ちょっとした変化の日 午後。
どうやらこのクラスにはストーカーが居るらしい。誰から聞いたのかはたまた隠れて見ていたのか知らないが、いつの間にか昼休みに委員長達と一緒に飯を食ったと言う情報を聞きつけて事の仔細を聞きたがる奴が数名俺の回りに群がっている。
岸枝も聞かれたらしいがシンプルにたまたま一緒にご飯を食べただけだよと答えると岸枝への質問タイムは終わり、そのまま俺へとシフトチェンジだ。俺も岸枝と同じように答えても俺だけはそれで終わりじゃないのは何故だろう。俺が牛だったらきっと何度も尻尾を身体に打ち付けて虫を追い払うだろうが、生憎俺は人間でそんな一人SMプレイに興じられるはずもなく、ただ耐えるだけしか選択肢がなかった。
「あー、うざったい……」
「お疲れだなークッキー」
質問攻めから逃げるために一足早く教科専用の教室に逃げ込んだ俺は机に突っ伏そうとしたのだが、前の席に誰かが座ったので机に沈んでゆく頭を無理矢理持ち上げた。
「岸枝かー、もう疲れもするよ、なんであいつらあんなに必死なんだよ」
目の前には見慣れた顔が一つ、岸枝だ。俺の机に右腕を置きそれで顎を支えているよくあるポーズで爽やかさを振りまいている。ぐったりと机に頬をつけて呟くと岸枝が俺のつむじを突きながら答える。絶妙な加減で頭皮が刺激されて頭にいいかもしれない。もちろん薄くなった教師にそれをしようとは思わない。彼らにそんな事をしたらきっと顔の形が変わるまで指導されてしまいそうだ。
「クッキーはもう少し周囲の目ってのを気にしろよな」
「周囲の目? 別に俺はおかしな事やった覚えはないけどな」
「そういうことじゃなくってな」
岸枝が嘆息し続ける。
「委員長ってクラス内での人気があるって知ってるか?」
「そりゃ知ってるよ。あれだけ面倒見がよくってとっつき易い子ってなかなか居ないよな。そりゃ男女問わず人気あるさ」
俺がそう答えると岸枝は強く俺のつむじを押す。
「あだだだっ、なにするだぁ!?」
「そういうことじゃなくってな……早い話がクッキーに皆ヤキモチ焼いてんだって話なの」
「は? 一体なんで俺? この前髪か?」
「それはない」
きっぱりと前髪説を否定された俺はしゅんっと背中を丸くする。
「委員長って面倒見は良いけどさ、ちゃんと人と人の間の壁ってもんは持ってるぜ? でもなクッキーにだけはその壁ってもんが存在してないか、はたまたとても低いかと思うんだ」
「壁ねぇ……?」
思い浮かぶは未来が見えるって言うちょっと不思議な特徴がある事だ。真面目な委員長の事だから気にしてしまうんだろうか。もしそれが委員長と他の人間との壁になっているのなら、なんとかしたいと思うが……。
「てんで見当違いな事考えてる顔だ……とりあえず、俺はクッキーと委員長の間に何かあって今のように仲良くなったと思ってる。なんだかんだでクッキーは意識しなくとも人助けするからな、昼だってそうだ。ああいう何気ない人助けをして委員長と仲良くなったんじゃないかって俺は思っているんだけどな、そうは考えきれずただずるいって何もやりもしないのに騒いでる奴が悲しいことに大勢居るからな……」
岸枝はパンパンっと俺の肩を叩いてにっこりと笑う。爽やかな外見であっても力は強い。手加減をしているだろうが肩に伝わる衝撃はなかなかに重い。
「ま、何があっても俺は絶対クッキーの味方だ。困ったことがあったら頼れよ」
「困った時は頼らせてもらうよ、悪いね」
