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山登りと化け物と賭け事と。

 目の前を浮かぶ光の球を追って走ること三十分ほど。毎朝レンに付き合って走っている俺としては、息も上がってないし脚の疲労も覚えていない距離だ。

 最初は半ば無理矢理参加させられていたのだが、毎日の成果がこういう場面で出ていると俺のしていたことは無駄じゃないって実感。

 球を追い市街地を抜けると、行き交う人も車も少なくなってくる。

 ずっとこのままの方角に進むのなら東小松市で数少ないハイキングコースのひとつ、小松山に到着する。山といっても高さは300M程しかなく、小学生の頃の遠足で何回か頂上に上った記憶がある。

 走りながら俺はレン達が小松山に居ると確信していた。

 前回の騒動では公園内で魔法やら精霊剣やらを使い、公園を滅茶苦茶にしてしまい、問題になってしまった。同じ事を繰り返すのはこっちもあっちの世界にも問題がありそうだ。

 勿論相手が何を考えているのか俺には解らないが、相手側もそう目立つ行動はしたがらないと思う。そうでなければもう少し早い時期に強硬な手段に出る事だって出来たはずだし。


 そう考えると小松山ならそう人も集まらない場所だし、山ということもあって広さもあるこれ以上の条件の場所なんてそうそうない。

 予想通りというべきか。小松山麓の駐車場に足を踏み入れると、身に覚えのある嫌な感覚が広がる。まるで此処に居てはいけない様な、そんな感覚。

「……ビンゴッ!」

 目の前に浮かぶ球は真っ直ぐ、登山道の方向へと進もうとしている。道案内に置いて行かれてはどうしようもない。頭を強く振って嫌な感覚を吹き飛ばし一歩、また一歩と足を進めるといつしか嫌な感覚は綺麗サッパリなくなっていた。

 小松山の麓には広大な土地を利用して公園やスポーツの行える広さの広場があり、登山客を含めた利用者のために駐車場が開放されている。

 年に数度広場で行われるスポーツ大会の時ぐらいしか満車にならないこの駐車場、予想通りというべきか、片手で数え切れる数の車しかない。

 相変わらず寂れている、そんな感想を抱きつつ、俺は目の前にそびえる小松山へ向けて急いだ。

 ――少し走り、人の手が少し加わっただけのハイキングコースに入ろうかというときに、少し先の茂みから物音がした気がして、俺は注意深く音がしたと思われる茂みに注目した。

 雑草や植木が大地の力で存分に成長しており、いくら目を凝らしてみても茂みの向こう側になにが居るのか解らない。一つだけ確実なのは、『人除け』がされている山に居て、身を隠すかのように移動する存在が普通ではないということだ。

 人除けの魔法にプラスして他の魔法も組み合わせられていて、人除けのされてある場所に誰かが入ってきたら知らせるようになっていたのかも知れない。

 ロールプレイングゲームのように最深部で大人しくボスが待っていてくれているとは思えない。いつ、どの場所で襲われるか解らない。

 周囲に視線を走らせると丁度良い具合に八十センチ程の長さの木の棒が落ちていた。子供がチャンバラごっこに使ったものなのか、登山客が杖代わりに使い、役目を終え自然の中に破棄されものかは解らないが、どちらにせよ丸腰の俺としては非常にありがたいアイテムであることには変わりは無い。

 茂みの方からは相変わらず物音がしていて、先ほどよりも音は大きくなっていることから何かかが近づいてきているのは間違いなさそうだ。

 高鳴る鼓動を抑えるため。強く棒を握り締めると樹皮が剥がれ手の中からパラパラと零れ落ちる。右手を開いて見てみると腰のあたりで汚れを払いたくなるような状態になっていた。

 俺はなんの戦闘力の無い高校生だ。魔法を使うような奴らと殴りあったって勝てるわけが無い。俺がしなければならないのは一分一秒でも早くレンと合流することだ。

 出会い頭に一撃、そのまますれ違いで茂みに飛び込み、脇目も振らずに山頂まで向かう。流石に山頂までは久しく行っていないが、麓の山でサバイバル鬼ごっこと称して友人達と駆け回った地元民の土地勘ならそう難しいミッションじゃないはずだ。

