母と妹
風呂に入り、普段は着ることのない私服に着替えた俺は、リリィとルシと共に基地の昔は保健室なる所だった、現医務室へと足を運んでいた。
リリィもルシも、それぞれ私服に着替えていた。
リリィは赤基調のノースリーブに白のショートパンツ、サンダルで、足が細いからスタイルの良さが強調されている。
ルシは白のワンピースに身を包んでいる。麦わら帽子が良く似合っているな。
そう言えば、二人の私服を見るのは初めてだ。
戦闘服を着ているときとは、雰囲気が全然違って見える。
ロンの右腕の縫合は既に終わっているらしく、今はランカ隊長が付き添っているらしい。
「みなさん、来て下さったんですか」
医務室に入ると、すっかり右腕の元通りになったロンと、椅子に腰かけて本を読んでいるランカ隊長がいた。
元通りと言っても、ロンは、頭に何やら複雑な機械のような物を被っているから口元しか見えないが……
「もう大丈夫なのか?」
「ええ、僕の右腕はプラモデルのようなものですから。壊れた部分を取り除いて、新しく取り付けるだけですぐに元通りになるんですよ」
「そうか、ならよかった」
「といっても、脳の電気信号と右腕の反応をシンクロさせるために、今日一日はこれを被らないといけないんですが……作戦開始までには復活しますよ」
「へぇ……ところで、ランカ隊長は、今日はどうするんですか?」
「私か? 私はここに居るよ。隊員の面倒を見るのも隊長の務めだからな。それに、私も医療班から負傷者として扱われているみたいでな……昼からAPSの体内投与があるそうだ」
「そうなんですか……」
やっぱり、イービルから受けたダメージは相当大きかったって事か。
「お前達は地下に行くんだろ? 楽しんで来い」
「はい。そのつもりです」
医務室を後にし、俺達はエレベーターに乗って《地下都市》へと向かう。
《地下都市》はB5に位置している。
チンッ、と音が鳴り、エレベーターが開くと、そこは《地下都市》の入口。エントランスを抜けると、久しぶりの景観が広がっていた。
地上の太陽光発電の恩恵を受け、地下には明かりがと灯り、簡素な造りの家が連なる。
この時間は、一般市民は農業に従事している。地下農園技術は二十年前ではかなり稀有な物だったようだが、ASの研究チームがその技術を確立させてからは、一般市民のほとんどが農業労働者という形で、食いぶちを得ることが出来るようになった。
つまり、人類の地上進出は、人間にとって必要なタンパク質の補給源であった缶詰の枯渇によるもの。野菜は作れても肉は作れないからな。
住宅エリアには、路上に出て遊ぶ子供たちの姿が見えた。
「やっぱりこの時間は、大人はいないわね」
「仕方ない。大人は農園に行ってる時間だからな」
「バカメガネのお母さんも農園に行ってるのよね?」
「いいや、母さんは家にいるよ」
「どうして~?」
通りを歩きながら、ルシが尋ねてくる。
「まぁ、見ればわかるよ」
そう言いながら、俺は角を右に曲がり、ベニヤ板を貼り付けただけの簡素な我が家へとたどり着く。
ASに入隊してから一度も帰ってこなかった我が家。四か月ぶりだ。
玄関のドアを開く。何かを作っているのか、良い香りが漂ってきた。
「ただいま。帰って来たぜ」
俺が言うと、物凄い勢いで足音が近づいてくる。
そして、エプロン姿で現れた小さな女の子が、俺に飛びついて来た。
「お兄ちゃん! 帰って来たの⁉ わーい、お兄ちゃんだ! お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!」
「ちょ、あんこっ! 苦しい……」
く、首が閉まって息ができねぇ……。
あ、ごめーん、と言い、笑いながら離れる少女。
「かわいい~♪ 大地~、この子誰~?」
「か、かわいい」
リリィもルシも、目の前の少女を見て、興奮の色を隠せないようだ。
そんな二人に俺は真実を告げる。
というか、もうさっき言ってたけど―――
「……俺の妹だよ」
俺が言った瞬間、二人はえっ? 嘘でしょ? みたいな目で見てきた。
まぁ、無理もない。何せ俺と、この目の前にいる一見幼児にしか見えない俺の妹は……
「嘘でしょロリメガネ? あんたと全然似てないじゃん。」
「うっせーな! 俺は基本的に父さん似なんだよ。あんこ、二人に挨拶しろ」
「うんっ! 始めまして、火野あんこ十一歳です! 好きなものはお兄ちゃんで好きな人はお兄ちゃんで結婚したい人はお兄ちゃんです!」
ぺこりと頭を下げながら、あんこが二人に挨拶をする。
そう―――俺とあんこは全然似ていない。
クリクリとしたまん丸な目も、ツンッと整ったきれいな鼻先も、俺とはまるで正反対。
