第57話 神聖なるイネベテブル
ある程度城から離れた所で、月灯が力を解除し城の上層部はもの凄い衝撃音と共に崩れ落ちた。
「あらら、凄いわね……」
後ろを振り返りながら、母さんは引きつった表情を見せる。
全壊では無い為、城壁外には大した被害は無いようだ。
そのまま足を進め、しばらく経った所で家の前に出ている優希さんを見つけた。
「あ、ああ、お前ら無事だったみたいだな。あれから、どうした? 止められたのか?」
腕を組み、深刻な面持ちでそう問う。
けれど、俺は「止めた」と自信を持って答える事が出来なかった。
母さんの言っていた、空に開いた大きな通路は俺達が外に出た時には既になかったし、あれで確かに大開放は止まったのだろう止まったのだろう。
それでも不安だった。
それに本当の意味では俺は人間殲滅を止められていないのだ。さっき無理矢理大開放を起こしたが、どっちにしろ近々大開放は起こる予定だった。だから、今、止められても自然に起こってしまうという事。
――もしかしたら、それが明日かもしれないし、明後日かもしれないのだ。
自然の大開放が起きれば今度こそ、その通路を閉じる言は不可能だ。だったら、やっぱり……やるしかない。
「…………おい。さっきから、何を考え込んでいる?」
「優希さん、王達が今何処にいるか分かりますか?」
「……何をするつもりだ?」
如何にも不信そうに、優希さんは俺をじろりと睨む。
「人間殲滅を止めに」
すると一瞬だけ驚いた顔をし、すぐに
「呆れたやつだな」
と、笑った。
「王達はきっと、イネベテブルにいる」
「――行こう、虹波君!」
そう叫び、手を引いたのは星灯先輩だった。
イネベテブルというと、向こうの世界の学園都市の島の名称だ。
前に姫子さんの話に出てきた通りなら、学園都市は元々デスタルにあった島。一つ前の大開放の影響でデスタルから向こうの世界に島ごと転移した、というのだ。
「先輩……王達はどうして、その……イネベテブルにいるんでしょうか?」
「イネベテブルはただの島じゃないんだよ。今は、向こうの世界にあるからそこにはもちろん何も無い。でも、きっと王達にとっては――」
イネベテブル――学園都市、大開放、特別な島、全ての発端。
走りながら思考を巡らせていると、先輩が叫んだ。
「虹波君! 着いたよ。ここがイネベテブル」
目の前に広がる広大な空白と白い光。言葉の通りそこには何も無い。あるべきものがその場所に無い、その事が周りに不調をきたしているのか、心無しか空気が悪い。居心地が悪い、と言った方が適切かも知れないが。
「……王達は?」
俺は独り言の様に言い、辺りを見回した。
まるで見計らったかの様なタイミングで、三人の王達が姿を現す。
「よ、よくも、あの機械を壊してくれたな!! 何だ、笑いに来たのか?」
「空の通路が消えた。……止めたな、お前?」
貫禄のある王だけは何も言わずにただじっとこちらを見つめている。
他二人の言葉に答えたのは星灯先輩だった。
「笑いに来たわけではありません! 人間殲滅を止めに来ました」
「止めに来た、だと? 既にお前らは止めたろうに。これ以上、我らに何用だ!」
「大開放はこれから、また起こります。王様達はその時に同じことをしますよね? それを止めに来ました」
はきはきとした口調で先輩は王達を押す。
しかし、妙だ。どうしてあの王だけ黙っている?
「……そんな言、決まっている! このイネベテブルの奪略者、人間共は殲滅に値するのだ!!」
「――黙れ、若造共がぁ!!」
空気が変わった。俺の体ですらも、びくり、と反応してしまう。
あの貫禄ある王は三人の中でも更に偉い位置にいるのだろうか。
「名寄星灯、どうしてお前は向こうの世界の味方をする?」
一つ間を置き、ゆっくりと王は尋ねる。
「私は味方はしていません。ただ、手を貸しているだけです」
「どうして手を貸す?」
「……向こうの世界が好きだから――とでも答えて欲しいんですか? 違いますよ。私はデスタルも向こうの世界も両方大好きですから」
ぐっ、と手に力が入る。
大丈夫だろうか? 他の二人の王よりは多少話を聞いてくれるみたいだけど。
「……はっはっは、そうか。……そうか」
笑った?
