休日のお出かけと影法師。
驚いたわね、こんな山の中でも人の手が加わっているなんて」
フーコメリアは驚いた様子で周囲を見渡した。俺達の居る場所は東小松市から電車で四十分ほど移動し、駅からハイキングコースを利用して歩くこと三十数分の山の中。具体的な場所を言うと自然の地形を利用しつつもコンクリートで脆い部分を補強された水路だ。規模的にはとても小さく自然が多く残されている所から子供が水遊びなんかする場所には最適だと思えるような場所だ。
なお、目的の場所はこの水路ではない。駅から多少傾斜のきつい坂道を歩き、少し疲労感を覚えた頃に狙ったかのように設置されている自動販売機、それを見た俺達はどちらともなく少し休憩しようとジュースを買った。その場で飲もうとキャップを開けようとした時、フーコメリアが脇道を見つけどうせ休憩するならもう少し静かな場所で休憩しましょうと、どこに通じているのか解らない道を進んだ結果、この水路に出たというわけだ。
それにしてもあの自動販売機は巧妙な設置技術が使われていると思う。歩き疲れ始めた時にタイミングよく佇んでいる自動販売機。買わずにはいられないだろう。あの場所に自動販売機を設置しようと考えた人物には東小松市一の……しまった。ここは東小松市じゃない、困ったぞ。
「本当にこの世界は驚くことばかりね。頭では知っていたとしても実際に見るとではすごく違うわ」
この水路がどこに水を運んでいるかは解らない。この下流に畑や田んぼがあってそちらに水を運ぶためなのか、下流の駅近辺に生活に必要な水を運ぶための路なのか。どちらの用途にせよフーコメリアはしきりに感心し、いつも持ち歩いている手帳に万年筆で何かを書き込んでいる。前に何を書いているのか気になってメモを覗き込んだ事があったのだが、向こうの言葉なのか、フーコメリアが独自に考え出した暗号体なのか解らないが、はっきり言える事は一つ。俺では一文字分も理解不能だということだ。
「それにしても悪いわねクッキー。折角のお休みだって言うのにつき合わせちゃって」
「別にいいさ、『あっち』に行くよりかは『こっち』の方が俺は好きだ」
そう言って俺はスポーツ飲料をもう一口分喉に流し込んだ。甘ったるい味が口の中に広がり、喉を刺激して流れていく。それを真似する様に全身に薄っすらと浮かんでいた汗も流れていくような気がした。
「ふぅー」
俺の口から無意識に飛び出たため息を聞いてフーコメリアが笑う。フーコメリアも手に持っているお茶を一口飲んだ。じっと見つめすぎてしまったのだろうか、フーコメリアは何? とでも言いたげな目で俺を見たので慌てて目を逸らした。最近のフーコメリアの行動は予測がつかない。下手に刺激しては俺の方が追い詰められる。
「レン達はもう着いた頃かしら?」
携帯電話を開いて時刻を確認する。店の開店時間などを考えると到着していておかしくないだろう。
「心配だなぁ、アイツ……」
「大丈夫よ、委員長こと桜花さんが付いているから」
「そうだけどな……」
心配しなくてもいいとは解っているのだが、やはり心配なものは心配だ。昔小さい頃一人で留守番することになった俺にしつこいと思えるほど定期的に電話してきた親父と母さんはこんな心境だったんだろうか。
「……そんなに心配だったら付いていった方が良かったんじゃない?」
「いや、それだけは勘弁してくれ……クラスメイトに見られたらきっと俺は殺される」
「それはそれで面白そうだけど」
何かフーコメリアの反応に違和感を覚える。いつもと同じようなんだが、何かが違う。フーコメリアが発する微妙なオーラを浴びているとなんだか此方までソワソワと落ち着かなくなってくる。
「さ、そろそろ行きましょう」
「あぁ、そうだな」
