第42話 ただいまを言うための、いってきます
皆に、挨拶ぐらいした方が良いのかな?
いつもと同じように、歯を磨き、朝ごはんを食べて――。
ただいつもと違うのは、今朝は早めに目が覚めてしまったこと。きっと、目が覚めてしまったのは、今からデスタルに行くという事を皆に話せていない、後ろめたさから。
言いたくない。顔を合わせたくない。だって、顔を合わせ、言葉を交わせば、色んな感情が溢れてきそうな気がしてならない。
言わない方が良い。会わない方が良い。無駄な迷いや、感情は今は必要の無いものだから。
と、ここで、コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。
「誰だろう?」
そう呟きながら、俺は扉に手を掛け、それを引いた。真っ白な眩しい朝日に目を細める。
「……おはよう? 虹波君」
「なっ……星灯先輩? どうして……まだ、全然、時間早いですよ? 何かあったんすか」
「目が覚めちゃって。そう言う虹波君も、早いね」
先輩は珍しく、悪戯な笑みを見せる。
「あれ、夜美さんは?」
扉から部屋の奥を覗き込んだ先輩は首を傾げた。
「まだ寝てますよ」
「そっか。……虹波君、皆に挨拶はしたの?」
まさか先輩にそう言われるとは思ってなかった為、俺は数秒開いた口が塞がらない。
「……いや、あいつらと顔は合わせないっすよ」
先輩は「そっか」――って言うと思ったんだ。でも違った。
俺の手を両手でぎゅっ、と握り締め先輩は、
「駄目だよ! 駄目だよ、虹波君。……行こう?」
「え、行くって何処にですか?」
「行ってきますって、言おうよ」
消えてしまいそうなぐらい儚くて、小さくて、無色透明。先輩はいつからこんなに、頼もしくなったんだろう?
「でも……」
「……もう、会えないかもしれないのにって?」
足を止めた先輩はゆっくりと俺の方に振り返る。それは、とても悲しそうな表情だった。
「……駄目だよ。そんな事、思っちゃだめだよ」
「先輩は……怖くないんですか?」
自分が死ぬ事。それはもちろん怖い。でも、自分が負けたせいで、皆が……皆まで命を失う事になったらどうしよう。
これから戦うというのに、皆の顔を見て、更にそれが怖くなりそうで……。
「怖いよ。私も怖い。でも、原因は私達。覚悟は昨日した。戦わなきゃ。……ちゃんと、行ってきますって言わなきゃ。次のただいまを言うためにも」
「……ただいまを言うため? ですか」
嗚呼、何だ。無駄に気負う事なんか無い。戻ってくるための、行ってきます、それだけで良いじゃないか。
「……ははは。俺、かっこわりーっすね」
「うん。あなたはカッコ悪いよ。でも……私よりかっこいいよ」
言い終わると同時にこちらに背を向ける星灯先輩。そして、再び、足を進めた。
「虹波君は中にいてね。ここに皆を呼んでくるから」
先輩は扉を開け、俺を中に入れた。話をしながら歩いていたし、ネームプレートを見ていなかったから何とも言えないけれど、この広々と感じる部屋は星灯先輩の部屋以外無いだろう。
昨日来た時と部屋の感じも同一だし、きっと先輩の部屋だ。
「向こうに行ったら、菫花とかと合流して……だな。まずは」
「ん? あれ、虹波?」
扉の開く音と同時に部屋に入ってきたのは直だった。それに続くようにして、遠山、姫子さん、先輩、と部屋に入る。
「名寄先輩、何ですか、話って」
「うーん、私もだけど、虹波君に話してもらった方が良いんじゃないかな?」
それと同時に四人の視線が一気に俺に集中した。
「……デスタルに、この後行く。だから……」
「今日!? それも、この後?」
遠山が驚きの声を上げる。
「突然だな」
流石の直も、驚きを隠せない様子でそれしか言わなかった。
「だから……その、必ず守るから。阻止してくるから――」
「当たり前よ。……待ってるわよ。ねぇ、虹波……行ってきなさい!星灯ちゃんも」
手を越しに当て、姫子さんは眉を下げた。やっぱり、姫子さんは優しい。
「おう、そうだぞ? 俺も待ってる。だから、行ってこい」
「うん、行ってらっしゃい。帰ってこなかったら、私許さないから! 分かった!?」
「……うん、ありがとう」
ふぅ、と下に息を吐き、また顔を上げると、そこには、しょうがないな、とでも言いたげな皆の顔があった。
「っ――いってきます!」
『ピンポーン』
インターホンの音が響く。今、それを鳴らせるのは、外部の人、それか母さんだけだ。
先輩が扉を開けに行くと、
「あ、星灯ちゃん! 虹波がいないんだけど、いる?」
どうやら、母さんだったみたいだ。
「母さん、こっちー!」
俺はその場で、扉の方まで聞こえるような声で叫んだ。
「良かったぁ~。ってあれ、全員集合?」
こっちに来た母さんは、皆を見回した。
まぁ、そうなるよな。
「もう、デスタルに行くから、挨拶だよ」
「なるほどぉ」
「深夜さん、どうしますか? もう行きます?」
星灯先輩が直達を気にしながら母さんに問い掛ける。黙って頷いた母さんは、
「準備は良い? ……もう行くよ」
デスタルにはあの通路を通ってしか行った事が無かったから、正直、どう行くのか想像もつかない。もしかして、通路を作ったり出来るのか?
可能性は無くはない。
「もう行くって……どうやってですか?」
そう口にしたのは直だった。
「デストルクシオントタル――アイル」
母さんは、直の言葉に答えずに、そう言葉にする。そして、一つ間を置き続けた。
「私と星灯ちゃんはデスタルへと通路を意図的に開く事が出来るの」
まさに、それと同時だった。部屋の中心に縦長の砂嵐を思わせる空間が出現したのだ。
この前と同じだ。四角いディスプレイの様な――。
「これはっ……?」
遠山が驚きに目を見開く。
「これが、通路だよ」
極めて落ち着いた声で先輩が言う。
ここを通ればもう、向こうはデスタルだ。
「じゃあ、行こうか」
そう言い放つと母さんは振り向かず、その空間の中に消えた。星灯先輩も俺に目を向けつつも、空間へと入っていった。
「虹波。……じゃあな!」
「……ああ! いってくる」
俺は飛び込むようにして、黒い空間の中へと入った。
直後、ゆっくりと後ろを振り返ってみたけれど、そこには三人は疎か、何も無かった。
ふっ、と言うように吐息混じりの笑いを漏らす。俺は体を戻し、目の前に見える小さな明かりを目指して足を踏み出した。