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ちょっとした変化の日 午前中。

 久遠寺久喜の朝は早い。夜の冷え込みを残し、うっすらと明るくなってき始めた河川敷を走っている。

 河川敷に設置された時計の針はまだ六時を回った所だ。そろそろ冬が近くなってきたということもあり明るくなるのも遅くなってきている。時折すれ違う車はフォグランプ、道を照らすには心もとないライトを点けたまま走っている。

 目の前では小柄な人物がリズム良くポニーテールを左右に揺らしながら走っている。上下共に白っぽい色のウインドブレイカーを着用しているのだが、サイズが慎重に合っておらず、裾を何回か折り曲げて長さを調整している。

「うえっぷっぷ! まったく、アレは一体なんなんだ! 見るからに身体に悪そうな毒を吐き出しながら走るとは……本当にこんな所を走って大丈夫なんだろうな、クキ!」

 後方からの追い抜きざま、真っ黒な排気ガスを残して走り去っていくトラック。あの排気ガスの黒さからしてちょっと前のディーゼルエンジンが搭載されたトラックだろう。レンは背が小さいのでトラックなど車高の高い車の排気ガスにはずいぶんと困らされているようだ。排気ガスを除けるため更に左寄りに移動したレンは振り返って排ガスが有害か聞いてくる。

「確かにトラックとか通ったりするけどここ以上にランニングに適した道はないって。少しルート変えれば信号が増えるし」

「むう、確かに信号は面倒臭い。少し走って立ち止まって、また走るなど意味がない」

 レンはそう言い残すと更にスピードを上げる。おいおい、まだ上げるのかよ。一月近く付き合って体力も付いてきたからなんとか付いて行けるけれどもちょっとしんどいぞ。

 スピードを下げるよう提案しようと思ったが、レンに馬鹿にされるのは我慢ならないのでそのままのスピードで付いて行くことにした。東小松市一のやせ我慢の達人の極意を見せるときだ。

 元々剣を振るったり身体を酷使する生活のレンにとって体力づくりは欠かせないらしく、こちらの世界に来ても朝のランニングなどは怠ることが出来ないと走り始めた。

 最初の数日はフーコメリアも委員長も付き合っていたのだが、フーコメリア曰く、研究者には体力は要らないだそうだ。そして委員長曰く、こんなの毎日とか無理、身体を酷使するのは体育の授業で十分だそうだ。と言うことで二人とも早々にリタイア。俺もその流れでフェードアウトしてみたものの、レンが道に迷い行方不明に。監視役としてこのトレーニングに参加することになってしまった。勿論最初は走るコースを決め、ただ眺めているだけにしようと思っていたのだが三十分とか四十分ただ眺めているだけなんて暇すぎるし、何よりも寒すぎる。このままでは確実に人口が一人減ってしまうと思い、俺もレンと一緒に走るようになった。


「ふう、今日はこのぐらいにしておこう」

 河川敷を走り上流の橋を渡り、向かいの河川敷を通って下流の橋を渡って戻ってくる。そんな簡単だが距離のあるコースを四週ほど走った時点でレンが言い歩き始めた。あとはクールダウンを兼ねた散歩だ。ゆっくり河川敷を歩いて橋を渡って家に帰るだけなのだが河川敷の時計を見るに帰り着くのは七時前だろう。その頃には朝ごはんも出来ていると思いたい。空腹具合はもう臨界点を越えている。

「あー、腹減った。朝飯なにかなぁ?」

 俺達がこうして外を走っている間にフーコメリアが朝食を用意してくれる。なんてありがたい。

 フーコメリアは日々料理の研究も行っているようで既に和食や洋食の定番メニューから少し手の込んだ料理まで作れるようになっている。レンはというと一応料理を作れるということにしておいてやろう。内容は栄養が偏っていたり、味が大雑把過ぎたりと色々突っ込みどころ多い料理ではあるが。

「私は何でもいいが、あの味噌汁という飲み物だけはなぁ……」

「具もちゃんと食べような」

 レンがポツリと呟く。最近は朝は和食ばかりで毎日のように出てくる味噌汁がレンは毎回苦戦しているようだ。別に味噌汁が口に合わないというわけでなく、問題は具。フーコメリアがレンの野菜嫌いをどうにかしようともくろんでおり、よく味噌汁の具が野菜だけだったりする。別に味噌汁に入っている野菜は味なんてしないのだが、苦手意識のあるレンとしては野菜を食べるだけでも大変なんだろう。

