第58話 帰還
「それはそうと、三人はもう帰るのですか? 向こうの世界に」
「あぁ、その事なんだけど、私はデスタルにいることにしたわ」
さらり、と重大な事を言われた気がする。
母さんの決意は変わらないのか、口を開きかけたところで、
「やっぱり、私はここがあってると思うの。向こうも楽しかったけど、虹波に今更母親面して一緒に暮らすのも何か違う気がするのよ。大丈夫よ、離れててもここから――今度こそ貴方を守るから」
菅原深夜はこういう人間なのかもしれない。
「……ありがとう。でも、いいよ。俺はもう守って貰わなくても大丈夫だから。もう良いんだよ。母さんは母さんの為に生きて」
ぽろり、と大きな滴が美しい輝きを放って頬を伝った。
思わぬ事に俺はあたふたしてしまう。
「え、ちょっ、泣くの?」
「あ~あ、泣かした」
楓は楓で俺を冷やかしてくるし……。
こういう時、直とかだったら上手く明るい方向に持っていけるんだろうが、俺には無理だ!
困り果てていると、母さんは涙を拭い、
「ごめん、ごめん。……分かった。虹波、何時でも会いに来なさい」
「ああ」
「じゃあ、帰ろうか? 皆さん――ありがとうございました」
星灯先輩の言葉に頷く。
すると今度は優希さんが先輩に声を掛ける。
「大解放は必ず起こる。こっちでも手は尽くすと思うが、そっちにも大量の妖魔が出現するだろう。だから星灯……お前に任せた」
「――はい」
今度こそ、というように先輩はあの言葉を口にする。
『学園都市、イネベテブルタウン――アイル』
言い終わるのと同時に、ディスプレイのような四角い空間がそこに現れた。
この向こう側にはもう学園都市の風景が広がっているだろう。
入る間際、俺は母さんに視線を向ける。
それに気づいたのか、呆れたように笑うと口パクで言葉を返した。
”いきなさい"
黒い空間は俺を包み込むように、デスタルとの接触を絶った。
その言葉はどちらだっただろうか。
行く――
生きる――
どちらにしても、やっぱり嬉しかった。
少し進むと暗闇の先に白く光る出口を見た。
前にいる、先輩が後ろを振り返り俺に手を差し出す。
「はい」
俺は先輩の手をとった。
こっちの世界に帰ってくると、気体に温度が有ることに気がついた。
そっか、デスタルには気温が無かったんだ。
「ここって――?」
運命か必然か、俺達が帰って来た場所は廃工場だった。
「しかも今、夜ですね」
「あの時みたい……」
「あ、俺も思いました」
全てはあの夜に動き出したんだ。
笹神寮へ帰るべく、俺達はまっすぐ歩き始めた。
月が学園都市を照らす中、あることを思い出した。
「そういえば、俺達ってどれくらいデスタルにいたんですか?」
「う~ん。どうだろうね。何せ、デスタルには一日って概念が無いから。だから、夜……無かったでしょ?」
確かに。言われてみれば、夜は無かったし、戦いの間も寝るということをしていない。
この世界とはそこからして色々違うようだ。
「まぁ、それは皆が教えてくれるよ」
「大体、起きてるんすかね? 今の時間すら分からないし」
「それは、うん……そうかも」
そうこう言っているうちに、あっという間に俺達は笹神寮に到着した。
笹神寮からは声一つせず、静まり帰っていた。
今はやっぱり、寝てる時間帯なのか?