本当にこの岸枝祐樹という人間には助けられている。気が付けば仲良くなっていて、いつも一緒に行動するようになっていて、こうやって俺がしんどいときはきちんと助言とかフォローをくれる。ちょっと悲しく思うのが、そんな友人との仲良くなったきっかけってのが思い出せないことだ。岸枝に聞いても俺も覚えてねえって笑うだけ。最高の友人であるだけにその点だけはちょっとやりきれない気分だ。
「それはそうと最近クッキー付き合い悪いぞ、たまには一緒に遊びに行こうぜ」
「あー、そういえばそうだな……此処のとこちょっと忙しかったけど、今は落ち着いたしな、いいぜ。今度遊び行こうぜ」
岸枝と遊びに行く約束を取り付けて、ちょっとだけ意識をフェードアウトさせたのだった。それだけでずいぶんと疲れていたマインドは持ち直すことができたと思う。
「一体なにをどうしたらそんなゲームとか漫画みたいな展開になるんだよ」
「くそ、モテ期か、これがモテ期だというのか」
「魔法か? 魔法の力か?」
ワイのワイのと俺を囲んで実に好き勝手喋ってくれるもんだ。東小松市一の厩戸の皇子と呼ばれた俺でも全てを聞き取る事は出来ない。そして彼らは回復した俺のマインドを容赦なく削っていく。エスカレートすればいつか俺はオーバーキルされるんじゃないかと不安でたまらない。
一つ一つ説明していくのも面倒だし、俺は聞き流しつつ彼らの気が済むまでやらせようと思っていたのだが、周りはそんな俺の気持ちなんて酌んでくれるつもりは全く無いと言うことがよく解った。黙っていれば更にエスカレートしているような気がする。
「あぁ、もう、いい加減にしろッ! 五月蝿い!」
ダンっと机を強く叩くと俺の右斜め後ろの席に座っている……確か依本里奈、セミロングほどの長さの髪の人がポニーテールに憧れて無理矢理してみましたといった感じの可愛らしいちょんまげを頭生やしているのが特徴的な子だ。背はそう大きいほうではないが小さすぎもしない、百六十センチあるかないか微妙なライン。同じぐらいの大きさの女の子が他にも沢山居るので極めて女子身長の平均に近い身長だと思う。
彼女は転入生だ。騒がしいのが好きじゃないのか、転入生の通過儀礼ともいえるクラスメイトからの質問攻めに心底うんざりした様子で受け答えしていた姿が印象的だ。結果、転校してきて三週間が経つのだが親しい友人はおろか、趣味趣向も一切謎のまま彼女はクラスから孤立しいつも窓の外の雲を眺めている姿をよく見かける。
そんな子が不快感をあらわにして席を立ちこちらに向かってくる。頭の中で特撮映画で有名な怪獣のテーマソングが流れるがうっかり口ずさんでしまった日には、本家も真っ青の尻尾以上の鋭い平手打ちが飛んできそうだから止めておく。平手で済めばいいがと言う恐怖も思い浮かんだのはいうまでも無い。
「毎日毎日ギャアギャアと……お前らそうやってそいつの文句ばかり言っていやがるが、お前達の中でそいつみたいに誰かを助けたか? 誰かに感謝されるような事をしたか? ただ結果だけを見て羨ましいだの魔法だのと、そうやって努力も何もしねえでただ羨むだけの奴に結果が出ると思うなよ!」
俺を囲んで騒いでいた連中は皆一同に口をぽかんと開けて依本さんを見つめていて誰一人として彼女の言葉に反発する者は居ない。
残り授業は一枠、特に大きな問題もなく『平凡な一日』で終わるはずだった学校での一日の終盤に突如として発生した事件に関係者はもちろん、離れた場所で自分達のグループ内で世間話などをしていた部外者の注目は事件の中心人物である依本里奈に向けられている。
「そこのお前!」
依本さんは俺を囲んで騒いでいた一人を指差した。
「お前が他の奴と話をしているとき、こいつは床に散らばったペンを拾うのを手伝っていたぞ」