二人でまた言葉を交わしながら傾斜のきつい道を歩く。条件は先ほどと変わらないのだがフーコメリアから発せられる雰囲気がちょっと変だ。俺は先ほどの会話を思い出してあることに気が付く。そうか、そういう事か。きっとフーコメリアはレンが羨ましいんだ。興味がないと言いつつ、実は映画気になっていたんだな、それならそうと言えばいいのに。今日は行けずともまた機会ぐらい作れる。まだ上映期間は一月以上残っているはずだ。
もう一度携帯電話を取り出し時刻を確認。AM10:32(23/土曜日)と時間と日にちと曜日が表示されている。土曜日とあるように本日は週休二日の一日目にあたる休みで当然学校にも行かないで良い。学生にとっても、社会人の大半にとっても嬉しい曜日である。親父のようにいつ休みがあるか解らない人間にとっては特別な日でもなんでもなく、平日と変わらない感覚だろう。
休みの日は大体家に居て家のことをするか、みんなで出かけるといった事が多いのだが、今日に限っては別行動をとっている。俺とフーコメリア、委員長とレンに分かれてそれぞれが目的を持って動いている。俺とフーコメリアがちょっとした観光、委員長とレンは映画を観に行っている。
委員長は元々安達さんや友井さんと最近CMで話題の子犬の感動映画を見て、ウインドウショッピングをするという予定だったのだがそれにレンを連れて行くことになった。事の発端は映画のCM。主演の子犬は柴犬で向こうの世界には柴犬が居ないらしく、CMで画面を所狭しと走り回る柴犬を見たレンが興味を示した。その映画のCMがテレビで流れるたびにレンは手や行動を止め画面をじっと見つめるようになった。別にレンはその姿で連れて行ってくれと催促する気はなかったのだろう、本人的にはただ気になる存在を目にする機会があるからじっと見る、そんなとこだったのだろう。だが、その姿を見るこちらとしてはそんなに気になるのなら……と思ってしまう。俺が動く前に委員長の方が先に動いた。
委員長は先に安達さんや友井さんに連絡を入れ、人をもう一人連れて行っても良いかと聞き、了解を得たらしい。やけに連絡が長く、無理に了解を得たんじゃないかと思った俺は委員長に無理言ってレンを加えてもらったのなら申し訳ない、俺が連れて行くから委員長は三人で行ったらいい。そう提案したら委員長は首を振った。「あっさりと同行者は認めてもらえたわよその後がね……」疲れたような表情を浮かべる委員長にどうしたのか聞くと委員長は俺の顔を見て一言「教えない」だそうだ。どうやらそれまでの会話で答えが出ていたのか、乙女の秘密と言う奴だろう。顔を赤くして怒るぐらいだし。もし理由が前者ならもう少し本を読もう。そう東小松市一のブックリーダーは誓った。
そうして今日、委員長はレンを同じアパートの友達と称し東小松市一の大型複合商業施設『Komatu-East』通称『エコ』に向かった。東小松市だけでなく近隣からも多数の利用者の訪れるエコ。CMなどで流れるこの通称、施設名である『Komatu-East』を東小松に並び変え、『East-komatu』の頭文字を取ってエコなんだろう。
レンには全て話は委員長に合わせるよう言っているのだが本当に大丈夫だろうか。考えれば考えるほど不安になってくる。だとしても今更心配したところでどうにもならない。委員長とレンを信じるとしよう。
どうせならフーコメリアも別行動になったとしてもエコに行ってみるかと聞いたら首を横に振った。興味はあるのだけれどまた別の機会に、だそうだ。その代わり行ってみたいところはある、そう言ったのでフーコメリアに場所を聞くとフーコメリアは慣れた手付きでパソコンを立ち上げ、インターネットを開きある観光地のホームページを見せてきた。
そこは東小松市から電車で行ける距離にある古城跡地だ。天守閣などは残っていないが石垣や敵方に対する備えが山の中に残っている。天守閣跡地には資料館がありその当時の資料や、その後の時代の資料などこの土地にまつわるものが展示されているらしい。らしいというのは俺は行ったことがなく、ホームページに掲載されていた数点の写真を見て知っただけだ。よっぽど歴史に興味がなければ学校行事の遠足や社会見学ぐらいでしかそういった場所に行く機会がないと思う。良い機会だと俺とフーコメリアはそちらに向かうことにした。