 緊張の所為か、やけに下腹部がムズムズとする。

 ムズムズに耐えつつ、頭の中で何度かシミュレーションしているうちに目の前の茂みが大きく揺れ、目の前に人が飛び出してきた。

「デヤッ!」

 飛び出してきた人物にフルスイング。振りぬいてからその人物が誰なのか判った。

「えっ、ちょッ!?」

 まさか俺が木の棒を振ってくるとは予想もしていなかったのだろう、驚いた表情を浮かべ頭を庇う様に飛び出してきた人は身構えた。

 軽い音を立てて木の棒が真ん中ほどからぽっきりと折れ吹き飛んだ。

「いったぁぁい!」

 木の棒を防いだ右腕を押さえて委員長がぴょんぴょんとその場で飛び跳ねる。俺はどうしたら良いか解らず、とりあえず委員長に寄る。

「だ、大丈夫か、委員長?」

「ちょっと久遠寺君! 一体なにを考えているの! 今は木が腐ってたから良いけど、丈夫な木だったら今頃、私の腕はポッキリ折れてるわよ!」

 涙目で俺に文句を言ってくる委員長。その距離は近く、顔に委員長の吐息がかかるほどの距離だ。ちょっといい匂い。

「いだだだっ!?」

 そんな事を考えていると急に耳を引っ張られる。お怒りの表情の委員長が『聞いてる?』と口を尖らせこちらを睨んでいる。これ以上委員長を刺激しないようにしよう。

「ごめん、『人除け』がされてある中で急に人が飛び出してきたらそりゃ驚くって」

「まったく、私だったから良かったものの、もし悪い人だったら久遠寺君は今頃、危ない目に遭ってるわよ。というかアレね、ホラー映画とかサスペンス映画とかだったら絶対今の死にフラグよ?」

 痛みが取れたのか、委員長は右腕に付いた木屑を手で払いながら笑った。木が腐っていた事と、冬場で厚着をしていて腕にそう大きなダメージは入っていないようで少し安心した。そうだとしても全部が終わったらシップの一枚でも委員長に渡しておこう。

「と、ところで委員長が何でこんなところに? てっきり桃のお姫様みたく頂上に捕まってるものと思っていたけど」

 あのローブの魔法使いが委員長を巻き込んだのは明らかに人質とし、レンやフーコメリアの動きを抑える為だと思えるのだが、こうして俺と合流している時点で人質というわけではないようだ。

「髭も配管工でもない高校生が助けに来てくれるなら、捕まっていても良かったかも」

 委員長はそう言って笑う。配管工って言っているけどきっとあの兄弟の本業は絶対に配管工じゃない。医者にテニスプレイヤーにレーサーに考古学者、画家っぽいこともやってたよな。配管工よりも稼ぎの良さそうな仕事ばかりだ。

「ははっ、レンが助けに来てくれるさ。俺はしがないお助けアイテムさ」

 委員長は何か言いたげな表情を浮かべたが、すぐに頭を振って小松山頂上を見た。

「そういえばレンは?」

 委員長が此処に居るって事はレンも近くに居るのだろうと委員長に聞くと、委員長は首を振った。

「レンちゃんは相手を探しに向かうって。此方の問題は片付けなければならない、って言ってた」

「アイツらしいな。ここらで家に帰った方がお利口さんだけど、そうもいかないんだよな。俺が行くことでレンの対抗手段がひとつ増える。レンは怒るだろうけど、俺はレンの力になりたいし、フーコメリアが仲間を呼んでいるっぽいからその為の時間稼ぎなら出来ると思う」

 そう言って俺は少し先に浮かぶ球を見つめた。球はある程度距離が離れると追尾を止めるのか、空気を読んだかのようにその場に停止している。

 止まった足を一歩動かした時、委員長に腕を掴まれた。

「私も一緒に行く。レンちゃんは私に助けを呼んで来てくれって言ったの。戻ってくるなとは言われていないの、だからお願い!」

 委員長もレンがそう言った本当の意味を知っているのだろう、委員長に危険が及ばないようにその場から遠ざけるための方便だと言う事を。

「今の私が足手まといだって事は解ってる。私に出来ることが見守る事だけでも、それでも私はレンちゃんの、久遠寺君の力になりたいの!」

 一番ベストな選択としては、委員長をこのまま家に帰すことが一番安全な選択という事は解っている。

「……一緒に行こうぜ、委員長!」

 でも、今の委員長の姿を見て、俺は帰れとは言えない。逆の立場だったらと考えると、ここで危険だと言われ追い返されるよりも、こう言ってもらった方が俺は嬉しい。

「……うんっ!」

 委員長と俺は小松山の頂上を目指し、駆け足のハイキングを始めた。



 ――道中、委員長からワープしてから俺に合流するまでの事を聞いた。

 委員長とレンは小松山の中ほどの地点に飛ばされたらしい。ハイキングコース用に人の手が入っているとはいえ、その大部分は自然のままで、まったく土地勘の無い人間がポンっとそこに放り出されたなら迷ってしまう可能性はある。偶然にも、山の案内看板の近くに飛ばされた二人は運が良かったのだろう。

 誰も居ない山の中腹に飛ばされた原因は、元々一人を目的の場所に転移させる魔法に無理矢理相乗りした結果、移動距離が中途半端になったのだろうとのレンの見解。答え合わせはフーコメリア大先生に後でお願いしよう。

 その後レンは人質を取るような作戦を取るぐらいだから最低でも、もう一人協力者が居るだろうと予測し、相手が居ると思われる場所をいくつかピックアップし、そちらに向かったようだ。委員長はそのまま山を下り、俺とフーコメリアに合流しようとし、俺と鉢合わせになり、今に至ると。

