャルロッテ様です」
相変わらず硬いやつだ。まあそういった所も含めて、僕は彼を信頼しているんだが。