「へえ、これはこうなっているのね」
「これは登るのに大変そうな造りだな」
俺達が向かおうとしている資料館は山の上のほうにあり、駅からずっと山頂上に向かって食事処やお土産屋などが並んだ道の途中に迂回路があり、看板で昔に作られた防衛機構の一つであると書かれていたので二人してそれを見る事にした。
コンクリート舗装の道の隣にもう一つ山肌のむき出しになった道がある。看板が立っている事からこの山肌がむき出しになった道こそ昔の防御施設の一つなのだろう。山の斜面を大胆に切り開いただけのシンプルな備えだが登るとなるとこれが案外辛い。段差の一つ一つにかなりの高低差があり、脇に設置されている手摺にしがみつく様にして登らないと簡単に斜面や段差に足を取られそうだ。
「案外、きついなここ……」
「ええ、たった一部分だけだけれどこれはきついわね、全ての場所がこうってわけではないとは思うけれど、昔はこの山のいたるところにこういった備えがあったのね」
「俺はその時代では手柄を立てられそうにないよ、きっとこの山道でへばってる」
フーコメリアと二人、息を切らしながら最後の大きな土手を越える。すると目下に今まで悲鳴を上げながら登ってきた道と遠くには建物の屋根、そしてそれを覆うように木々達の緑が広がっていた。
「苦労して登ってきた甲斐があったわね、これだけで癒されそう」
「それもそうだが、俺は腹が減ったよ」
振り返ると目の前には絶景が広がっていた。達成感を味わっているが腹は膨れない。先ほどから救難信号が鳴りっぱなしだ。お腹を押さえてそう言うとフーコメリアはくすりと笑った。
「そうね、まずは到着したら昼食にしましょう」
歩けば歩くほどフーコメリアから発せられる独特の空気は柔らかくなってきているように思える。これで一安心だ。
空腹で痛み出したお腹を抱え歩くこと二十数分、ようやく目的の場所に到着した。城の天守閣跡に作られた資料館と食事ができそうなお店。俺達は迷わずそちらの店に向かった。
昼よりも少し早く店の中はまだ閑散としているがあと二十分後にはどうなるか解らない。休日という事もあって人はそれなりに居るように思えた。
「で? クッキーは何にするか決めた?」
「い、いや……俺は……」
そわそわと店内を眺めていた俺は真横からの声で慌てて視線をメニューに向けた。メニューには写真付きで美味しそうな料理が並んでいるが、俺は別の事が気になって料理選びに集中できない。まだ客の数も少ない為か、少々机が狭く感じられる二人掛けの机ではなく、二人で使用することに抵抗すら覚えそうな四人掛けの机に案内された。好きな方に座れとフーコメリアが言うので俺はソファーと椅子どちらにするか悩むまでもなく、ソファーに座った。椅子よりもゆったりと座れる分俺はソファーの方が好きだ。俺が座るとフーコメリアも座った。俺の正面とその右斜め前には人は居ない。つまりはそういうことだ。
「どれもこれも美味しそうよね、これなんかどう?」
すっとフーコメリアが身体を寄せ、メニューを指差してくる。机の右側に置かれたメニューがとても寂しそうに佇んでいる。そちらも使ってやるべきではないかと思うのだが俺はそれどころじゃない。こんな風に左側に身体を寄せていたらきっと電車なら隣の人間と殴りあいになっている。俺の隣が人ではなく壁でとても助かった。壁は手を出してこない優しい奴だ。そしてそろそろ俺の腰も限界かもしれない。
「そ、そうだな……」
「ふふっ」
フーコメリアは小さく笑うとその形のいい唇を綻ばせた。本能的に嫌な予感がした。
「えい」
「あふん」
