不穏な気配
嵐の前の前の静寂とでも言うべきか、地上の光は包み込むように俺達を照らしていた。
もう何度目の地上だろうか……すっかり太陽の眩しさにも慣れてしまったな。
俺達を乗せたホバライドは、心地良い夏風を切りながら進んでいく。
一昨日辿った風景は、初めて訪れた時とはまた違った情感を抱かせてくれる。
―――これが地上だ。
「ねぇロン、昨日火野総司令に残されてたけど、何を貰ったの?」
「それは現地に着いてからのお楽しみですよ」
「名前なんつったっけ? 確かえっと……『抗エロスティック剤』!」
「違いますよ。『抗エチルパロメタン剤』です」
「そうだっけ……あれだよな? 俺達がアルベルトさんから貰った塩を使ってるんだろ?」
「ええ、そうですよ」
『抗エチルパロメタン剤』って名前は長すぎる気がするんだが……全く、科学者の考えることはよく分からないぜ。
俺達は今、蘭香隊長を先頭にV字編隊で目的地へと向かっている。
後ろを振り返ると、最後尾のホバライドまでは結構な距離がある。八島の姿も見えた。
ホバライドを走らせしばらくすると、前に来た広場が顔を覗かせる。
二十機のホバライドを置いておくには十分な広さがあるだろう。
「よしっ、着いたな。皆分かっているとは思うが、あの林の中にイービルは潜んでいる。あの場所に足を踏み入れた瞬間から、私達と奴との戦いは始まっている」
ホバライドからG武器を取り出し、俺達は戦いへの準備を整える。
回復薬は五本ある、スタングレネードに超音弾も……が、やはりイービルの毒の解毒薬は欲しかったところだな。
何せあの爪で傷一つでも付けられたらアウトだからな。
「ところで、私達はこの林についての知識がないわ。邪悪猫の潜伏地は分かっているのよね?」
【アポロ】の隊長が蘭香隊長に尋ねた。
「ああ、奴の潜伏してるのはおそらく林の中心部、木の中に囲まれた広場のようなところだ。一昨日私の部隊の、このロンがマーキングした跡が微かではあるが残っている」
と言いながら、蘭香隊長はロンの肩に手を置き、他に部隊にロンを紹介する。
ロンは……恥ずかしいのか、すぐに蘭香隊長の後ろに隠れてしまった。
「この子なのね……最年少にして一部隊の参謀を任せられたっていう天才少年は」
【ヘルメス】からも感嘆の声が上がっている。やっぱり、俺とリリィ以外の【ロキ】隊は相当有名なんだな……。
「それじゃあ、ロン。皆に今回の作戦について説明してくれ」
「は、はい……。えっと、今回は慣れない一個中隊としての任務です。火野総司令は固まって行動しろと仰っていましたが、やはりここは各隊がそれぞれこの林に入り、索敵を行って下さい。そして、邪悪猫と接触した隊の【エイド・シャッフル】が照明弾を撃ってください」
「それだけでいいの?」
「いえ……ここからは【アサシン・シャッフル】の方にお願いなのですが、邪悪猫の『賢者の石』の場所を特定してもらえませんか?」
「どうやって探すのよ?」
「―――戦いというものは、常に危険を伴うものです。そして、《賢者》にとって『賢者の石』はいわば、己に隠されたハンディキャップ。わかりますか? 邪悪猫といえどもそれは変わりません。邪悪猫も無意識の内に『賢者の石』を庇うような動きをするはずです。それを観察して大方の予想を立てて欲しいのです。無闇に戦っていては僕達に勝利はありえません」
「大変そうだね~」
ルシも少し難しい顔をしながら声を漏らす。
あの高速に動き回るイービルを捉えるのでもやっとだっていうのに、そこから奴の微妙な動きを察知しろって言うのか……。
「これは僕が調べた情報なのですが、過去の《賢者》の『賢者の石』の位置は、脳、腹部、足に集中しているようです。上級《賢者》に関していえば、脳が一割、肺が三割、オスの《賢者》は睾丸が全体の五割以上を占めているようです。但し、今回の邪悪猫はメスですので、それ以外の部分も見なければなりませんが……」
さすがはロン。知識量だけでいえばAS兵のトップクラスを走っているだけのことはある。
「ちっ……何で俺達がこんなガキの言うことに従わなくちゃいけないんだよ」
「八島……テメェ……ッ」
こいつ、あの時に少しは大人しくなったと思ったら、根っこは全然変わってねぇじゃないか。
嫌な奴だぜ、全く。