一体全体、どういう事だ? 意味が分からない。
「イネベテブル、それはデスタルの神が住まう場所。故に、我々はどうしてもこの場所を取り返す必要があったのじゃ」
「でも、それは人間を殲滅して良いって話じゃ、」
と、思わず口を挟む。
「知っている。大開放を人間が意図的に行える訳がなかろう。しかし、そんな単調な問題でも無い」
そのまま王は話を続けた。
向こうの世界から、イネベテブルをデスタル戻すには再び起こる大開放を待ちそこで細工をする他無い。けれど、そうこうしているうちにイネベテブルには人間が住み始めた。開拓され、変わり果てた町並み。
デスタルの人にとって、神聖な場所だったイネベテブルがそんな事になれば誰が人間を許すだろうか。
それに加え、取り戻さなければならないという使命。しかし、取り戻すにも島には人間がいる。島の人間を殲滅すれば本土の人間に気づかれる。
だから、王達は人間殲滅を実行する事にしたという。
どうすれば良いのか分からなかった。だって、こんな――。
しかし、王はまた笑った。
「しかし、ここに来てみて……少しどうでも良くなった。神様の声が聞こえたのじゃ。殲滅した所で元に戻せる保証がないのに、してどうなる? 遠くにいても神は神だ、とな」
展開が飛躍しすぎてついていけない。けど、何だ? 人間殲滅の計画は消えた?
「王様っ! それじゃあ!」
「黒の名寄星灯、彼女を抑えていてくれてありがとう。他の権力者はこのわしがまとめよう!」
王様はこくり、と頷く。
これで本当の本当に……、そう思いかけた時だった。再び、真剣な眼差しに戻った王は、
「だが、これだけは肝に命じておくのだ。人間殲滅は止まらない。我々の代はわしが抑えるが、その次、またその次は分からんのじゃ」
「あ……」
デスタルと向こうの世界はどう足掻いても敵対する、っていうのか?
「――神よ、どうかどうか我々に、向こうの世界に、幸運を」
王の言葉に他の二人の王も、イネベテブルに向かい頭を下げる。
それに釣られる様にして俺と先輩も頭を下げた。
「お、割りと早かったな」
菫花の家に着くと、さっきと同じように優希さんが家の前にいた。
「どうだった?」
と、多少見切りを付けた様子で問う。
一言で説明するのが難しかった為、一から十まで説明すると、
「そっか。良かったな」
と言っただけだった。でも、実際俺にもどう反応して良いのか分からない面はある。
けど、これで元の生活に戻れるんだよな――?
「神綺さんの様子はどうですか?」
「ああ、神綺か? 気になるなら入れよ」
「ううぅ」という声を漏らしつつ、先輩は扉を開ける。俺もそれに続くようにして中に入ったのだが――、これは予想していなかった。
「あ、二人共~、無事だったんですねぇ! 良かった、良かった」
「え、優希さん!! 全然、してますよ!」
開け放たれた扉に向かって先輩が叫ぶ。
「だから言っただろ? 入ってみればすぐ分かるって」
「だって、あんな深刻そうに……にこりともせずに……私を脅かして楽しんでませんか?」
半分涙目になりながら、顔を俯かせる。
「ふんっ、今更? 星灯ってやっぱ馬鹿だよね? 優希が面白い事大好きなのは当たり前でしょ?」
優希さんの前に楓が馬鹿にした笑いを溢す。そこに、呆れたように菫花が溜め息を着いた。
「ちょっとは遠慮、というものをしないのですか? ここは私しの家で、更に怪我人もいるのですよ」
「本当にな」
「貴方もなのです! 菅原虹波!」
「えええ!?」
ああ、やっと分かった。このくだらなさは本物だ。戦いは終わった。夢なんかじゃない。菫花との妙にいらっとするこのやりとりも、皆のさわがしさも、全部本物だ。
遅れて、実感と本物の安心感が襲ってきた俺は思わず笑う。
「ん? 虹波、どうして笑ってるのかしら。気持ち悪いわよ」
「悪かったな!」
息子に対して、気持ち悪いとかどんだけだよ。少しショックだぞ?
「ちょーーーっと、ちょっとぉ! 私は除け者なのかな?」
月灯――また濃い人が……。
やれやれ。困ったものだ。
でも、この風景がどうやら俺は好きらしい。
俺はまた笑った。