 球を委員長とひたすらに追いかけていると、警察にこんな技術があれば検挙率はかなり上がるんだろうなとくだらない話をしている時の事だった。

「えっ!?」

 ハイキングコースを進んでる途中、委員長が驚きの声を上げ、立ち止まる。

 怪我でもしたのかと心配して委員長に聞くと、委員長は静かに首を振り、口を開いた。

「れ、レンちゃんの相手、依本さんだったの……」

「依本って、あの依本里奈?」

 頭の中で思い浮かんだのは照れ臭そうに笑っている依本さんの顔だ。

 依本さんとレンが戦っているシーンなんて全く想像出来ない。

「で、でも最近コレ、精度悪いから私の見間違いってのもあると思う。大体なんで依本さんが……」

 委員長はそう言って笑ったが、やはり完全に否定しきれないんだろう、その笑顔は硬い。俺も委員長に合わせるように笑ってみたものの、きっと俺の笑顔も無理に笑ってみたような硬さが残っているんだろうな。

 委員長の生まれ持った不思議な能力ちからは今なくなろうとしているのか、弱くなっているかは判らないが確実なのは俺とフーコメリア達が出会った頃よりもハッキリと未来が見えなくなっているということだ。

 たとえそうだとしても、完全に無いとは言い切れない分、そういった未来の事も考えて動かなければならないようだ。

 あれ程頂上に急がなきゃ行けないって思っていたのに、今のなっては足が重い。委員長の見た未来が当たっているか外れているか、俺としては外れて欲しいものだ。

「委員長、どうした?」

 ようやく半分以上登ったかどうかという地点で委員長のスピードが目に見えて落ちてきた。もしかして怪我をしてしまったのだろうか?

 駆け足でこれまでずっと慣れない山道を急いで移動しており、途中で足を挫いてもおかしくない。山道を歩いて解る、整備された道のありがたさ。

 足を止め上がり始めている息を整えつつ、遅れ気味だった委員長を待つ。委員長は肩で息をしつつも俺に追いついた。足の動きとかを見るに怪我なんかはしていなさそうで一安心だ。

「ぜぇ……ぜぇ……はーっ、はーっ……」

 かすれた呼吸音の委員長も足を止め呼吸を落ち着けること数分、汗で張り付く前髪を払いながら委員長がようやく口を開いた。

「キツイ、これキツイわ……なんで久遠寺君はそんな涼しそうな顔しているの? 私なんか冬って言うのに熱くてやってられないって言うのに。それに足腰だってとてもキツイというのに……」

「あぁ、そういうことか。日頃の運動の量の問題だな、委員長。もう少し身体動かすべきじゃないか?」

 委員長が遅れ始めた理由は怪我をしたというわけではなく、単にスタミナ切れ。確かに俺でもキツイと感じる道のりだ。委員長にとってはとてもハードな運動だったようだ。それどころか此処まで根を上げずに付いてきたのはすごい事だろう。

 頂上まではあと半分ぐらい。俺としてはもう少し急ぎたいが、これから先は体力の事と道が悪くなるだろう事を考えてもう少しゆっくりと進んだほうが良さそうだ。頂上に着くまでに体力をすべて使ってしまうわけにもいかないし。

「ちょっとペース落とすから慎重に行こう、委員長」

「え、ええ。わかったわ」

 これまで目の前の球を追って走ることに夢中で周りを見渡す余裕も無かったが、ペースを落として歩き始めた事で周りを見る余裕も出てきた。

 秋が終わり、色付いた葉は枯れ葉となってあたり一面に広がっている。それは俺が見ている一部だけの出来事じゃなく、この山全体がこうなのだと思うと、今更ながら山にある木の多さに驚く。

 少し視線を市街地のほうに向けると葉が無くなり丸裸となった木の枝の先にミニチュア模型のような町並みが広がっている。高い場所から街を見下ろすという行為はそれほど珍しい行為ではないが、視界の至る所に自然が入り込む場所から街を見下ろすというのはとても新鮮な感じがした。

 委員長を周りを見る余裕が生まれたようで、視線を足元よりも少し上げた状態で辺りを見回している。

「ちょっとしんどいけど、たまにはハイキングってのも悪くないわね」

 俺の向ける視線に気が付いた委員長がそう言って笑い掛ける。確かにこういうのも悪くない。

「機会があったらみんなを誘ってみたらいいんじゃないか? なんだかんだで面白そう、ってことで人は集まると思う」

「そうね、それもいいかも……ってキャッ!?」

 木の根っこに足を取られた委員長の手を掴み引き寄せる。咄嗟に反応できて良かった。

「大丈夫か、委員長」

「えっ、ええ……ありがとう」

 最近の委員長は隙が多いというか、ドジが多いというか……もしかしたら能力が弱くなった事が関係しているのかも知れない。ずっとあったものが段々となくなっていく。同じような経験は無いからいまいち大変さが解らないが、そうだとしても委員長が今の状況に慣れるまでは何があってもフォロー出来るように気を配っておこう。

 その後、委員長と他愛も無い話をしながら山を登ること十数分、古ぼけた木の看板を見つけた。看板には文字が掘り込んであり、辛うじて頂上までの距離を知らせるものだと解った。

