第13話 さようなら、先輩
この時の俺はあくまで先輩の様子がおかしいのは疲れたからだ、そう思っていた。
その日の夕方、遠山は笹神寮に引越してきた。直の熱が下がってからという事で、後日、先輩の時と同様に遠山の歓迎が行われた。――そこに、先輩の姿は無かった。
次の日もその次の日も先輩は何処か変だった。まるで、俺を避けているように思える。
「直ー、俺って無自覚に先輩に何かしてたのかな?」
俺はカーテンの隙間から月を覗き見る。そして、部屋に遊びに来ていた直に問い掛けた。
「知らねーけど、星灯先輩って何考えてるか、分からねーからな。何も考えてなさそうってのもあるけど」
「っ、先輩はちゃんと考えてるって!!」
カーテンに背を向け直を勢い良く振り返えった。
「じゃあ、虹波、分かんの?」
直は自分の意見を言ったまでだ。……先輩の事、こんなに分からないのに、俺に直を怒る権利なんてないよな。
「あの学校で、先輩を一番分かってると思ってたんだ。でも、今……俺、先輩の事、全然分かんねー……」
――どくんっ……。
「……何だ、今の?」
「は? 何言ってんの?」
直は感じないのか。こんなに、不快な感じがするのに……?
……――妖魔が、近くにいる――
「……悪い、直。ちょっと出てくるわ」
「おお、姫子姉に見つかるなよ」
扉を開けると、さらに不快感と違和感が強くなる。先輩なら気がついているはずだ。
……こんな気まずい雰囲気のなのに、妖魔の相手なんか出来るのかよ。
頭の中に不安が過る。
「とりあえず、妖魔の所に行ってみっか」
俺は不快感と違和感を頼りにしながら、それが強くなる方向へと進んだ。
……学校?まじかよ。
間違いない。建物が崩れ落ちている。急激な老朽化とでも言えばいいのだろうか。
……っ。
流石に近すぎるのだろう。まだ、学校内に足を踏み入れていないと言うのに気分が悪い。
気を引き締め、足を踏み入れる。
「虹波君?」
上から声がした。視線を持っていくと、校舎の屋上に先輩の姿が見えた。
「……先輩。まさか、一人で戦ってたんですか?」
「このレベルなら一人で大丈夫だよ。……だから、帰って」
「何……言ってるんですか?」
先輩の瞳は無色透明。その笑顔の浮かばない顔の傍を美しい銀髪が風に靡く。
「言葉の通りだよ」
「……嫌です。一緒に戦わないなら、俺一人でやります」
「え……! 待って、虹波君! そんなの、危険すぎる――っ、クロスエンフォース」
危険すぎる……?先輩は、自分の事を棚に置いて何を言ってるんですか?
閉じた目を開くと、そこはあの白い空間。
「……何なんすか? ずるすぎますよ……星灯先輩」
『……ごめんね』
「オープン……」
妖魔は校舎と校舎の間――中庭にいた。蛇の姿をしたそれは、蝶々の時と同じように巨大化していた。
”炎”
先輩は指で三角形を作ると、炎で、相手を攻撃した。しかし、蛇の妖魔はそれをよけた。巨大な身体を感じさせない。
”パージ”
早い……この前は妖魔に攻撃して動けなくしてから浄化させたはず。
それでも、意識集中は自然と行われた。
『……っ、動かないで!!』
妖魔に向かって腕を突き出すと、気体のの波紋が広がっていく。波紋の範囲が広かったのか、蛇の尾が波紋に触れる。すると、妖魔は凍りついた様に一瞬時を止めその直後ぱりんっ!と光の欠片になり空に消えた。
「クロスリリース」
白い世界からこちらの世界に戻ると校舎などの腐敗が自然治癒していた。
「先輩……どうして、俺の事を避けてるんですか?」
「……避けてないよ」
俺は先輩の顔を見ることが出来なかった。俯いたまま俺は口を開いた。
「……ずっとこんな感じなんだとしたら、俺は嫌です。それなら、俺の前に二度と現れないぐらいしてください」
「え……? どうして?」
「先輩が何考えてるか分からないからですよ」
嗚呼、俺は言ってはいけない事を言ってしまった。でも、これは本音だった。後戻りする事は出来ない。
「さよなら」
黙りこくっている先輩に俺はそう告げ背を向けた。先輩から遠ざかる一歩一歩が重い。俺の足音だけが響く。