すると、またもや蘭香隊長が八島に足して口を開く。
「従いたくないなら勝手にすればいい。但し、一人でやってくれ。【アポロ】隊を巻き込んでもらっては困るんでな」
「……ちっ、ああ、そうさせてもらうぜ。上級《賢者》なんざ俺一人で十分だ」
そう言って、八島はそのままイービルの潜む林の中に入って行ってしまった。
「じゃ、じゃあ、私達も行きましょうか」
八島が入ったすぐ後に、【アポロ】隊も林へと突入する。
「俺達も行くよ。【ロキ】隊には逃走経路の確保もお願いできるか?」
「勿論です。僕が責任を持って皆さんの安全を確保します」
ロンの返事を聞いて、【ヘルメス】隊も行ってしまった。
「よしっ、私達も行くぞ。ルシ、イービルはルシの存在をかなり警戒しているだろう。私達がいかに危機的状況になろうとも、勝機が来るまでは絶対に姿を見せるな。『賢者の石』を無傷で回収するには、必ずお前の力が必要になる。頼んだぞ」
「うん。ルシ、頑張るよ~」
「あ、あの……ランカ隊長」
「ん? どうしたリリス?」
今まで黙り込んでいたリリィが、不安そうな顔をしながら蘭香隊長に話しかける。
「私は、どうすればいいんですか? 大地や隊長はまだこの前みたいに戦えるけど……私は正直、役に立てるとは思えないんです……」
「リリィ……」
確かに、この前の戦いでリリィはお世辞にも、俺を助けてくれた時以外は大した活躍は出来ていなかった。
結構気にしてたみたいだな……リリィがここに来るまで何も話していなかったのはそういうことか。
蘭香隊長は、少し考えてからリリィに近づき……
「リリス、考えるな。お前はよくやっているよ……仲間の為に命を懸けることができる人間なんてそうはいない。この前の戦闘で大地を助けた時のように、自分の出来ることを精一杯やるだけでいいんだ」
「で、でも……私射撃上手くないし、ロンみたいにAPSが使えるわけじゃないし……」
「いいんじゃないのか? それで」
「―――え?」
「最初からうまくいく人間なんていないさ。でも、努力してもがいて苦しんで……その積み重ねで人は成長していくんだ。私はお前より少し長い時間、人を見てきた。成功する人間も、失敗する人間も……。リリス、お前は必ず成長する。この戦いの中で何かを掴むんだ」
「この、戦いの中で……」
「そうだ、そのことに集中するんだ。安心しろ、私が絶対に守って見せる。だから、お前はこの戦いの中で自分を見つければいい」
「ランカ隊長……わかりました。私、やってみます」
リリィの表情が、少し明るくなった。
やっぱすげぇな……蘭香隊長は。人を動かす力というかカリスマ性というか、そういった才能に満ち溢れている。
リリィが返事をしてから、俺達がさっそく林の中に入ろうとすると……
「待ってください。僕達【ロキ】隊はここからは侵入しません」
「? どういうことだ? ロン」
「この入り口は、一昨日の戦闘の後に逃走経路として僕が用意しておいた出口と同じ場所です。邪悪猫はおそらくマーキングしていることでしょう。同じ匂いを持った僕達が入れば、すぐに気付かれてしまいます。ということは、残る二部隊に及ぶ危険が増すということなんです」
「つまり、二部隊には確実にイービルの元に辿り着いてもらい、且つ危険性を出来るだけ回避したいということか」
俺が言うと、ロンはコクリとうなずき、林の南東部分を指さしながら……
「僕の予想したこの林の大まかなマップでは、あそこから侵入すれば、この入り口と丁度反対の位置で広場に到着する事が出来ます。そして、おそらくその入り口が林までの最短経路―――つまり、照明弾の発射があったとしても直ぐに辿り着けるというわけです」
「ロンすご~い! 一日でそんなことまで調べたの~?」
「はい。僕に出来ることはこれくらいしかないので……」
ルシに言われ、少し照れながらロンが話す。
立ち話も何なので、俺達はロンの示す侵入ポイントへと足を運んでいく。
ロンが立ち止り、示した場所は、他の入り口とも対して差は見られなかったが―――
「―――ここは、少し木と木の間隔が広いんですよ。二十年前に公園として使われていたこの場所で、恐らく並木道に当たる場所だったのだと思います。僅かですが、道路として整備されている跡もあるので……」
そこまでロンが言った刹那―――
―――バンッ、バン、バンッ!