「くそ、見難い……頂上まで四十五米……米って確かメートルだったよな?」

「残り四十五メートル、なんか本当にそれで頂上なの? って気もするけど」

 委員長はそう言って辺りを見回す。

 道の状態は全く変化なし。変化があるとすれば少しだけ景色が開けて来たという事だけだ。50メートルといえばちょっと先に頂上が見えてもいい頃なのだが、見えるのは傾斜のある道と大きな岩と伸びきった植物だけ。記憶にあるちょっと大きめな広場なんてあるような気配が無い。

「直線距離にして四十五メートルか、道のりがそうなのか解らないけど、もう少しだな、これからは少し気をつけて移動しよう」

「そ、そうね」

 道案内の球にはなんの変化もなく、周囲も鳥の鳴き声とかが聞こえてくるだけでのどかなものだ。本当に何かあっている場所だとは思えない。

 案内をする球が本当に信じられるものなのかという疑いも沸きつつ、俺と委員長は身を隠すようにして頂上までの道のりを急いだ。


「……頂ッ……上ぉ!」

 見晴らしの良い高台に立って拳を天に突き上げる。

 目の前にはミニチュア模型サイズの小松市の街並みが広がっている。学校やら学校帰りによく行くショッピングセンターの建物を見て、案外距離が離れているものだと感心したりと、いつもなら気にも留めないような事を考えられた。

「結局てっぺんまで登って来ちゃったけど、まったく平和そのものよね」

 委員長がきょろきょろと辺りを見回す。辺りには山頂を伝える木の看板があるだけ。俺達の他には人影は無い。

「場所を間違えたって訳ではなさそうだよな。ずっとあれを追ってきていたわけだし」

 ぴったりと進まなくなった球を見て俺は首をかしげる。

「動かなくなったって事はこの近くなのかしら?」

「そうだと思う……それにしても最後に来たのはいつだっけかなぁ……記憶の中にあるのとあまり変わってないな、此処」

「まぁ、こんな場所だしね、あまり変わらないわよね。久遠寺君は小学生の頃、遠足とかで来たの?」

「来たの? って、此処は松小マツショーのお決まりの遠足コースじゃない……って、あ、委員長って確か中学まで西小松だっけ?」

 忘れていた。委員長は高校から東小松市に来たんだ。時折珍しそうに辺りを見回していたが、そういうわけか。俺にとっては何度目かになる小松山登りでも、委員長にとっては初めての小松山か。

「そうそう、案外楽しかったわよ」

 委員長はそう言って笑うと木の看板の前へと移動した。

「あっ、ちょっと久遠寺君、これ!」

 委員長が手招きをする。何事かと俺も委員長の下へと向かった。

「展望台広場ってあるけど、もしかしてそこじゃない? 広場って言うぐらいだからそこそこ広いし、足場だって悪くなさそうだし」

「……広場? あぁっ! そうだ、遠足の時に飯を食べたのはその広場だ! 確かこっちだ!」

 今登ってきた道とは逆報告に進み、生い茂った木々を掻き分けるようにして道を進むと、急に目の前が開けた。

 おぼろげな記憶の中にあった広場と一致する光景が目に飛び込んでくる。

 広場の端には錆びた看板。食後によじ登って遊んだ木なんかもまだ残っている。もう数年前に来ただけの場所にかかわらず、その時の事をよく覚えているものだ。

「久遠寺君、あれっ!」

 委員長が広場の一点を指差す。

 土を踏みしめる音と現代日本には不釣合いな剣と剣を交える光景。

 片方は小柄な少女。一つに纏めた髪をなびかせながら剣を振るう。もう片方はフード型のマントを身にまとっており表情が伺えず、どういった人物なのかは解らない。解るといえば少女よりも背が大きいことか。

 見渡す限りこの場に居るのは激しく切り結ぶ二人だけだ。どこかに誰かが隠れている様子は見られない。魔法使いが何処に消えたかは非常に気になるところだが、今はその事ばかりに気を取られるわけにもいかない。

 少し離れた場所では呼吸を忘れるような剣戟が続いている。思わず見入ってしまいそうになるのだが、俺はタイミングを見計らい大声で少女の名前を叫んだ。

「れぇぇぇんッ!」

『ッ!?』

 突然の来訪者に驚くフード姿の人物。必要以上にレンとの距離を開け周囲を警戒しているようだ。その隙に体勢が崩れかけていたレンは素早く体勢を整える。俺と委員長はフード姿の人物に注意を向けながらレンに駆け寄った。

「クキとオーカ! まったく、お前達は……」

 呆れ顔のレンの背中を叩く。

「まったくじゃねーよ、今俺が声掛けなきゃ危なかっただろ?」

「そんなことは無いっ! あの一撃を受け流し、華麗なるカウンターをだな」

 レンはそう言うのだが、レンが不利なのは目に見えて明らかだ。

 相手は確実に戦うための準備を行って来ており、全身に鎧を纏い中世時代にタイムスリップしたかのような佇まいに対し、剣だけはギターケースに入れることで辛うじて持ち運んでいる状態のレン。