「まだ軽いほうだと思うんだがなぁ。和食って基本野菜ばかりだぞ?」

「なっ、なんだと!?」

「あぁ、料亭の料理なんか野菜が多いぞ?」

 レンは野菜だらけの料理を想像したのか、ぶるりと身を震わせた。そんなレンを心配したのか、人魂のような光がふわふわとレンの周りを漂う。

「それが精霊かぁ」

 俺がレンの周囲を漂う精霊を触れようと手を伸ばしてみると、俺の指を避けるように精霊は逃げてしまう。

「こちらの世界でも姿を現す事が出来るようになるとはな。力が弱くなっていたのは一時的なもののようだし……」

「変化した環境に適応しようとしていたのかなぁ?」

「だと思うな。徐々に精霊から送られてくる力が強くなってきているし、この調子だと対話も出来るようになるかもな」

 そう言ってレンは肩の辺りを漂っている精霊を指で撫でた。

 精霊が姿を現したのはこちらに来て二週間って所だろうか。始めは薄ぼんやりとレンの周囲に影が見え、あの時は本当に焦った。俺と委員長は幽霊でも見てしまったのか、きっと目の錯覚だと心霊現象に恐怖したものだ。日が経つにつれその影がはっきりと見えるようになった時、思い切ってレンに聞いてみたところ、大喜びしていた。

 レンは精霊への負荷を減らすために精霊とレンが繋がっている回路を一時的に閉じていたらしく、精霊が力を取り戻してきた事を知ると、回路を開放したらしい。それからははっきりと見えるようになったし、触るようにもなれたらしい。生憎俺だけ精霊の感触と言うものを知らない。委員長やフーコメリアには精霊は身体を触ることを許したのだが、俺だけは何故か逃げる。いつか触ってやろうと思っているのだが、今のところ全敗である。

 精霊についてはまだどうなるかレンにも解っておらず、精霊についての説明は殆どが仮説でわかりにくい事ばかりだった。もう少しはっきりしたら改めてレンに聞いてみようと思う。

「しかし、こいつはなんで俺だけ逃げるんだ……」

「ずっと私と一緒に居たからな。クキの意地悪具合を解っているのだろう」

 ふふんと鼻を鳴らすレン。俺は無言でレンのつむじを親指でいと強く押した。


「ぶっ、また久遠寺君レンちゃんになにかしたの?」

 七時三十五分、家に俺を迎えに来た委員長は俺の顔を見た途端、込みあがる笑いを堪えながらなんとか笑わないように努力しているようだ。俺のプリチーなフェイスには猫に引っ掻かれたような傷が出来上がっている。

「今は大分腫れは引いたほうよ。朝の日課から帰ってきた時なんてこれよりひどかったのよ? 加減を覚えない子猫とのじゃれあいは大変よね」

 肩にバックを引っ提げたフーコメリアが揶揄を言うと、委員長は堪えきれずに吹きだした。その問題の子猫はというと……。

「よし、用意できた! ど、どうしたんだ皆して私の顔に何か付いているのか?」

 楽器のベースを入れる袋を背負ってレンは現れた。勿論楽器が入ってるわけではない。中には現代日本では所持をしているだけで御用になってしまう武器が入っている。

「俺達はいつもと変わらずお勤めに向かうが、レンはともかく、フーコメリアまで出かけるって珍しいな」

 レンは日中街外れの雑木林で剣を振ったり身体を動かして鍛えてるようで大体朝は俺達と一緒に家を出ている。一方フーコメリアは日中外を出歩く事はあっても、こうして朝から出かけるなんて珍しい。

「ええ、今日はちょっと里帰りね」

 俺にもたれ掛かるようにして説明を始めるフーコメリア。いや、そんなにくっつく必要はないと思いますが。

「前にも話したけれど報告の為にお偉いさんを前にしてこちらの文化や物を説明しなければいけないの。今日はそれの打ち合わせ。何事も下準備が必要よね」

 フーコメリアは補給完了と言って俺からパッと離れる。一体俺から何を吸い上げたのだろうか。フーコメリアの熱がなくなり左腕が少し寂しい。決して名残惜しくなんかないぞ、ないったらないぞ。