「…………何も、言ってくれないんですね?止めて……くれないんですね?」
「虹波君、あなたは……普通の人間でしょ? だから、私といない方がいい……虹波君が自らそれを選んだなら尚更……」
「……ははっ。……そうっすね。俺、嫌いです。先輩のそういう所。周りばっかり見て……先輩の意思ってないんですか?」
「…………」
何も言わず先輩は俯いた。今も先輩の瞳は無色透明、輝きなんてものはない。
先輩に初めて会った時、この人はちゃんとこんなにも考えてるじゃないか、夏楓は何て事言いやがる、って思った。確かに、あの時も瞳は無色透明だったけど表情は考えていた。今だってそうだ。表情で分かる。先輩は色々考えている。だけど……どうして、そんなに落ち着いて、悲しさなんて微塵も感じないでいられるのか分からなかった。俺はこんなに………。
「………俺、先輩が何を考えてるのか、全然分かりません! 俺が先輩の前から消えても全然悲しくないんですね! 俺は……先輩に避けられて辛かったのに……っ悲しかったのに」
感情が溢れ出す。止めようと必死で足掻くのに、それはどんどんと強くなって俺を飲み込んでいくようだった。俯いたまま顔を上げようとしない先輩にもはや、諦めのような笑顔を向ける。そして、俺は再びその場に足音を響かせた。
しかし、その瞬間、腕が後ろへと引かれた。後ろから駆け寄って来た先輩が俺の腕を掴んだのだ。
「……待って、虹波君! 違うの……私は……」
先輩の瞳は無色透明のままなのに、その透き通った瞳からはきらきらと輝くまるで宝石の様な雫がぽたぽたと流れ落ちた。
「先輩?」
先輩はがくんとロボットが壊れたように膝をつきぽつりぽつりと言葉を口にした。
「……分からなかったの。行って欲しくっないのに、私がそんな事を言ったら虹波君に……迷惑が掛かるって……分かってるのっ。でも、こんなにも一緒にいたいの。……言葉は全然出てこなくて……そういう時何て言えば、どうすれば良いのか、私は何も分からなくて……。虹波っ、君……行って欲しくない時……私は、どうすれば良いの?…… みんな私から離れていくんだよ?私はもう……一人は、嫌なのに……」
震えた声で一生懸命話す彼女には表情が無かった。ただ、瞳からぽたぽたと流れ落ちる涙。
「先輩って不器用ですね……。そういう時は、言葉にすれば良いんですよ。ただそれだけで先輩の気持ちは伝わるんですよ。だから、俺はずっと先輩のそばに居ます。だからもう泣かないでください。ね、先輩?」
「でも、私の気持ちだけじゃっ……駄目なの。それじゃあ……虹波君に……迷惑がっ……かかる」
月明かりが優しく俺と先輩を包み込む。先輩の瞳からは美しく輝く光の粒がゆっくりと彼女の頬を伝っていた。
「迷惑なんてかからないっすよ。俺が先輩といたいんです。だから、そんな事、思わないでください」
俺は片手を腰にあてにんまりと笑った。
って、今、俺……もの凄く恥ずかしい事を口にしたんじゃ……。
目を擦り涙を止めた先輩は優しさに満ちた陽だまりの様な笑顔を俺に向ける。その花が綻ぶような笑顔で俺の羞恥心は吹っ飛んでしまった。 瞳はやはり無色透明、一瞬だけ色が付いて見えたのは気のせいだろうか。無色透明、それが何だって言うんだ。だって先輩の笑顔からはこんなにも暖かい色を感じるんだから。
「で、先輩が行って欲しくないのは分かりましたが俺にどうして欲しいんですか?」
「うん……前に話した通り私は人間じゃない。デスタルの者なの。でも、デスタルは敵、人間じゃない私に人間の味方はいない。本当に一人ぼっちなんだよ。それでデスタルと戦わなくちゃいけない。だから、あなたを危険に晒すことになるの。……それでも私はあなたに頼りたい……他の人じゃ駄目なの。虹波君が必要なの。だから、お願い。私に力を貸して……?」
「……っ喜んで!」
俺は満足です、という様に大きく頷いた。
「帰りましょうか。一緒に」
座り込んでいる先輩の前に手を差し出す。
「うん。帰ろう」
たわいもないことだ。だけど、先輩と一緒に帰れるという事がどうしようもなく――嬉しかった。