「次にお前! お前が飲み物を買いに行っている時、こいつは黒板を消すのを手伝っていた」
依本さんは次々と何やら俺と他の奴を比べるような言動でぽかんと口を開けたままの連中に言って回る。
「人から好かれる理由は沢山あるだろう、それを見ようともせずただ文句を口にするだけの人間ってのは心底醜い、そいつの境遇が羨ましいと思うのならそれに見合う努力をしろ!」
一通り文句を言い終わってスッキリしたのか、依本さんは身を翻し教室を出て行った。取り残される形となった連中はお互いの顔を一度見渡して、バツが悪そうに俺の周りから散り今まで自分達が俺にしていたのと同じ事を別の奴らからされている。
「一体どうしたんだよクッキー」
自動販売機に飲み物を買いに行っていたと思われる岸枝がジュースを片手に俺に寄って来た。
「あぁ、あいつらが懲りずに昼の事で騒いでたらあまりの騒がしさに依本さんがキレた」
「そんな事だろうと思っていたけどな」
苦笑いを浮かべた岸枝はジュースのキャップを開け一口ジュースを飲むとすぐに口からジュースを離した。
「べーつにクッキーがどうしてようと関係ないのにな、あいつら委員長好きすぎだろ」
そう言って岸枝と一緒にジュースを買いに行っていた一人、井上公太郎も岸枝にならうようにプルタブを起こした。井上という苗字はこのクラスにもう一人居て、区別をつけるために皆こいつの事は下の名前かあだ名で読んでいる。割と仲は良いのだが、学校でのこいつの活動時間は短い。バイトを頑張っているようで授業中は殆ど寝ている。
「でもおっかなかったな、俺決めたよ、依本さんの近くでは騒がない。触った神に祟られたって言うしな」
馬鹿こと馬場。運のみで世を渡っていくギャンブラーだ。先ほどの台詞でもその残念さはよく解る。ちなみに名前は天斎。自分でも名前負けとしているとわかっているらしくあだ名もしくは苗字で呼ばれる事を好んでいる。
「かすがちんは皆のアイドルだねぇ」
「私を倒さない限り桜花は渡せない!」
委員長のお友達友井さんと安達さんも登場だ。なんだかんだでこの二人も噂話好きだからな。
「ちなみに今のは『触らぬ神に祟りなし』が正解よ、馬場君」
「僕覚えたよ!」
二人が居るなら当然委員長も来た。すかさず馬場の間違った知識を矯正しつつ話に入ってくる。馬場は元気に委員長にそう答えるがきっと明日聞いたら忘れてそうだ。
「でもびっくりだよ、えっと依本さんってちょっと怖いよね。いつも空ばかり見てるからもう少し大人しいと思ったけど」
「だよなーアタシも桜花の次ぐらいに怖い人って記憶しておこっと」
「ちょっとなんで!?」
委員長弄りの始まった安達さん。本当に仲がいいなあ。
「ま、これでクッキーの質問タイムが終われば……いいよな」
俺を心配してくれているような口調の馬場だが買ってきたジュースの蓋をコップ代わりにして飲もうという精神年齢低めのチャレンジをしていて、俺よりも蓋のほうに意識のほぼ全てを向けているような気がする。
「あーまた馬場君が馬鹿な事してる。てい」
友井さんは馬場の邪魔を始める。委員長や安達さんは呆れた様子で軽くやめとけというが友井さんは止まらない。
「うわ、やめてともちゃん、うわっ」
結果小さいペットボトルの蓋からジュースがあふれ、飛び散ったジュースが馬場と友井さんの手を濡らす。
「ありゃりゃ」
「ちょっと、ともちん……馬場君も手を洗ってこないとベタベタするわよ」
『はーい』
二人は並んで廊下に手を洗いに向かった。なんだかんだで友井さんの精神構造は馬場に近いのかもしれない。
「なにやってんだか二人は」
「くそ、俺も缶ジュースじゃなけりゃ……」