赤い光と共に、照明弾が林の頭上で弾けた。
「う、嘘だろ⁉ これは、予定より―――」
「―――早い! 早すぎます! まずいですよ。早く行かないと……っ!」
赤い照明弾は【アポロ】に持たせてある。発射位置は林の中心部―――おそらくあの広場だろう。
こんなにも早く奴と接触するなんて―――
「【ロキ】隊、突入する! 総員、戦闘態勢を―――えっ?」
蘭香隊長が、張り上げた声から一転―――そして、その美しい顔つきが怪訝な、目の前で起こっている現象に慄いた物へと変貌していく。
―――一筋の青い、照明弾が上がった。
―――そしてそれは、【ヘルメス】に持たせた青い照明弾だった。
しかも、どういうわけか、発射位置は【アポロ】とは対極方向じゃねぇか!
「ど、どういうことだよ? ロンッ!」
「解りません! ほぼ同時刻、しかも違うポイントでの接触なんて……」
「ランカ~、どうする~? どっちに行くの~?」
想定外の事態に、動揺を隠しきれない俺達。
わからねぇ……どちらかの部隊が誤射でもしたのか……?
「まずは【ヘルメス】の方だ! 急ぐぞ、警戒を怠るな!」
「了解!」
G武器を起動し、蘭香隊長を筆頭に林へと突入する。
ルシも既にカメレオンによって姿を消しているな……本当に、いつ消えたか分からねぇのが凄いぜ。
ロンの示した通り、道は舗装跡が目立っていて、木が少ない分移動は随分と楽だ。
木々に覆われた細い道へと分け入り、俺達は【ヘルメス】の照明弾の発射地点へと急ぐ。
「この先が少し広い空間になっているようだ」
「そこに【ヘルメス】がいるってことですね?」
「おそらくはな」
周囲に警戒を払いつつ、手前で蘭香隊長がジェスチャーで指示を出す。
3・2・1―――GO!
GTを構え一気に飛び出す俺と、リリィ。
「―――う、嘘だろ……?」
すぐさま状況確認を行うが……そこにイービルの姿は無かった。
結論から言おう―――【ヘルメス】隊は居た。
だが、あろうことか……
「きゃぁあああああああああっ⁉」
リリィが恐怖のあまりに叫び声をあげてしまう。
俺達の目の前に横たわっている【ヘルメス】隊は、全員が血だらけの状態で息絶えていた。
近くにいた一人の女隊員に駆け寄り、状況を確認する。
胸元、首筋、至る所に切り傷や弾痕が見られる。
(こ、これは……イービルにやられた傷じゃねぇ―――)
明らかに人の手によるものだ。他の隊員にも同様の傷が見える。
「蘭香隊長、これは一体……」
「解らない……が、同士討ちをしたのは確かなようだ」
「ど、同士討ちっ⁉」
「何の為にそんなこと―――」
そう言って、両膝をペタンと着きながら震えるリリィ。
まずいな……リリィは人の死に対する免疫が無さすぎる。
このままイービルと遭遇してしまったら、リリィは大丈夫なのか?
「イービルキャットの仕業なのかもしれんな。そうでなければ、統制色の強い【ヘルメス】隊がこうなるはずはないだろう。とにかく、【アポロ】隊の方へ向かうぞ!」
「了解です。……リリィ、立てるか?」
「う、うん……ありがと」
力なく返事をするリリィに対し、俺は手を貸し立たせる。
軽いな……こんな体でGARLを操ってるのかよ、こいつは。
「リリスさん、これを飲んでみてください。きっと体が楽になりますよ」
そういって、ロンがリリィに何やら小さなカプセル剤を手渡す。
「これは……?」
「安定剤です。精神的不安や疲労を和らげてくれる効果があります」
ロンに言われるままに、リリィは安定剤を飲む。
すると、即効性があるのか、リリィの顔色はすっと良くなり、普段の落ち着きを取り戻していく。
「す、すごいこれ、一瞬で楽になったわ」
「それは良かったです。ですが、この薬は一時的に興奮状態と言いますか、恐怖に対する免疫が薄れてしまう副作用が出るので、くれぐれも戦闘中は用心を心掛けてくださいね」
「わかったわ」
リリィが良くなったところで、俺達は【アポロ】の救援へと向かうために足を走らせる。
【ヘルメス】がイービルの奴と交戦した痕跡が無かったことを考慮すれば、恐らく【アポロ】隊の方はビンゴだ。
頼む、俺達が行くまで持ちこたえてくれよ……。