第40話 分かってる、本当はずっと前から分かってる
「えっ、虹波……これって、その……私の為の?」
「そうだけど……大丈夫?」
俯いてしまった母さんに俺は尋ねる。 ……何かまずかったのだろうか。
「ふふ……あったかいね〜」
深い深い、海の底の様。暗く冷たい鉄格子の中に母さんはずっといたんだ。俺と別れたあの日から。
暖かい、という言葉は幸せの音がする。
「ちょっとぉ菅原ー! 母親に彼女の振りさせるとはいい根性ね? ひっく」
既にお酒を、がぶかぶと飲んでいるらしい美乃里先生は俺の肩に腕を回し、きっ、と俺を睨んだ。直ぐに酔うなら飲むなよ!
「勝手に美乃里先生が勘違いしたんじゃないですか!?」
「してらい! してらいもん! 菅原がぁー、騙したんだァ!」
うわぁ。この人完全に酔っ払ってらっしゃる。
もう、俺にはどうする事も出来ない……。
「姫子さん! この人、料理の前にお酒がぶ飲みとか何事っすか? どうにかしてください!」
「そういう人なのよ」
とは言うものの……。
姫子さんは「ほら」と美乃里先生をソファーの上へと退場させる。
察するに、ここに来る途中の電話で美乃里先生は母さんの歓迎会の事を姫子さんから聞いたんだろう。それで、自分が騙されたと思いやけになった……と。子供かよ!!
料理を口に運びながら、母さんの絶賛ぶりを見ていると、遠山が「ねぇ」と口を開いた。
「どうしたの?」
遠山の隣にいた先輩が顔を覗かせる。
「ちょうど、皆集まってるから言うけど……私、あれから考えたんだ。人間殲滅の事」
空気の温度が急に下がったみたいに、皆から笑顔が消える瞬間だった。俺達は、言葉を詰まらせる遠山にゆっくりと頷いた。
「大開放の時にデスタルの人達は攻めてくる。でも、それってかなり不利よね? だって準備とか色々整えてない状態でいきなりだよ?」
言われてみればそうだ。例えば今みたいな時。大開放が起きたら――何て事は少し想像してみるだけでもう俺は恐怖の塊に支配されそうだった。
「でもじゃあ、どうするんだよ?」
直だってきっと、この方法が俺たちにとって不利だと言う事ぐらい分かっていたはずだ。でも、他の方法が無い。
「……それを逆手に取るのよ。大開放で向こうが攻めてくるのを待つんじゃなく、こっちから出向く」
全員の表情が変わったのが分かった。
それなら、こっちの準備は整えられて、向こうが逆に整えられていない、という状況に追い込む事が出来る。それに、遠山や直と姫子さんを巻き込まずにすむ。きっと、普通の人間はデスタルに行く事が出来ないから。
「デスタルでの目的地は勿論、王達のいる宮殿よ」
母さんが人差し指で机をトン、と叩く。
「……ねぇ、私達も行けるの? デスタルには」
このまま、その話題が来なければやり過ごせると思ったけど、やっぱり無理だったか。
まぁ、直か姫子さんのどちらかが、言い出すだろうとは少し思ってたけど。
「姫子さん、多分……それは無理だと思いますよ。虹波君は特別だった訳ですし」
先輩は気まずそうに、ちらり、と俺に目を向ける。
「なっ! それじゃあ、先輩は俺と姫子姉と花音ちゃんを置いて、戦いに行くってんですか? それなら、あっちが出向くまで待ってた方がましですよ」
そう叫んだ直は、唇を噛み締めた。
だって、そうするのが一番良いじゃないか。
もうこんなに、してもらったんだ。ただでさえ、危険な目に合わせていたというのに、これ以上――。
「三人は……っ来なくていいよ」
「虹波……!」
声を上げたのは珍しく姫子さんだった。立ちがり、俺の横へと来るとそのまま続ける。
「あのさ、……分かってるよ。分かってるんだよ。虹波は、いつも自分の事より人の事を考えるのよね」
違う。俺はそんなんじゃない。
だって、周りを見て、自分の意志を考えずに行動する事が大嫌いだったんだ。だから、人の事考えるなんて、そんな事が有り得るはずがない。
いや――……分かってなかったのは俺か。
そう、周りを見て、流されて、空気を読んで、そういうのが、嫌いだった。
そういう風にしか生きられない、自分が大嫌いで、変わりたくて……。
「私達を危険な目に合わせたくないんだよね?」
「だって、ずっと守っててくれたんすよね? これ以上、世話になるとか……カッコつかないじゃないですか」
「菅原……」
三人は優しいから、何もしない事を嫌がると思う。けれど、ここからは自分で動かなきゃいけない気がするんだ。俺にまとわりつく、デスタルとの運命の鎖を断ち切る為にも。
「これはお前だけの戦いじゃないんだぞ? いくら原因を作ったからってどうして、俺達を遠ざける。危険だろうと、一緒に戦ってやるよ! 俺はお前の友達じゃないのか?」
「友達だからよ」
首を横に振り、姫子さんは直の肩に手を置いた。
「……じゃあ、黙って帰りを待ってろって言うのかよ?」
「直君、ありがとうね。虹波の事……そんなに大切に思ってくれて」
母さんの優しさで溢れた笑みに、直は口を閉じた。
「…………くっ……」
それは、やり切れないような、見ていて切なすぎる表情だった。
直は友達だ。それも、これ以上無いと言うぐらい最高な。コイツの馬鹿な話が聞けなくなるのは嫌だしな。絶対に、人間殲滅を阻止するよ……。