 漫画やゲームなら素早さで勝っており、技術次第で何とかなる状況だろうが、現実はそうではないと思う。

 レンは確実に相手の守りの薄い部分を狙わなければダメージを与えられないが、相手は何処を狙ってもレンにダメージを与えられる。逆を言えば相手は限られた部分を守れば良いが、レンは全身を守らなければならない。攻守どちらにおいてもアドバンテージは相手にある。

「辛いけどもう少し耐えてくれ、フーコメリアが今あっちと連絡をとっている。援護が来るまで耐え切ればこっちの勝ちだ」

 素人目からしても芳しくない状況である。

「……はっはっは!」

 レンは声を上げて笑う。その笑い声は絶望の色など無く、自身に満ち溢れている。

「私を誰だと思っている、レン・クレックスだぞ。援護が来る前に奴を打ち倒す事だって朝飯前だ!」

 そう言ったレンの腹が鳴る。台無し、実に台無しである。

「くくっ、レンちゃんらしいわね。私達は何も出来ないけど応援しているわ!」

「何も出来ないのは委員長だけだけどな。いざって時はレン、あれを使えよ?」

 前回のときに大活躍した俺の精霊剣。レンもあれ程強力な精霊剣は見たことがないというので相手に対する有効な対抗手段になる。

「しかし、それでは……いや、もしもの時は力を借りるぞ、クキ」

 レンも手を抜いてどうにかなる状況ではないと解っているのだろう。一度は迷う素振りを見せたが結局俺の精霊剣も手段の一つとし、頭の中で対策を練っているようだ。

「クキ、オーカ」

 手でレンが合図を出す。その合図が何を意味するかを察した俺達は静かに後ずさり始める。

「……はぁぁっ!」

 レンは掛け声と共にフードの人物に斬りかかる。それと同時に俺と委員長はレンの駆け出した方向とは逆方向に駆け出し、広場隅の岩陰に滑り込んだ。

『チッ!』

 突然の乱入者にペースが乱されたのか、フード姿の人物はレンの剣戟をどうにか裁いている感じだ。

 レンの言葉通りこのままあっさりと終わるように思えていた時、フードの人物が左手を懐に入れた。

「もらったッ!」

 その隙をレンは見逃さない。踏み込み、渾身の一撃を振るおうとした時、フードの人物がレンに目掛けて何かを投げつけた。

「ッ!?」

 危険を感じたレンは咄嗟に真横に飛ぶ。その直後、爆竹が破裂したような音と振動が周囲に広がる。

「……玉か、小癪なッ!」

 レンが体勢を整える前にもう一度フードの人物は小石を親指で弾くようにレン目掛けて光る何かを投げつける。

 ギョク、レンがそういっていたものは牽制に使う道具のようでそう威力があるものではないようだ。レンが避け、外れたギョクが地面で弾けているが、その痕は小石をある程度の力で地面にぶつけたときのような状態だ。

 勿論当たれば痛いだろうが、それ一つで致命傷になるというものではないようだ。

 フードの人物はレンとの相性が悪いのか、動きがどこかぎこちない。

「よ、よくあんなのを避けられるわね、レンちゃんは。わ、私なんか何がどうなっているのやら……」

 少し離れた場所で俺と委員長はレンの戦いを見守っている。

 ある程度安全な岩陰に隠れているとはいえ、二人とも音や振動に驚いてへっぴり腰になっており、互いに情けない格好である。

「それにしても久遠寺君、なにか違和感を感じない?」

「あ、委員長もそう思う?」

 目の前の戦いを見ていると、どうも違和感を覚える。

 今のところレンの動きにおかしな点が無い。それが違和感だ。

 岩陰に居るとはいえ、レンは足手まといを二人抱えて戦っている状態だ。そのレンの調子が良すぎる。レンのほうが相手よりも圧倒的に技術が優れているのなら、そういう状況でもおかしくない。が、そうだとするならきっと俺達が合流する前に決着が付いていただろう。

 考えられるのは、相手が手を抜いているということだろうか。

 それはそれで腑に落ちない。状況的には相手の方が有利である。フード姿の人物の性格が悪く、相手をいたぶる様な戦い方を好み、愉しんでいる? それなら真っ先に俺達を利用するはずだ。

「いまひとつ集中できていないっていうか、なんというか」

 委員長がそう口にして二人の動きに注目していた時だった。

「でやあぁぁっ!」

 どこか、というか此方をチラチラと見て気にしているような素振りを見せていたフードの人物にレンが物凄い勢いで斬りかかる。

 レンの一撃はもう少しといったところで防がれたが相手はバランスを崩し、後方に大きく跳ぶ。すぐにでも追撃をしようと身構えるレンに向け牽制のために先ほどからばら撒いているものを再び投げて、レンも、そしてフードの人物も一瞬だけ固まった。

 相当焦って投げたのだろう、フードの人物の手から放たれた小さい丸い球の一つが真っ直ぐに此方に飛んできている。

「なっ!?」

『ッ!?』

 レンの驚いたような顔と、投擲フォームのまま固まるフードの人物。

 ――やべ、これ直撃コースじゃね?