「え?」
俺と岸枝はとても悔しそうに呟く公太郎にツッコミを入れた。
「まったくしょうがないよな」
トイレットペーパーを適当に千切り、馬場のジュースの周りと床を拭きあげる。このトイレットペーパーは教室の後ろのロッカーの上に誰がトイレから持ってきたのかわからないが置かれており、ティッシュ代わりに重宝されている。なくなる寸前になると気が付いた人間がまたどこかからトイレットペーパーを補充するシステムが出来上がっている。
「なんだかんだでクッキーって世話焼きさんだよね、桜花と同じぐらい」
「いや委員長には負けるって」
「いやいや、今回はクッキーの反応が早かったけど絶対桜花も地面文句言いながら拭くつもりだったって、ね?」
安達さんがそう言って委員長の肩を小突くと、委員長は図星を突かれたのが恥ずかしいのか赤くなりながら安達さんを小突き返してる。
しばらくすると手を洗ってきた二人が戻って来て、友井さんが口を開こうとしたときに最後の授業開始のチャイムが鳴った。
「よーし、掃除終わり!」
この掃除が終了して俺達学生は日々のお勤めから解放されるとあって、掃除大好き人間の岸枝でなくとも掃除終了時の開放感ったらない。既に用事のある奴らは鞄を手にそそくさと教室を飛び出していっている。
「いつも教室掃除は終わるの早いな」
「まったく羨ましいね」
馬場と公太郎が鞄を取りに教室に戻ってきた。他のやつは大体鞄を手に掃除場所に向かい、そのまま帰宅する流れをとっている奴が殆どだが、この二人は放課後教室内で駄弁っている場合もあり、教室に鞄を置きっぱなしにして掃除場所に向かっている。それが解っているから俺や岸枝もそそくさと帰らずにこうして教室に残っているのだが。
「クッキーに岸枝君に馬場君にハム君ばいばーい」
「あれともちゃん達もう帰り?」
「今日は三人でちょっと出かけるんだー」
岸枝が友井さんにそう聞くと委員長、安達さん、友井さんは仲良く手を繋いで振る。これ以上引き止めるのも悪いと思ったのか岸枝は言葉短く話を終わらせた。俺達も三人を見送ってからまた自分達の話に戻った。
「あ、ハムに岸枝、バイトの時間そろそろやばいんじゃね?」
「お、ほんとだ。じゃ、また明日な」
バイトをしている岸枝とハムこと公太郎が離脱。電車通学の馬場もいい時間つぶしにもなったようで混雑時代を抜けたと言っていた。おそらく混雑時間を少し盛大に例えてしまったと思うのだが、本気なのか意図的にそう言ったのかは区別はつかない。だって馬場だし。
今日の夕飯は手を抜いて『あっつもっと』で弁当にしよう。少し多めに買っとけばフーコメリアが早めに戻ってこれたとしても対応できるし。
「おーい、誰か居るかー?」
教室を出ようとした瞬間、ちょっと急いだ様子で担任が教室に戻ってきた。
「お、久遠寺今から暇か?」
担任からにじみ出る雰囲気から面倒な事に違いないと予測した教室に残っているクラスメイト達が一斉に視線を下げたり携帯を弄ったりする中、ばっちりと目が合ってしまい餌食に。まるで『だるまさんが転んだ』でうっかり動いてしまったような雰囲気だ。
「美化活動の手が足りなくてな、手伝ってくれないか?」
「はぁ、いいですけど……」
返事の前に用件を言うのはずるいと思う。そんな事言われたら手伝うしかないじゃないか。俺は今から帰宅できると喜んでいた意識を頭の隅に押しやった。もう少し我慢してくれ、きっと俺は帰るから。
「さっすが久遠寺、ジュースぐらいなら奢るから、な? な?」
ジュースがもらえるのなら手伝おう。東小松市一の美化活動家久遠寺久喜に任せなさい!