無防備なわき腹を突かれ力が抜け間抜けな声を発してしまう。俺の情けない声を聞いて満足したのか、フーコメリアは一度腰を浮かし、寄り過ぎともいえる距離を調整してくれた。ようやく色々なものから開放された俺はようやく落ち着いてメニューを眺めることができそうだ。メニューに穴が開くほど見なければならない。今俺は顔を上げたくない。最近鍛えられ人の視線が集まっている独特な雰囲気が解るからだ。東小松市一の風見鶏、久遠寺久喜は風向きが変わるまで耐えるよ。
結局悩みに悩んで俺は蕎麦と丼もののセットを頼んだ。フーコメリアは蕎麦のみ。相変わらずフーコメリアは俺の隣に座り移動する気はないようだ。俺は諦めて食事を食べることに専念することにした。料理自体は美味かった。こういった店だからとある程度諦めていたのだが、思いのほか料理は美味く、また来る機会があれば利用しようと思えるほどだ。
「たまにはこういうのもいいわね」
昼食をとった後は最初の目的であった資料館を見て回った。俺はただぼうっとそれを眺めて回るだけだったのだが、フーコメリアは説明の一つ一つによく目を凝らし何度も考え込んだりしながら展示物を見て回っていた。俺はどちらかと言うと展示物を見るよりもフーコメリアの姿を眺めていた時間の方が長かったのかも知れない。先ほどもそうだが、反応の困るような行動を時々してくるものの、フーコメリアは俺や委員長と同じ歳とは思えないほど落ち着き、未来を見ている。何かにつけてフーコメリアは知識の吸収と言うものに余念がない。気になったものや役に立つ事、自分の知識にはないものを見つけるとすぐさまメモを取る。その姿を良く見るという事はそれだけ頻度が多いということだ。今使っているメモ帳ももう残りページが少ない。もうどれだけの事をフーコメリアは忘れないように記したのだろうか。
「ソコに居るはクキデスカー!?」
日本語なのだが、微妙にアクセントが違ったり、一字分言葉が抜けていたりする片言の日本語で名前を呼ばれて俺は振り向いた。聞き覚えのある声でまさかとは思ったが、そのまさかだった。
「ジョン!?」
大きなキャリーバッグを引きずって高そうなカメラを片手に大きな外人が近寄ってくる。遠目ではそうではなかった身長は一歩、また一歩とこちらに寄って来るたびに大きさを増している。徐々に顎が角度を付け斜め三十度ほどになったとき、その上昇が止まった。
「ヤパリ、クキ! 久しぶりデース!」
目の前に居る大男はジョン・B・ジュニア。日本が大好きでたまらない外人さんで、何度も日本に旅行に来ているらしい。そのときに親父と意気投合し、何日間か俺の家に泊まっていた男だ。旅費も何もかもがなくなり祖国へ戻ると言って日本を後にしたジョン。その彼がまたなんで日本に居るのかが気になった。その事を聞くとオーバーな仕草を交えてジョンが説明し始める。
「日本良いトコデース、ワタシ祖国帰ってイッショケンメ働きた、マネー溜まったのでまた来マシタ!」
ジョンは慣れない日本語を喋り終えるとそこでフーコメリアの存在に気が付いた。
「彼女はクキのガールフレンド?」
流石本場。発音が良すぎる。無難にそうだとジョンに説明をするとジョンはテンションダダ上がり。
「ワタシ、ジョン・B・ジュニア、よろしくオネガシマース」
ハグをしようと近づいてきたジョンをフーコメリアは華麗に避けると握手で対応、ジョンも特に気にもしてないようでテンション高く受け答えをしていた。
ジョンと立ち話をすること十数分、親父が家を空けていることを知るとジョンはがっかりした様子だったが、髪を取り出して数字を書き始める。もし、親父が戻ってきたらここに連絡をくれと電話番号を貰った。今回もしばらく日本に逗留するらしい。ジョンはまだ見たいところがあると駆け足で別の場所へと向かっていった。
「とても賑やかな人ね」
「ああ、時々あのテンションには疲れを覚えるけど、基本良い奴だよ」
「でしょうね……あら、危ないわよ」
フーコメリアはそう言って向かってきた男の子を受け止める。少し目を離した隙に男の子は駆け出したのだろう、我が子が知らない人に迷惑を掛けている事を知った母親が慌てて駆け寄ってくる。