 そう悠長に考えられる余裕は無いはずなのに俺はそんな事を考えていた。

「クキッ!」

 レンの声でぼうっと飛んでくるものを見つめていた俺の身体の硬直が解ける。咄嗟に委員長を突き飛ばし、顔面に向け飛んでくる飛行物体を避けるべく顔を右にそらす。

 顔の真横で炸裂音。ゴム風船が割れたような感覚に似ている。

 左耳の耳鳴りは続き左側の音が完全に消えている。

「い、委員長、怪我は無いか?」

 キィィンっと耳鳴りのする状態で委員長に問いかける。委員長の言葉は聞き取れなかったが様子を見るにひとまず大丈夫なようだ。

 俺は岩陰から出るとゆっくりとレンとフードの人物に近付く。

「クキッ!」

 レンが駆け寄り、目を丸くして俺を怒鳴りつける。右耳だけで拾った声だが酷いボリュームだ。左耳が馬鹿になっていて良かったかも知れない。

「悪い、心配掛けた」

 ギャアギャアと喚くレンの言葉を聞き流し、俺はフードの人物を真っ直ぐ見据える。

 ずっと引っかかっていた違和感が解った

「……アンタ、何が目的か知らないけど迷ってるんだろ?」

 目の前のフードの人物に声を掛ける。

 俺の言葉を聴いてフードの人物はピクリと剣を動かした。

 思えばレンの見せた隙は多かった。致命的な隙かどうかはわからないが、明らかに動作が遅くなるような隙は素人目から見てもあった。そして、同じようにフードも人物も似たようなタイミングで隙を見せていた。

『……なんで』

 ポツリとフードの人物が口を開く。

『なんでお前がこんな所に居るんだよ、クオンジッ!』

 自らの頭部を覆っていた布を捨てると、そこには学校で見る姿とはかけ離れた姿をした依本さんが居た。

「ヤツの協力者ってお前、いや、お前達だったのかよ!」

 依本さんはそう言うと剣を構えを変えた。中段から上段へ。

「よりにもよって、なんでお前達なんだよ! 一番『ここ』の人間らしくて、一番平和な世界の象徴のような二人が、なんで『こっち側』なんだよ!」

「何を言っているんだ、依本さん?」

 なにか依本さんにも事情があるようなのは解る。けれども一体どんな事情なのかは解らない。

「それもこれも、お前達がッ!」

 キッとレンを睨みつけ、依本さんが剣を振るう。

「くッ、クキ! こ、こいつお前の知り合いか? 知り合いならばやめさせんか! なにか大きな誤解をしているようだが!」

 レンが剣を受けながら俺に言う。

 俺も止められるものなら止めたい。けれど依本さんが何を誤解しているかまったくわからない。

「くっ、しょうがない、多少手荒になるが、無理にでも動きを止めっ……うおっ!?」

 剣を受けていたレンの動きが急に停まる。

 レンの足には植物のツタが絡まっている。

「はぁっ!」

 依本さんの一撃。レンの持つ剣は弾き飛ばされた。

「エリちゃ~ん、お助けに来たよぉ」

 どこか間の抜けた声。声のした方向を見るとフーコメリアを捕まえた魔法使いが指先をレンに向けた姿で立っていた。

「えいえいえ~い」

 合唱の指揮をするように指を振るとレンの身体にツタが巻きついていく。

「うわ、この!」

 レンがもがくが、ツタは容赦なくレンの身体に巻きついていく。



 数分後、綺麗にツタに巻きつかれた姿の俺と委員長とレンが地面に横たわっていた。

「レン、これどうにかならないのか?」

 少し離れた場所で二人で話す依本さんと魔法使いに聞こえないようにレンに問いかける。

「これは少々難しいな、剣があれば別なのだが……」

 レンの剣は回収され依本さんの腰にぶら下がっている。

「せ、精霊剣は?」

「この状態でどうやって出せというのだ!」

「……」

「おいクキ、いま『うわコイツ使えねー』というような顔で見たな?」

 ツタでぐるぐる巻きにされ芋虫状態のレンが俺を睨む。

「考えてねーよ! ただ、フーコメリアは同じ状況でも華麗に脱出してたなーとかは考えていたが」

「なっ、私はフーコメリア以下というのか、背も胸も!」

「そこまではいってねーだろ、事実だけど!」

「なんだと!?」

 芋虫状態でレンが俺に体当たり。俺も負けじと体当たりの応酬。

「ちょっと……二人とも……暴れ、ないで!」

 委員長がちょっと声を上ずらせながら口を開く。

「どうした、委員長?」

 ズリズリと這って委員長の近くに寄る。

「うわ、この馬鹿、もう少しゆっくり動かんか! 私も引っ張られるではないか!」

 俺達はどこかのツタが互いにつながっているらしく、一人だけ逃げられないようにされている。時代劇とかで盗賊一家が捕まったシーンで列車のように腰の辺りを縄で連結させられているシーンがあったがあれはバラバラに散って逃げられないようにするためだったのかと今解った。