担当の教師の後に続いて美化活動集合場所に向かうとちらほらと鞄を手にした生徒が居た。
「結構居ますね、俺居なくとも……」
「馬鹿言え、先月の遅刻回数オーバー者とクラスから二名で考えると少ないだろう」
ぱっと見て四十人は超えている。ずいぶん人が集まっているように思えるのだが、そうじゃないらしい。
「このうちの六割が遅刻者。四割がクラス派遣だぞ?」
遅刻者はペナルティとして参加が義務付けられているのだが、クラスで決められた参加者はこれに参加せずともペナルティはないのでサボって帰宅する奴が多いらしい。俺達のクラスでは月一の活動の日に日直だった人間が生け贄となっている。
「転校生が日直でもう一人の日直は来やしないし、助かったよ久遠寺。お前は地元だろ?」
「別にいいですけど、ジュース忘れないでくださいね?」
解った解ったと担任は言うと心底安心したようなため息をついた。大人といえ、やはり色々とあるのだろう。力の抜けて丸くなった担任の後ろ姿を見ると強くそう思う。
地域貢献を目的にして学校が月に一度行っている活動で確か市から感謝状が送られていた気がする。全校朝礼時ウトウトしていたからこの活動での感謝状かは自身がないが。活動はいたって簡単、腕に腕章つけてゴミを拾うだけの簡単なお仕事だ。
活動委員会の説明が終わると腕章とゴミ袋に軍手、火バサミを渡され地図が渡される。地図は活動が始まってからずっと同じものが使用されているようで、レストランの机の上に置かれる期間限定のメニューのように紙が濡れないよう、破れないようにラミネート加工が施されている。手渡された地図には掃除区域が色分けされていて学校から駅や商店街までといった広範囲を掃除するようだ。
俺が渡されたのは緑色の腕章。掃除区域はこの緑、学校の裏側から駅へと向かうコースのようだ。コースにも番号があり俺は2コース学校を出て駅途中の公園を清掃し戻るといった最短コースだ。遅刻者は1コースを掃除しその後3コースを回るコースだ。移動距離、仕事量が俺達2コースの生徒と違うのはペナルティだからだろう。
三種の神器である軍手、ゴミ袋、火バサミを装備してゴミ回収の旅に向かう。どうやら周辺地域でも恒例行事となっているようで、すれ違う近隣住民達も腕章をつけた俺に気さくに頑張ってと声を掛け自転車で失踪していく。
十五分ほどゴミを必死に集めていたらまあ結構なゴミが落ちているものである。綺麗そうに見えて植木の裏とかちょっとしたくぼみにゴミは隠れている。
「すっげ、このゴミでっか!」
「おい……」
思わぬ大物に歓喜の声を上げていると、黙々とゴミを拾ってきた相棒、依本さんが声を掛けてきた。
「お前、なんで此処に居るんだ?」
「何でってそりゃ手伝いを頼まれたからでしょうよ」
依本さんに思ったままの答えを言うと依本さんは呆れたような表情を浮かべて左手で首筋を搔きながら続けた。
「それはそうだが、普通頼まれたからってこんな面倒なこと普通進んでやらねーぞ?」
「その台詞そっくりそのまま依本さんに返せるけどなぁ」
遅刻者のようにペナルティを抱えていない依本さんはこんな面倒な活動をサボって帰る事だって出来たはずだ。後日何か文句を言われたとしても、転入生だからわからないことが多くて……とか住居の片付けが忙しいからと言ってしまえば強く文句を言われる事はないと思う。それにもう一人の相方もエスケープしているので責任も分散されるはずなのに、それを依本さんはやらなかった。
「面倒だ面倒だって言いながらも思いのほか真面目にゴミも集めているし」
俺はそう言うと依本さんの手に握られているゴミ袋を六十センチ近くある長さの火バサミの先端を向けた。無駄にゴミを拾って量増しをしている俺と違い、純粋に道に落ちているゴミなどを律儀に拾って中身は細々したものが多くともしっかりとゴミを集めていた。
「あ、アタシは自分の仕事はしっかりとする性格なんだよ!」
そう言ってぶっきらぼうに答えた依本さんは捨てられてぐちゃぐちゃになったお菓子の空箱を火バサミで掴むとゴミ袋に入れた。言葉遣いは少し雑だが真面目な性格なのかもしれない。今こうして話しているのが普通のように思えて、いつも教室で窓の外ばかり見つめている姿の方が嘘のようだ。