「たけしちゃん、もう! すいません迷惑を掛けて……」
「大丈夫ですよ、たけしくん、怪我はない?」
身を屈め、小さな男の子と同じ目線で離すフーコメリアに男の子、たけし君は戸惑いつつも答え、そして謝った。きちんと自分から謝ることが出来るなんてたけし君はなんて良い子なんだろう。その時、母親とフーコメリアの視線がある一点に注がれる。フーコメリアの服にだ。
フーコメリアの服にはべっとりとたけし君の手に握られているチョコレートを想像させる色のソフトクリームと同じ色が付いていた。おそらくもなにもないが、先ほどぶつかった時に付いてしまったのだろう、母親は謝り、たけし君とフーコメリアを連れて汚れを落としに行った。俺が付いて行ってもどうしようもないのでその場で待つことにした。
おそらくトイレなど水道のある所に向かったのだろう、一人でもう数分は立ちぼうけをしているのだが、一向に戻ってくる気配がない。ただ待っているだけでは暇だし、俺は土産物屋を先に覘いている事にした。
「お、兄ちゃん彼女にプレゼントでも買っておくってか?」
結構シモネタが好きそうな顔立ちの店主が声を掛けてくる。俺が答える前に店主は続ける。
「こういった郷土土産なんかプレゼントに最適だよ。いやー全くスタイルの良い彼女と一緒に居る兄ちゃんは果報者だね、その果報をうちにも分けてくれませんかねぇ」
かなりの商売上手だろう、この店主は。俺とフーコメリアが一緒に居たということをしっかりと見ており、相手をほめるような口調で商品を勧めてくる。値段もそう高いものではなく思わず買ってしまいたいと思ってしまうぐらいだ。俺は店主のキャッチトークを聞きつつ店に並べられた品物を見て回る。何か特殊な染物の技術のある街なのか、土産の殆どがカラフルに染められた布を使った土産が多い。取っ手の部分にカラフルな布が貼り付けられてる手鏡とか。ちょっとした小物入れにもカラフルな布がある。
「負けた、買うよ」
「毎度あり!」
店主に敗北宣言をし、俺は青のグラデーションが綺麗な布が張られたメモ帳を一つ店主に差し出した。良く見るとこの布は取り外し可能のようでメモ帳は百円均一にでも置いてそうな安っぽいもの。このカバーと安物のメモ帳で八百円。観光地の土産とはそういうものだろうと割り切り、店主にお金を払い外に出た。
しばらく待っていると汚れを綺麗に落とせたのか、フーコメリアとたけし君が手を繋いで戻ってきた。母親も逆側のたけし君の手を握っており、両手に華状態のたけし君。君は今とても恵まれた環境なんだよ。
「お待たせして申し訳ありません」
「大丈夫ですよ」
謝ってくる母親にそう答えた。俺とフーコメリアの顔を見ていつまでもこうしているわけにはいかない、そう思ったのか母親はたけし君の手を引いてその場を離れようとしたのだが、たけし君はフーコメリアの手を離さない。
「たけしちゃん……」
困ったのは母親だろう。きっとこの人の中では疑うことなく俺とフーコメリアは恋人で二人の時間を邪魔してはいけないと思っているのだろう。そんな大人の事情はたけし君は解らない。お姉ちゃんと一緒がいいというたけし君。まだ小学校に上がったばかりかあがる前か微妙な感じのたけし君。そんな彼をすぐさま虜にするフーコメリアの魔力はすさまじい。きっと俺がたけし君なら同じ反応を示したかもしれない。
「ごめんなさいね、たけし君。お姉ちゃんそろそろ行かないと行けないの」
「また会える?」
「ええ、きっと。たけし君が沢山勉強して、いっぱいお友達と遊んで、いっぱい泣いて、大きくなったらね。きっとたけし君の隣に居るはずよ、素敵な人が」
視線をたけし君と同じ高さにしてフーコメリアはたけし君の頭を撫でながら言う。たけし君は必死にフーコメリアの言葉の意味を考えているようだ。それを微笑ましそうに見つめていた母親は一度フーコメリアを見て意味深な視線を俺に向け、微笑んだ。