「色々と大変みたいね、フーコメリアさん。あれ、レンちゃんは連れて帰らなくていいの? 一応護衛って形になっているんじゃ?」

 フーコメリアがこちらの世界に戻ってきた日、レンは魔族の偉い人からの連絡を受けフーコメリアがこちらの世界に向かった事を知った。それを追ってレンもこちらの世界へ。フーコメリアがこちらで暮らす事を決めたとき、レンも勢いでこちらに住まうと言ったのだが、何の理由もなく別世界に移住してしまうと色々と問題があるらしく、後日正式にフーコメリアの護衛を行うように魔族のお偉いさんからの依頼が精霊族のお偉いさんの方に出されたらしい。事後承諾のようではあるが、レンも一応理由があってこちらの世界に居るということになっている。

 委員長が聞きたいのは、護る対象のフーコメリアを護らなくていいのかと言うことだ。

「別に私まで戻らなくてもいいだろう、フーコメリアと一緒に行動すると私は今日一日魔族の館で一日を過ごすことになるんだぞ、面倒臭い」

「確かに私は一日中打ち合わせでレンには構えないし、レンも自由に剣なんか振れないし無理に付いてこなくても大丈夫よ。あちらには危険はないし、もしあったとしても周囲には仲間が沢山居るから大丈夫よ。それに私もレンが暇だから付いてこさせないって理由よりも、こちらに残ってもらいたいのよね。こちらには私のウィークポイントがあるのだから、レンにはそちらを護って欲しいのよ」

 フーコメリアはそう言うとちらりと俺と委員長を見る。弱点って俺達のこと? 委員長もその事に気が付いたのか眉を寄せる。

「私の行っている事はあちらの古い伝統を壊す行為にも繋がるのよね。といっても全てを壊すつもりはないわ。向こうにある一部のものがこちらから流れてくる思想や風習でその独占を崩される事も予想されているのよ。当然その古くからの権利にしがみついて利を得ている者たちにとっては面白くないわよね」

「で、妨害の為に一番与し易い私たちが狙われるって事?」

 委員長はもう事の流れを理解したのかぶるりと身体を震わせながらフーコメリアに問う。

「可能性としては大きいわね。あ、でも安心して今私達がこちらの世界に居て色々研究しているのは魔族と精霊族のトップ周辺しか知らない機密事項だから。勿論今回の打ち合わせもあちらの世界で大々的に公表されるのは全て形が決まってから。それまではトップシークレット。水面下で計画を進めているわよ。勿論機密の事だからこちらの監視もしているから桜花さんが想像しているような最悪の状況になる事は極めて低いから安心して」

 フーコメリアの話を聞いて委員長は安堵のため息をつく。よし決めた。後で委員長に詳しく聞こう。イマイチ解らない。

「帰りはいつになるんだ?」

「長引けば今日は戻って来れないかも知れないわね……まだどうなるか解らないわね」

 まぁそうだろう、学校行事なんかと違って終了時間が決められていないんだ。いつ終わるかなんて想像できるはずもないか。

「そういう事だから、今日は私の分のご飯は数に入れなくとも大丈夫よ」

「あっ、そろそろいい時間よね」

 委員長が携帯のディスプレイを見て言った。俺もつられてディスプレイを見ると七時四十五分を回るところだ。

「さーて本日も頑張りましょうか」

『おーっ!』


 フーコメリアやレンと別れ委員長と共に通学し教室に到着したのは八時過ぎだった。

「はよーっす」

 席替えで俺は窓際でかつ後ろのほうの席という特等席を得たのだが、立地条件が良い所為か俺が不在の時でも友人達が俺の席近辺に集まってしまう。今日も例に漏れず、電車通学組の人間が俺の席に陣取って何やら話しているようだ。

「おら、主の登場だ、例によって其処をどけい!」

 俺の席を占領している友人をどけると自分の席に座った。居場所がなくなった友人はすぐさま別の席に座りなおした。

 朝のHR開始までまだ三十分以上ある。今教室に居る人間は少なく、十人ぐらいだ。その殆どが電車通学で、早めに来ないと電車が混んで嫌だという理由からこんな早くから学校に来ているらしい。八時四十分までに校門を潜れば良く、クラスメイトの大半は八時半近辺から滑り込みで教室に来るのでこの時間は驚く位、人が居ない。俺も委員長と登校するようになってから初めて知った事だ。

「おうクッキー今日も早いな」

 俺の前の席を陣取っている岸枝が待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。

「俺より先に来ているお前が言う台詞かなぁ!?」

 毎朝俺の席近辺の人口が高い理由は岸枝の所為かもしれない。毎朝のように岸枝が俺のひとつ前の席を陣取って俺の登校を待っているもんだから、なんだかんだで友達の多い岸枝の周辺に人が集まるのもしょうがないだろう。