「なん、でも……ないわよ」

 委員長はそう言うが、かなり様子がおかしい。

「とは言っても明らかに様子が変だしなぁ……」

「ふぇっくし!」

「ッ~~!?」

 唐突なレンのくしゃみ。

「うわ、きたねぇなぁ」

「しょうがないだろ、山の上だ、下よりも寒い」

 ずるりと鼻をすするレン。事もあろうか俺のズボンの裾で拭いやがった。

「きったね、このやろ!」

「傍に手ごろなものがないんだ、我慢しろ! 裾ぐらいいいだろ!」

 再び俺とレンが暴れだす。

「ちょ、ふた……やめっ……くいこ……」

 俺達が暴れれば暴れるほど委員長の様子がおかしくなる。

 レンと俺はそんな委員長の様子に気が付かず、肉体言語で語り合う。

「い……」

「このやろ、リーチの差なら俺が!」

「小癪な!」


『いい加減にしろぉぉぉっ!! クオンジ君もレンちゃんも! あなた達が暴れるとその反動でこっちが食い込むんだから! もう少し大人しくしてて! つーかこの状況、危機的状況よ! 二人で遊んでなくて逃げる算段とか考えたら? たとえば演技とか!』

 委員長がキレた。俺とレンは萎縮しその動きを止める。

「わ、わるい……」

「す、すまん……」

 俺もレンも平謝り。俺の頭には疑問が一つ。

「食い込むって何処に?」

「知るか馬鹿!」

 顔を真っ赤にした委員長に更に怒られた。


「……お前ら、自分達の状況解ってるのか?」

 俺達の頭上に影が伸びる。顔を上げると呆れ顔の依本さんが見下ろしていた。

 ……知り合いをだますのは気が引けるが、知り合いだからこそ通じる手もある。

「いたたた、くっ、くるしいー」

 ややオーバーかと思ったが、俺は顔をしかめて久遠寺久喜一世一代の大演技。

「……いや、今更過ぎるだろ」

 依本さんはくるりと背を向け、俺達から少し離れた場所で立ち止まった。どうやらその場所から監視するようだ。

「くっ、流石えもってぃー。俺の渾身の演技をいとも容易く見破るとは」

「渾身……ねぇ」

「大根にも程があるだろう」

 委員長とレンの冷たい視線が俺に突き刺さる。

「じゃぁ次レンか委員長の番! 俺以上に依本さんを騙せたら勝ち!」

「既に滅茶苦茶ハードル上がってるわよ、どこかの棒読み役者の所為で!」

「そうだ、クキがもう少し上手くやっていればまだ可能性があったのだがあの大根役者っぷりではもう騙すことなど無理だろう!」

「なんだって!? お前達の技術の無さを棚に上げ、俺一人の責任にする気かよ!?」

 ゴンっと俺の頭に衝撃が走る。

「ぐっ!?」

 急な衝撃で頭がチカチカする。

「おいッ!」

 頭上の上で依本さんの声。そして聞きなれない男の声がしている。

「まったく……ギャアギャアと五月蝿い……」

「貴様ッ!」

 レンの声からは先ほどまでのふざけた感じはない。

 涙の滲む目で目の前にある靴から徐々に視線を上に上げていく。サラリーマンの履く革靴のような靴で頭の中にはスーツ姿の男を描いたのだが、それは違ったようだ。

 一目である程度値段の張る生地なんだろうなと思える服を身に纏い、お決まりのマント姿。どうもあちらの世界の人間は大きめのマントを羽織るのがお決まりのスタイルのようだ。スーツや制服の上着のようなものなんだろうと思う。

 フードからちらりとのぞく顔は細めで面長、何処となく意地が悪そうな奴だなっと思う。

「……なんだその顔は?」

 顔を背ける暇もなく靴先が飛んでくる。

「ッ!」

 ガツンっと口の端を蹴られる。無意識的に口の端を舐めると血の味がする。中か外か解らないが切ったようだ。

「……まだ準備があるので離れてもらえますか?」

 依本さんが重々しく口を開き、俺達から男を遠ざける。

 唾でも吐きかけられると思っていたのだが、男は案外すんなりと俺達から離れていった。

「久遠寺君、大丈夫?」

 委員長が心配そうに声を掛けてくる。大丈夫だと口角を上げて答え、レンの様子を伺う。

 レンは未だに離れていった男を睨みつけている。レンはこういった事が嫌いだからなぁ。

「わぁー、痛そうだぁねぇ~」

 魔法使いが俺の目の前に屈み、切れた口の端を突いてくる。正直痛いのでやめて欲しいのだが。

 数回突かれた後、魔法使いの指先が光ったかと思うと、口の端の痛みが消えていた。恐らく魔法で治療したのだろう。

「あれぇ、なんかキミ、見た事ある顔だぁねぇ~」

 それは先ほど交差点で会いましたと言おうと思ったのだが、それよりも前にこの声を聞いた事がある。それはいつだったっけな、そう、記憶の中にある街中で会ったお姉さんの声にそっくりだ。