しかも、さっきのあんこの態度で分かるとは思うが―――
性質の悪いことに、あんこは所謂―――『ブラコン』だ。それも極度の。
顔が似てない上に幼児体型でブラコンと来たもんだから、俺はいつも変質者に間違われそうになって大変な目に会ってきたってわけだ。
「あんこちゃんて言うんだ~。大地のことが好きなんだね~?」
「はいっ! 今すぐお兄ちゃんと結婚して、毎日お兄ちゃんをべろべろ舐め回したいくらいです!」
「そ、そうなの?」
やべぇ、あのリリィですら引いてるよ。
しかし、ここで治まるようなあんこではない。
こいつは一旦スイッチが入ると―――
「……あんこはね、本当はお兄ちゃんにASに入って欲しくなかったんだよ? でもね、やっぱり、戦いから帰ってきて疲れたお兄ちゃんを、優しくあんこが包み込むっていう新感覚プレイを楽しめると思ったら……ふふふっ、お兄ちゃんを送り出して大正解! お兄ちゃん大好き――――――――ッッ!」
おそらく百三十センチあるか無いかの小さな体で、全力で抱きついてくるあんこ。
そして、そのまま俺の頬にキスをしてくる。
「や、やめろあんこっ! 恥ずかしいだろ」
「嫌だもんねー。四か月もお兄ちゃんに会えなかったあんこの想いを、百二十回のキスに込めてあげる!」
「一日一回かよっ⁉」
そんなやり取りをしているのを、ルシは楽しそうに、リリィはジト目で見つめている。
このままでは俺の社会的評価が危うくなると思ったので、あんこの両脇の下を掴み、幼児をあやすようにして俺から放す。
「そ、そんなことよりあんこ。お前何か作ってたんじゃないのか?」
「あっ! そうだ。お母さんの朝ごはん作ってたんだ」
あんこを降ろすと、あんこは足早に台所へと戻って行く。
俺達も靴を脱いで家に上がり、母さんのいる部屋へと足を向かわせた。
部屋に入ると、既にあんこが母さんに野菜と缶詰の魚を煮たような鍋を食べさせているところだった。
「ただいま。母さん。久しぶりだね」
「大地……ちょっと大きくなった?」
「少しね。母さんは、調子はどう?」
「うん……ここ二カ月くらいは、外にも出てないかな……」
「そう……なんだ」
今は起き上がっているが、常時寝たきりの俺の母さん―――火野三葉は、痩せ細り、四か月前よりも弱弱しい声で返答をした。
決して、病気が原因……というわけではない。
二十年前までは、母さんは元気そのものだったらしい。そして俺が物心付いた頃も、まだ元気だった。
じゃあなぜ、今目の前に居る母さんは、こんなにも弱ってしまっているのか?
答えは、至極単純でそして、残酷なものだった。
―――寿命が短いのだ。
母さんも、父さんと同様に人類の為に文字通り『命』を賭けて、《賢者》や《シャッフル》と戦っていたそうだ。
そして、力を使いすぎた為に寿命を半分以上削られたらしい。
つまり、母さんも【終焉の月曜日】の紛れもない犠牲者の内の一人ってわけだ。
「母さん……紹介するよ。同じ部隊のリリス・ストーンフリ―と、ルシ・ブロスフェルトだよ」
俺は、まず母さんにリリィとルシの紹介をする。
リリィとルシは、初対面の大人に緊張してか、はたまた想像していた俺の母さん像とは違ったのか、控えめな態度で―――
「初めまして、リリス・ストーンフリ―と言います。バカ……いや、大地とは同じ部隊で戦わせてもらっています」
「ルシ・ブロスフェルトです」
スゲェ、リリィが俺の名前まともに呼んだの久々に聞いたぞ。ましてやルシが敬語使ってるとこなんて初めてだ。
「初めましてリリスちゃんにルシちゃん。大地の母の火野三葉です。二人とも、大地と仲良くしてくれてありがとう。……私ね、実は心配してたの。お父さんからの手紙で『大地は入隊してから全然友達が出来てないみたいなんだ。どうしよう』って書いてあったから、ASでうまくやれてるのか、心配で心配で……」
父さん、母さんにそんな手紙送ってたのかよ。
「……でも良かったわ。友達どころか、恋人を連れてくるなんて」
「―――⁉」
ちょ、ちょっと待てよ。母さんもしかしてとんでもない勘違いをしてないか?
リリィとルシの顔を見ると……リリィは案の定固まっているな。ルシは通常運転だ。
「どちらが私に初孫の顔を見せてくれるの? ふふふっ、なんなら二人とも……」
「待って母さん! 誤解だから! 二人はただの友達なんだよ? なぁ、リリィ?」
「そ、そうですよお義母さん。私とこいつはそんな関係じゃ……」
「まぁ、『お義母さん』だなんて……」
素早くリリィにフォローを求めたつもりが、余計にややこしくしやがったよ。
こうなったら―――
「なぁルシ。ルシからも言ってくれよ」
頼むルシ! 俺達より年上な分の、大人の対応って奴を見せてくれ!