「まぁ、それはそうと、聞いてくれよクッキー」

 岸枝が休日にあった寂しい話を頼んでも居ないのに話し始める。絶対に岸枝は忘れている。その内容をメールしてきた事を。

 適度に岸枝の話を聞き流しつつ、教室を見渡してみる。委員長は俺と同じように電車通学の友人と合流して何か楽しげに話している。あとは自分の席に座って携帯を弄っていたり本を読んでいる奴が居たり、鞄だけ教室に残されたまま、別の教室かトイレかに行っている奴も居る。あとはぼうっと窓の外をいつも眺めていたりする奴も居た。

「あ、そういえばまた久遠寺委員長と一緒に来てたよな」

「だーかーらー、あれは家が近くにあってたまたまなんだって」

「とかいって、二人は付き合ってるの?」

「もうなんどそれ聞くのさ……」

 もう何度されたかわからない質問にうんざりしながら俺は答える。

「クッキーは委員長と付き合っていない。なぜなら俺と付き合っているからだ!」

「あーハイハイ、愛してるわよ、だーりーん」

「愛が薄いっ!?」

 岸枝が俺の手を取ってそんな馬鹿なことを言ってくるので俺もそれに乗って答える。

「ひどい、昨日はあんなに愛してるって言ってくれていたのに……」

「うっせ、DTがテレビで覚えた台詞言ってんじゃないよ」

「あー、クッキーそれひどいって、同じDTの癖に!」

 岸枝と肩をどつきあいながらお互いにお互いの心を抉っていく。なんとも空しい決闘だ。

 なんだかんだで岸枝は他の奴らと違って俺がそれは聞かれたくないって言う雰囲気を出すとそれを読み取ってくれて以降その事を深く突っ込んでこない。俺も出来るだけ岸枝には同じ条件で接したいと考えている。クラスの中に居るうざい奴も岸枝の精神を見習うべきだ。

「あ、久遠寺君、今ちょっといい?」

「ん? 委員長と友井さんに安達さん、どうした?」

 岸枝と終わりの見えないドツキ合いをどう終わらせるか悩んでいた俺に委員長達が声を掛けてくる。俺と岸枝はお互いにどつく手を止め委員長達に視線を向ける。

「いやー、このお菓子が不味いか美味しいかで話してたんだけど、ちょっと食べて感想教えて」

 委員長が俺の手の平に銀色の包みを置いた。包みを剥がすと中からはチョコレートが登場。何も考えずに口の中に放り投げ食べる。

 味は普通のミルクチョコレートだ。あれ、何か今ぐにっとした食感があったけど……あ、これソフトキャンディーだよ、味はわからないけど。

「……どう? アリ? ナシ?」

 委員長だけでなく、友井さんも期待するような目で俺を見ている。安達さんだけが苦笑いを浮かべている。

「うーわ、超微妙……不味くはなかったけどそう美味くも……」

 正直な感想を言うと、友井さんが目を輝かせて俺の手を握ってくる。

「でしょでしょ、美味しいよね、クッキー!」

 ぶんぶんと手が千切れそうなほど俺の手を掴んで振ってくる。セミロングほどの中途半端な長さの髪に大きな丸い目。レンほどではないが背も小さい。最近は委員長がらみでちょくちょく話をする間柄で毎日すこぶる元気な子だ。で、そろそろ手が痛いんですけど。

「いやー、今の意見美味しいとはいってないよーな……」

 サバサバっとした性格の安達さん。ショートカットで細目の彼女。どう見たって目が開いているとは思えないんだが、本人曰くばっちり見えてるらしい。

「やっぱりそうなるよねぇ……いやこれ美味しいって、ともちんが進めてくるんだけど、だっちゃんと私は正直……」

 委員長の疲れた表情を見て俺は察した。ともちん……友井さんのお勧めのお菓子、今俺が食べたあのチョコの中に何故かソフトキャンディーが入ってるイロモノお菓子を進められた委員長とだっちゃん……安達さんは二人ともナシらしい。アリ派の友井さんはなんとか仲間を増やそうと俺も巻き込んだというわけだ。