たけし君は未来の約束に満足したのか、すんなりと手を離し、大きな声でまた会おうね、と何度も振り返りながら言っていた。
「まったく、魔性の存在だこと」
「あら、そう? すくなくとも彼は将来立派な男になるわね」
「フーコメリアの魅力に気が付いたから?」
「ええ」
たけし君達と別れ、駅へ向かって歩いているとき、話題がたけし君の話題になった。フーコメリアは微笑ましいたけし君の行動を思い出し小さく笑った。
「クッキーもあんな経験あるの?」
「それはノーコメントで」
男の子時代だった時の甘酸っぱい思い出は胸の中に秘めておくべきだ。それは大事な思い出で、今も俺の胸の中にある。少なくともこんな雰囲気で言い出せる内容ではない。俺の姿とたけし君の姿がモロかぶりで恥ずかしくて仕方がない。きっとたけし君も大きくなり、俺と同じ状態になったとしたらきっと同じ事を考えるだろう。
フーコメリアの尋問をどう避けようかと思っていたとき不意にフーコメリアが身体を押し付けてきた。この尋問はヤバイ。すぐさま無条件降伏してしまいそうだ。
「で、さっきからクッキーは何を隠しているのかしらね?」
「え、な、何のことかな?」
思わず手帳を入れている胸ポケットに触りたくなる衝動を堪えとぼける。渡すために買ったのだが、いざ渡すとなると気恥ずかしくなかなか渡す口実が思い浮かばない。
「ちょっと挙動不審な動作が多いわね、チラチラとこちらを見ているし。たけし君にヤキモチを焼いてるのかしら? 手だったら繋ぐわよ?」
降参、降参だ。東小松市一の素直といわれた俺に小技は出来ないようだ。ストレートに渡そう。
「これ、さっき土産屋で買ったやる。今の手帳も残り少なくなってるし、いつもフーコメリアには助けられているし、その感謝の気持ちだ」
「え……?」
フーコメリアは目を丸くした。あれ、おかしい。フーコメリアは俺の挙動不審から何かプレゼントがあるって知っていたんじゃないのか?
俺が差し出した手帳を両手でゆっくりと受け取ると、まるで高級手帳を貰ったかのように大事そうに手帳を胸に抱いた。
「ありがとう、大事に使わせてもらうわね、クッキー」
そう言うとフーコメリアはいつもより少し歩幅を大きく歩き出した。慌てて俺はフーコメリアの後を追うが、なかなか並んで歩けない。
「ちょっと、フーコメリア、歩くの早くないか?」
「……別に普通よ」
絶対に普通じゃない。もしかしたら手帳を渡したのは不味かったのだろうか? 自分の記録は自分の買ったものでというポリシーがあったのかもしれない。
「ちょっと待ってくれって、早いって! 流石に歩きつかれてこのペースはキツイ!」
「そう? 私は普通だけれど?」
あくまでも普通と言い張るフーコメリア。明日は筋肉痛になることを覚悟して俺は小走りでなんとかフーコメリアの隣に並ぶ。何度か話しかけてもフーコメリアは視線を合わせようとしない。これは相当に不味くないか?
「フーコメリア、怒ってるのか?」
「え?」
俺がそう聞くとフーコメリアは心底驚いた声を上げた。
「さっきから全然俺の方向いてくれないし、何を聞いても普通だとかそんな事ないってばかりで」
「怒るはずないわよ、嬉しくてどうにかなりそうなほどよ」
フーコメリアは俺の腕を掴んでようやく視線を合わせていつもの調子でそう言ってくれたのだが、それも三秒だけ。
「ちょっとごめんなさい、直視は今は無理よ、きっとみっともない顔をしているから」
そう言って顔を背けるフーコメリア。顔が赤いのは夕日のせいかと思っていたのだが、そうではないようだ。
「……照れんなよ」
「馬鹿」
俺とフーコメリアは夕焼け空の下、二人別の方向を向いて帰宅することにした。俺達よりもずっと前を進む影法師もそっぽを向いたままだけれど、片方の影法師がしっかりと片方の影法師の裾を握っている。裾を握られている影法師としては気が付かない方がいいのだろうな。




