第9話 妖魔の出現
「あ……直?もう、飲み物無いんだっけ?」
飲み干した空のコップを片手に冷蔵庫へ向かった姫子さんが、キッチンから顔を覗かせる。
「え、嘘? 冷蔵庫に無かった? そしたら悪いけど、姫子姉、買ってきて」
「えーやだよぉ」
丁度、外の空気を吸いたいと思っていたので、二人に断り俺が買いに行く事にした。
「なら私も!」
先輩が急に立ち上がるので少し驚いた。俺は軽く頷き、一言だけ声を掛けると、先輩と一緒に笹神寮を出た。
「虹波君、今日はありがとう」
スーパーに足を向かわせる中、静かに先輩は言った。
「俺じゃないっすよ。直に言ってあげて下さい。あいつ、きっと飛んで喜びますよ」
「うん。でも……やっぱり虹波君もありがとう」
「……優しいっすね」
何だか、一昨日出会った人とは思えない。数日で先輩に対する事を色々知ってしまったからだろうか。それとも、俺が先輩の契約者……クロスだからなのだろうか。ーーーーいや、多分………先輩だからだ。
「虹波君!」
「何ですか?」
急に立ち止まり、先輩は真剣な面持ちで辺りを見回した。俺も最初は分からなかった。しかし、この不快感、違和感は何だ?
「……先輩、これって?」
「近くにいる。ーー妖魔が」
妖魔。切り離された次元とこちらを繋ぐ通路が開いてしまった際に入り込んだ虫や動物がその衝撃で妖魔化してしまうと言う。
妖魔の位置が分かったのか、走り出した先輩を俺は追いかけた。路地を曲がり少し行くと川に沿って堤防がある。そこの上に立つ先輩は、川の方角を見つめていた。俺がやっとの事で追いつき、隣に立つと先輩は眺めていた方角を指さす。
「あれが妖魔だよ」
目を向けると暗闇の中に、さらに黒い巨大な蝶々の様な物体が羽を羽ばたかせていた。更に、その羽が触れた場所の草花は萎れ、川の水は大雨が降ったわけでも無いいうのに荒れている。
もし、これが街に移動したら………。
そう思うと背筋が凍った。
「妖魔によっても色々種類はあるんだけど、あれは少しだけ自然を痛めつけるみたいだね」
種類があると聞き、街がああなる事が無いと思えば安堵だが、それ以上に強力な害を催す者がいると思うとそうもしていられなかった。
「虹波君、行くよ? ――クロスエンフォース!」
その瞬間、この世界から切り離され真っ白い空間へと飛ばされる。この間と同じだ。
「オープン」
この間は目に入らなかったが、後ろのスクリーンで先輩の姿を確認する事が出来た。特に代わり映え無いが、腰にあの短剣を付けている。この状況になると、自動的にそうなるのだろうか?
『虹波君、見える?』
反応の無い俺を心配してか、先輩の声が真っ白い空間に響く。
……今は集中だ。
「大丈夫です」
俺のその言葉を聞くなり先輩は蝶々の妖魔に向かい走り出した。近づくにつれ、不快感と違和感が強くなる。
”右斜め上”
”跳ぶ”
急にいくつかの単語が頭に浮かぶ。その流れで自然と俺はイメージと意識集中していた。そして、どんどんと単語は頭に浮かび俺は浮かんでは自然とイメージと意識集中をした。
四方八方のスクリーンから分かるのは、単語の行動を先輩が実行していると言う事だ。意識の伝達というやつだろうか。
先輩が腕を前に突き出し、指で三角形を作ると、そこからビームの様なものが妖魔を貫いた。
『せあぁぁぁ!』
う゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ――
先輩の叫び声と共に妖魔の唸りが響く。それと共に俺にも重苦しい衝撃が走った。
物理攻撃は平気なのだが、それ以外は俺の気力を原動力にしているらしく攻撃を放った後、心臓が握りつぶされるような感覚に陥る。
物理以外の攻撃は先輩が両手の指で真ん中に三角形を作り、そこから炎やら、風やら光線やら、様々な魔法的攻撃をする事が出来る。
先輩は助走を付け、雲から月の顔出す空へと大きく飛んだ。そして、足元に空中を維持できるようシールドを張ると、妖魔の真上で勢い良く腕をそれに向けて突き出した。
『……大人しく浄化されて下さい』
”パージ”
パージって何だ……?
しかし、分からないのに分かっていた。意識の集中先は気体。
先輩は指で三角形を作った。気体が波紋状にだんだんと広がり、妖魔へと触れる。
元クロスプリンセス……か。俺はそれがどのぐらい凄いものなのか想像もつかないが、この短時間であの妖魔を倒す何て相当では、と思う。
パージの攻撃に触れた妖魔は凍りついた様に一瞬時を止めその直後、ぱりんっ!と、光のかけらとなって空に散った。こうして蝶々の妖魔は消失した。しかし、枯れた草花や荒れた川は元には戻らない。どうすることも出来ないのだろうか、と思っていると、俺の心にあった不快感と違和感が消えていることに気づく。やはり、妖魔のせいだったらしい。
「え、戻ってる!?」
川の水は落ち着き、草花が段々と再生を始めているのが目に入ったのだ。
『悪い気が消えたお陰で自然治癒してるだけだよ』
驚きの声に答えるように説明の言葉が空間に響く。
良かった……ちゃんと元に戻るのか。
「クロスリリース」
貼っていたシールドを解き、堤防に着着すると先輩は俺をこちらの世界に戻した。
「虹波君、大丈夫?」
「はあ……まだ、この感じには慣れないですけど、まぁなんとか大丈夫っす」
白い空間から見るこちらの世界は何だか色が欠けていてどうも苦手だ。だから、この世界に戻ってきた時景色を見て思うんだ。嗚呼、綺麗だって。
静まりかえった緩やかな川の流れ、雲に隠れて顔を覗かせていた月までもがもう堂々と浮かんでいる。
「先輩、さっきのパージって何なんすか?」
俺は気になっていた事を口にする。
「私も良く分からないんだけど、デスタルで習ったんだ。清い気を集めてその波紋を広げるってやつ。浄化とかに使うんだって」
へー、と頷く。
なるほど、浄化。
浄化と言う事は妖魔化してしまった、動物や虫に待っているのは消失――つまり、死だけなのだろうか。動物や虫が特別好きなわけではないが、彼らも好きで妖魔化したわけじゃないんだよな、と思うと少し同情してしまう。
「……はぁ、帰りましょっか」
「うん、帰ろう」
「って、スーパー!! 時間!」
スーパーの閉店時間を思い出しそう叫ぶと、先輩も忘れていたようで焦りの声を漏らした。
堤防を急いで駆け下りる。
「ひゃあっ」
草花で足を滑らせた先輩が態勢を崩す。
こういうイベント、今は望んでねぇ!
そう思いながらも、先輩の手を握った。
「っと。大丈夫っすか?」
「う、うん。ごめんね、急がないと」
そこから、俺たちはスーパーまで走ったのだが寮を出た時点で閉店時刻間際だったためか、やはり閉まっていた。
寮に帰りそれを言うと、姫子さんは残念そうに首を落としていた。俺は家にアイスがある事を思い出し、それを渡す事にした。すると、もうご機嫌で直と姫子さんはやっぱり兄弟だな、と改めて感じた。
本当、性格はあんまり似てない筈なのに、こういうとこだけそっくりなんだよな。一人っ子の俺からすれば、そういうのは少し憧れてしまうのだ。