「どれどれ?」

 岸枝もお菓子を貰い、口に運んで租借すること数回、急に顔をこわばらせ、慌ててジュースで口の中のものを飲み込んだ。

「え、なんだよこれ、今の何!? ローチュウみたいなソフトキャンディー入ってなかった!?」

「で、岸枝君は今のどうだった!?」

「俺の驚きを見たら八割方ナシでしょうよ、ともちゃん!」

「えぇー、残念……でもこっちにはクッキーという仲間も居るのでーす!」

 岸枝にも捨てられた友井さんはいっそう俺の腕を強く握るというか、俺を逃がさないように腕に抱きつく形となった。

「俺を勝手に仲間に加えるのはやめて欲しいんだな!?」

「え、美味しくなかったの……?」

「とても美味しゅうございました」

 無理だ、そんな瞳で見つめられては。チワワの潤んだ瞳に弱いって人が居るようだが、俺はその気持ち今なら理解できる。

「ともちんそれ卑怯じゃない!?」

「そーだそーだー!」

 委員長と安達さんが友井さんに向け抗議を行うと、三人はワイのワイのとまた自分達の席に戻っていった。新しく来た友人達に友井さんがお菓子を渡すが、アリかナシかは言わなくても解るだろう。

「クッキー、アレが美味しいって味覚大丈夫か?」

 改めて岸枝が俺を心配する面持ちで聞いてくる。

「美味くはなかったよ、ただ、不味くもなかったな」

「舌、大丈夫か?」

 心底残念そうな顔で岸枝はそう呟いたのだった。


 お昼休み、クラスメイト達は学食や別のクラスに居る友人の下へ散ったりして教室で昼食を食べる人間はごくわずかだ。

「で、そこでボスと合ったはいいけど体力がなぁ……」

 俺と岸枝は俺の狭い机の上にそれぞれ弁当を並べて午後からの活力を取り込もうとしたのだが、

「クッキーに岸枝くーん、ヘルプミー!」

 友井さんがプラスチックの爪楊枝、先が二本に分かれ持ち手が何故か王冠になっている不思議なアレを手に俺達の元へと掛けて来る。俺達は弁当の蓋を開ける作業を中断し友友井さんに視線を向けた。

「どうしたの友井さん?」

 まぁ、なんとなく予想は出来ているが。

「お願い、お弁当忘れたの! 何かちょうだい!」

 顔の前で手を合わせる友井さん。やっぱりそうなるよな。既にたかられた後の委員長と安達さんはこちらを向いて苦笑いとヤレヤレとばかりに首を振っている。

「弁当忘れたのか、しょうがないな、500円あれば食堂で食べれるよな」

 財布から小銭を出そうとしたのだがその手を友井さんが止めてくる。

「ノンノンノン、野暮ですぜ久遠寺のアニキ、アッシはそこまでしてもらわなくても大丈夫ですぜ。お二方の愛情のこもったお弁当のおかずを分けていただければ十分ですぜ」

 お金の貸し借りが好きじゃないのだろう、無理にお金を握らせても本人が困るだけなら、注文どおりにおかずを分けてやることにしよう。昼食抜きでの午後の授業が辛いのは俺も良く知っている。

「解った解った。じゃあ何でも好きなだけ食えよ。俺は飯があれば十分だしな。岸枝もなにか分けてやれよ?」

 俺はおかずの入った弁当箱を友井さんの方に差し出すと、岸枝は苦笑いを浮かべ、友井さんは目を丸くした。

「なんとっ、クッキーあなたは神か!? よし、前神と次からは呼ぶことにするね!」

 俺は無言で弁当箱を下げる。

「ごめんなさい、大明神様。お弁当下げないでおくんなまし」

 ぺこりぺこりと焦ったように頭を下げる友井さん。うむ、小動物みたいで可愛いな。

「まったくクッキーはもう……」

 呆れた様子で俺の白米の上に梅干を置いてくる岸枝。これで少しは飯トモができた。助かる。

「うわわ、ちょっとともちん……確かに久遠寺君なら何かくれる確立高いって言ったけど、お弁当ごと貰っちゃ駄目だって」

 貴方か委員長、私の元にハラヘリ星人をけしかけさせたのは。

「えー、でも前長流久美髪大明神はそれで食べて良いって言ってたもん!」

「クッキーがいつの間にか神格化してるー!?」

「久遠寺君、一体なにがあったのよ……」

 友井さんの変わり身に驚く二人だったが、なんか俺神格化してもあまり敬われてない様な気がするのは気のせいか。ぜんちょうりゅうきゅうびはつだいみょうじん。きっとカッコイイ漢字なんだろうな。