「え~、ルシは別に大地の子供産んでも良いよ~♪」
「まぁ」
「話しをややこしくするな――――――――――ッッ!」
何ちょっと顔赤らめながら言ってんだよ! 母さん喜んじゃったじゃねーか。
こんなやりとりをしている中、俺はこの場にいる最重要危険人物であるあんこに目を向ける。
あんこは、母さんに食べさせていたご飯のスプーンを落とし、わなわなと震えていた。
そして―――
「お母さん。心配しないで! こんな、どこから生まれたかも知れない馬の骨共にお兄ちゃんは渡さないわ! あんことお兄ちゃんが結婚して、百人くらい子供産んじゃうんだから!」
「う、馬の骨……」
すまんなリリィ、ルシ。母さんの所為でお前達はあんこの敵対対象になっちまったみたいだ。
それに百人って無理だろ普通。いや、十一歳の子供に正しい性理論を求める方が間違ってるか。
「ふふふっ、こんなに楽しいのは久しぶりだわ。ところで大地、地上はどう?」
「凄いよ本当に。生命力というか、肌で感じるだけで地球と一体化してる気分になれる」
「そう……大地、絶対に危険な《賢者》とは戦わないでね? 親バカのように聞こえるかもしれないけど、あなたが死んでしまったらと考えると、私は耐えれる気がしないの。はっきり言うけど……上級《賢者》程の敵とまともに戦えるのは、今のASではお父さんとAS部隊【ゼウス】位なのよ。もし、人の姿に化けている《賢者》に出会ったら、迷わずに逃げてね」
「う、うん。わかったよ母さん」
母さんの声は緊迫していた。俺を失いたくないと言う思いからなのだろう。
そして母さんは知らない。俺達が、既にその上級《賢者》と対峙していることを。
母さんを心配させないための配慮か、リリィもルシもそのことについては口を開こうとしない。
二人の配慮に感謝しつつも、俺は母さんが上級《賢者》について何か知っていないかを尋ねる。
元は父さんと共に戦い、人類の最前列に居た人だ。何か知ってるかもしれない。
「ねぇ母さん。上級《賢者》って弱点とかは無いの?」
「弱点って言う程のものは……その種族によって変わってくるけど、《賢者》は体の中に、『賢者の石』と呼ばれる核を持ってるわ。それを取り出すか破壊するかをしない限りは、《賢者》は永遠に復活するわ。上級《賢者》は特にその傾向が強いの」
「『賢者の石』?」
父さんからも聞かされていない情報だ。何故父さんは俺達に言わなかったんだ?
そんなことを思いながらも、俺は母さんの話を聞く。
「そう、種のトップがその存在を確立するために、自らの体内に取り入れている全知全能の石と言われているわ。『賢者の石』は、その《賢者》によって存在する場所が変わってくるの。下級《賢者》は『賢者の石』がその種にあまり影響しないみたいだから、普通に倒すだけでいいのだけれど、上級《賢者》はそうはいかないわ」
「へぇ……」
なるほど、父さんが俺達に言わなかったのは、俺達【ロキ】隊が下級《賢者》しか相手しない部隊だと踏んでのことか。
母さんの言い方だと、『賢者の石』を破壊せずに取り出せば、その種は滅亡しない。
だが、このことを俺達に情報として与えれば、俺達の任務の難易度は飛躍的に上がってしまう。たとえそれが下級《賢者》相手であっても。
そうなれば、ASにとって多大な損失になると考えたのだろう。
言い終えると、母さんはゴホゴホと咳き込み、あんこに促されてまた布団に横になる。
「話しすぎてちょっと疲れちゃったみたい。今日は大地の元気な顔が見れて、本当に嬉しかったわ。ありがとう」
「気にしないで。また近いうちに顔を出すから。母さんにも地上を見せてあげたいし……」
「うん。私も楽しみに待ってるわ……」
そう言って、母さんは目を閉じ、スースーと息を立てて眠ってしまった。
「お母さん最近いつもこうなの。一瞬で死んじゃったみたいに眠るから、あんこ初めはビックリしちゃったんだよ。でね、今日はお兄ちゃん達が来てくれて本当に嬉しそうだった。こんなお母さんを見るの久しぶりだよ。お母さんの病気、治らないのかな?」
あんこには、母さんは病気で床に臥していると言って聞かせてある。
あんこは、母さんの寿命が残りわずかしかないことを知らない。
せめて、母さんが天国に行ってしまう前にもう一度、母さんに地上を見せてあげたい。
俺がAS入隊を決意した最も大きな理由だ。
「きっと治るよ。そのために俺は戦ってるんだから。じゃあ、あんこ。俺達は行くよ。母さんのこと、これからも頼むな?」
「うん。任せてお兄ちゃん! お母さんはあんこが絶対に守って見せるから!」
「ありがとう、あんこ」
そう言って、俺はあんこのほっぺに軽くキスをしてから、リリィ達と共に家を出た。