「寝てるのかもしれないけど、一応姫子さんの所にだけ行っておこうか?」
「ですね」
扉の前に立ち、そのままインターホンを鳴らす。
少し緊張感の伴うこの間に絶えていると、
「あ、あれ? いない、のかな」
どうやら、そうらしかった。
「じゃあ、花音ちゃんにでも伝えておこうか? 誰か一人に伝えておけば一先ず大丈夫じゃないかな?」
「仕方ないっすね」
渋々頷き、今度は遠山の部屋のインターホンを押す。
しかし――、
「まじか」
遠山もその音に反応する事は無かった。
「もしかして、三人で何処かに泊まりに行ったとか?」
「まさか……?」
最後の希望! と言わんばかりに直の部屋のインターホンを押したが程無く撃沈。
「それにほらっ、皆寝てて気がつかないのかも」
「はぁ、ま、明日でも問題ないですよね」
帰ってきてそうそう、これとは全く気が抜けてしまう。
「じゃあ、虹波君。また明日。朝起きたら一緒に皆の所に行こうね」
「はい。じゃあ、今日はこれで」
「おやすみ」
さすがに疲れた。
一つの欠伸と共に、俺は自分の部屋の扉を開く。
「って、えええええぇぇぇぇぇーーーー!?」
俺の叫びを聞いた先輩がすぐさま、扉を開け側に来る。
「どうしたの、虹波君! って……え?」
分かる。先輩の言いたい事は凄く良く分かる。俺だってこの状況には驚きすぎて叫びをあげたぐらいだ。
「……あのなぁ、どうしてお前らが俺の部屋で鍋を食ってる!?」
「やあ、おかえり、虹波」
「や、やっぱ、肌寒くなってきた頃の鍋はおいしいのよ」
そう、そこには、鍋パティーが広がっていた。
もちろん、姫子さんに直、遠山までもが集合している。
「鍋がおいしいのは分かりましたけど、どうして俺の部屋なんです?」
「それは、流れっていうか……ねぇ花音ちゃん?」
気まずさの余り、遠山に助けを求めたか。
しかし、遠山は俯いたまま無反応だ。
沈黙に全員が首を傾げ始めた頃、遠山は肩を震わせながら顔を上げた。
「っう……っう……」
唇を噛み締め、今にも溢れ落ちそうな涙を必死に堪えている。
その様子に先輩と顔を見合わせ、俺達は言ってやった。
『ただいま!』
すると、ついに涙は流れ落ち、遠山も諦めたように口を開いた。
「おかっ、おかえりぃ……本当に帰って、きた……っ夢じゃないんだよね? 良かった、良かったよおぉ……っう、っうぅぅ」
やっと、一番言いたかった言葉が言えた。あの時、ただいまを言うために言った行ってきますはちゃんと叶った。
「遠山、待っててくれてありがとう」
「うっ、うん」
鍋の臭いに釣られたのか、そこに奇怪な音が響いた。
即座に先輩がお腹を押さえる。
めでたく自爆。普通にしてれば、誰のお腹の音か分からなかったものを。
ま、先輩らしいけど。
「っくす、ほら、冷めちゃうわよ? 皆で食べるのが鍋なんだから」
一番手前に座っていた姫子さんが、俺達のスペースを開けるように席を移動する。
そのままそこに腰を下ろし、鍋に向き合う。
「たべよっか。じゃあ――」
姫子さんがにやりと笑うので、ああ、と思い手を合わせる。
『いただきます』
姫子さんから受け取った小皿に具材を入れながら、気になっていた事を聞いてみる。
「俺と先輩って、どれくらいデスタルにいた?」
「まぁ、五日ぐらいじゃね?」
「そんなに!?」
五日も戦ってたのか……、そう思いながら出汁に使った白菜を口に運ぶ。
「っ!!」
痛い。頬の痛みがその美味しさを語る。ずっと食べてなかったせいなのか、一段と美味しく感じられる。
「どうした?」
「さいっこう!!」
たかが白菜。白菜なのに……!
箸が止まらない。
「でっしょお? 流石、私達の特製鍋!」
姫子さんは得意げに笑った。そんな中、遠山が辺りを見回して首を傾げる。
「そういえば、深夜さんは?」
「ああ……母さんは、何かデスタルに残るって」
「そ、そっか。寂しいね」
「会いたかったら、会いに行けば良いんだよ」
先輩がそんな事を言うのは少し意外だった。
「はい。もちろん、そのつもりです」
「何だよ、何だよ、更に仲良くなっちゃってさぁー」
豆腐を食べたまま、少々ふてくされた様に直が言う。
仲良く、ってそんなつもりは無いのだが、そう見えるのだろうか?
「そんな事、無いよね? 虹波君」
「はい、いつも通りです!」
「ほっらぁ〜」
と、言われても意識はしていないのだが。こうなっては直を止める事は出来ない。諦めて認める事にした。
「はいはい」