「いや、流石にこうなるとは予測していなかったわ……悪いから久遠寺君私のおかず食べて良いわよ」

「じゃあこっちのも食べときなよー」

 何か気が付けば大事になっている気もしなくもない。付近の机を二つほどくっつけて机を五人でぐるりと囲み、いつもと違う昼食タイムだ。多少周囲からの殺気を感じるのだが、岸枝は何も感じないのか、飄々とした様子で女の子の弁当と言うものをじっくり見ている。

「岸枝君のお弁当は冷凍食品ばっかりだね」

「文句を言ったらかーちゃんに兵糧攻めにあう事は必至だしな」

 岸枝の弁当をつつきながら友井さんは言う。確かにわざわざ作っている側としては中身に文句を言われれば怒るよな。岸枝、その判断は正しい。

「クッキーの弁当はシンプルだけど美味いなー。料理得意なご両親でうらやましいー」

「あ、それ俺の手作り」

 今日の弁当は昨日の夕飯の残りと後はスペースを埋めるために作ったものばかりだ。フーコメリアは弁当を作りたがったようだが、朝も作ってもらっているんだし申し訳ない。

「うそっ、クッキーが作ったの、これマジで!?」

 よほど驚いたのか安達さんはもう一度おかずを口に運んで唸る。

「うーん信じられないなぁ……」

「だったら今度うちで鍋会でもするか?」

 俺の料理の腕を疑う二人にそう告げると、思いのほか盛り上がりを見せた。

「あ、それ楽しそうやるやる!」

「寒いし、いい時期だよねー」

 友井さんと安達さんは二人で盛り上がっているようで、それを眺めていると太ももに電撃が走った。

「ッ!?」

 よく太ももを見ると一人の手が俺の肉をしっかりとつまんでいる。その手の持ち主を追って行くと、委員長だ。

(ちょっと、大丈夫なの?)

(大丈夫って何がよ?)

(ほら、フーコメリアさんとかレンちゃん!)

 そこまで言われて気が付いた。そういえばそうだ。二人はどうしよう?

(な、なんとかなるんじゃね?)

(知らないわよ)

「で、二人は何を仲よさげに話してるのかなー?」

「ナンデモナイワヨー」

「ナンデモナイデゴザル」

「いやいや、二人とも何キャラ? ま、二人がどんな関係であろうとこっちは気にしないよ。のろけ話は聞くかもしれないけど」

 しっしっし、と肩を小刻みに震わせて笑う安達さん。目が細いので余計に悪人顔に見えてしまう。やはり委員長の方も俺と同じで色々と言われているんだな。

「もう、だっちゃん!」

 委員長が抗議の声を上げると安達さんは口を手で押さえたが、からかう事はやめるつもりはないのだろう、委員長の脇をつついている。その様子を微笑ましく思ってみていると、人の視線を感じた。振り向くと友井さんがじっと俺を見ていた。

「な、なにかな、友井さん?」

「クッキーってさ、変わった人だよね?」

「変わった人?」

 そんなことを言われても漠然としすぎて何を言いたいのか理解が出来ない。

「なんかさ、今までとっつきやすいとか、常に前髪の事で弄られてるキャラって認識だったんだけどね、最近わりと話すこと増えたでしょ? そうしたらなんか今までのイメージよりもなんか強力なイメージが出来たんだよね、一度くっついたら離さない、ゴキブリホイホイみたいな?」

「もう少しいい例えはなかったんですか友井君ッ!」

「東小松市一のゴキブリホイホイ久遠寺久喜ね……」

 岸枝が肩を震わせて笑う。地味に傷つくわぁ……。

「東小松市一の?」

 そのフレーズが気になったのか、安達さんが委員長を突っつく手を止め岸枝にむけ向け口を開く。

「あぁ、クッキーがいつも何かにつけて言うフレーズ。東小松市一のなんとかね。バリエーションとしてはレーサーとか、シェフとかそりゃ多種多様」

「何それ、以外にクッキーおばかさんだ」

「うっせ」

 カラカラと笑う安達さんにそう告げるが、安達さんのツボに入ったのかまだ笑ってる。

「まぁ、ともかくかすがちんも岸枝君もクッキのその妙なハートホイホイにやられちゃったのかなーって思ってさ」

「なんだよ、それ」

 こっちを見てにっこりと笑う友井さんにつられて俺も笑った。

「やべっ、もう二十分過ぎだぞ、おしゃべりも良いがそろそろ弁当片付けようぜ」

 岸枝の一言で俺達は皆して時計を見ると、少しだけ箸を動かすスピードを速めた。

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