「なんでこうして普通に話せるのにいつも依本さんは空ばかり見ているんだ?」
俺の頭に浮かんだのは少し寂しげな瞳で空を見つめる依本さん。彼女の持つ雰囲気はこちらに来たばかりのフーコメリアが時々見せていた雰囲気に似てる感じがした。いつも空を見ていることを聞くと、依本さんは一瞬だけ目を丸くするとすぐに表情を崩した。
「以外に見られてるんだな……別に何か思うところがあって空ばかり見てるわけじゃねーよ。昔から空を見るのが癖なんだよ特に何も考えていなくともいつの間にか空を見ているんだ」
「確かに夢が溢れているからな」
俺はそう言って茜色に染まった空を見上げた。空には沢山の雲が様々な形をとって自由気ままに漂っている。
「夢?」
俺は一つの雲を指差した。
「家族。お母さんと子供が手を繋いで帰ってる」
「アタシには犬にしか見えない」
「俺には別のものに見えてきた」
形を変え始めた雲を見てそう呟くと依本さんはクスリと笑った。
「なるほど、お前の周りに暖かい人間が集まっている理由がちょっと解った」
一体何のことを言っているのか解らなかったが下手に聞き返すのはやめておこう。次は俺が反応に困る番になると思うから。
そのままぽつりぽつりと言葉を交わしながら清掃活動のコースを回って学校に戻ってきた。委員会の人に火バサミや軍手に腕章といった装備品を返しようやく一時間ちょっと遅れの帰宅タイムだ。冬の到来が近くなっており茜色の空はすでに薄暗い幕が下りてきている。等間隔で並んだ街頭は明るく周囲を照らしている。
思っていたより遅い時間だ。レンがもし家に戻っていれば腹が減ったと騒いでいてもおかしくない時間だ。委員長は寄り道から帰ってきただろうか。フーコメリアはまだ向こうの世界に居るだろうか。そういった事を考えながら帰路を急いでいると俺と同じように帰路を急いでいると思われるブラウス姿のお姉さんが歩道橋を駆け上がっていた。
お姉さんの後姿に見とれているとお姉さんは歩道橋の真ん中ぐらいでバランスを崩し、大きく左右に揺れ手を振りながらゆっくりと後方に落下を始める。危ない、そう思ったときには身体が動いていた。
階段を数段駆け上がると上から落ちてくるお姉さんの身体をキャッチ。両手には柔らかい確かな感触。
「だ、大丈夫ですか?」
そう問いかけて俺は気が付いた。全然大丈夫じゃない。俺の手はすごい状態になっていた。右手はしっかりとお姉さんの希望を掴み、左手はブラウスの上に羽織っているベストの脇から手を突っ込む形でお姉さんの希望を鷲づかみ。これを第三者が見れば絶対に後ろから襲い掛かった傍観としか見えないだろう。なぜなら当事者でもそのようにしか見えないからだ。
「あれぇ~わたし、なんともないんだぁ~」
やけにゆっくりとした動作で周囲を見渡すお姉さん。ウェーブのかかった長い髪が揺れて俺に花のような香りを届けてくれる。どう声を掛けたものかと悩んでいるとお姉さんはゆっくりと自分の胸へと視線を落とし胸から生えている謎の物体を追ってゆっくりと背後を振り返った。このときにしっかりと目が合った。大きな目が印象的だが眠そうなトロンと垂れた目が印象的なお姉さんだ。
俺の中で警告音が鳴り響く。このままじゃ十中八九とんでもない状況になりそうな気がする。いや、気がするじゃなくてなると断言してもいいかもしれない。俺は前髪を掛けてもいい。
お姉さんは沈黙したまま俺をじっと見つめてぽんっと手を叩いた。
「きみがぁ~助けてくれたのぉ?」
かなり間延びした喋り方のお姉さんは子供をあやす様に何度も『えらいぞぉ』を繰り返しながら俺の頭を撫でる。
「うん、じゃぁ~気をつけてかえるんだぁ~よ~」
お姉さんはすっと立ち上がると何度も後ろを振り返りつつ俺にゆっくり、そして大きく手を振りながら暗闇の中に消えていった。ぽつんと残された俺はぽかんと口をあけたまま何度か手を閉じたり開いたりしたがあの弾力はしばらく忘れられそうにない。