「えっ、嘘、えっ?」

 そっくりな声を聞いて俺の中で魔法使い=お姉さんという図式が出来てしまい、俺は戸惑いを隠せない。どうにかして確かめる方法は……そうだ、名前を聞けば……いや俺はお姉さんの名前を知らないし向こうだって同じだ。

 どう話を切り出すべきか悩んでいるうちにお姉さんは俺達から離れて行ってしまう。

「はぁ、本当にお前が魔王の復活を企んでいたとは思えないんだがな……」

「魔王の復活だと!?」

 依本さんの一言にレンが反応する。確か魔王ってワードは聞いたことあるぞ。確か前回の騒動のとき、レンやフーコメリアが退治した化け物が魔王の一部みたいな感じじゃなかったっけな。

「ちょっと、それって……」

 委員長が口を開きかけた時、周囲を爆発音が覆う。

「随分と面白い状態になってるわね、クッキー」

『フーコメリアッ!』

 俺、レン、委員長が一斉にフーコメリアの名前を呼ぶ。

 そう、俺達が捕まっても余裕だったのはもう一人、心強い仲間の到着を信じていたからだ。

 フーコメリアが指を振ると俺達を縛り上げていたツタは綺麗に切れ、ようやく身体が自由になった。

「もう逃げられないわ、三人とも大人しくしなさい、この人数に囲まれて逃げられると思う?」

 何処に隠れていたのか、フーコメリアが手を振ると依本さん達を囲むようにローブ姿の人物が姿を現した。

「形勢逆転だな」

 今回特に何も目立った働きの無いレンが得意気に鼻を鳴らす。

「なんだクキ、その目は?」

「いや、今回お前ってなにしたっけなって」

「なんだと!?」

「ちょっと、二人とも、今はそんな事している場合じゃないでしょ」

 委員長に注意され、俺達は依本さん達に注意を向ける。

「貴方達には聞きたいことが色々とあるわ。まずは武器を捨て大人しくしなさい」

 フーコメリアが指先を真っ直ぐ依本さん達に向けている。少しでもおかしな動きをすれば即座に魔法を打つという脅しにもなっている事が素人目にも解る。

「……」

 依本さんは一度周りを見渡すと、観念したかの様にため息をつき、依本さんの剣とレンの剣を投げ捨てた。魔法使いも同じように手を上げ魔法で抵抗する意図が無いことを示した。そして俺を蹴った男も手を上げた。

「ッ!」

 三人を押さえつけようと三人を囲むローブの魔法使いが動こうとしたときだった。男の腕から何かが落ち、男がそれを踏みつけた。

「えっ?」

 変化は一瞬だった。

 男が何かを踏みつけたと同時に、男の足元の地面から身体に悪そうな色をした煙が立ち上り、手を上げていた魔法使いのお姉さんを取り囲む。煙はお姉さんを巻き込み、大きな煙の塊となる。

 男は生まれた一瞬の隙を見逃さず、空中に丸い穴を作り、その穴に迷うことなく飛び込んだ。これはいつか見た怪しげなゲートで多分あちらの世界と繋がっているのだろう。

「追ってッ!」

 フーコメリアの指示を受け囲んでいた半分の人数が男を追い、次々と姿を消した。

「クキ、オーカ、下がれッ!」

 レンは素早く地面に投げ捨てられていた自分の剣を手に取ると俺と委員長を庇うように煙の塊と俺達の間に立った。

「一体何が起こったんだよ、リオ姉っ!」

 依本さんにもこの状況は理解できないらしく、混乱した様子で大きな煙に向けて声を張り上げている。

「ッ!?」

 フーコメリアが何かに気が付き魔法を唱える。それは他の魔法使いも同じようで同じように魔法を唱える。

『ゴォォォォォッ!!』

 大きな獣の声が聞こえたかと思うと俺は地面を転がっていた。


「痛てて……一体なにが?」

 本当に一瞬の出来事だった地面を転がりクラクラする頭で周囲を見渡すととても酷い状態だった。

 戦争映画とかで爆弾が爆発した後のワンシーンのようだった。皆地面に身体を横たえ呻いている。こんな人が吹き飛ぶような衝撃を受け、ちょっとした打ち身で済んだのはきっとフーコメリアの連れて来た魔法使いの人たちが魔法で防壁のようなものを作ってくれたおかげだろう。

「痛たた、一体なによ、急に」

 俺と似たような感想を口にしつつ、委員長が起き上がる。

「ちょ、え? え?」

 委員長がある一点を見て固まる。何気なく俺もその方向を見る。

「はあぁっ?」

 思わず目を擦ってしまう様な光景が広がっていた。

 大きな煙の塊は吹き飛び、その後には大きな化け物が立っていた。

 頭は鹿のように見えなくは無いが、口は大きく裂け、瞳は赤く光り、角は鋭くそして大きい。そして身体は人のようで人ではない、鹿のようで鹿ではない。胴体は人間のようであるが肘から先、足は鹿そのものである。

 まるでその姿はダンジョンRPGのボスモンスターのような姿だ。

「予想外の状態ね」

 フーコメリアも無事だったようで立ち上がる。同じように横になっていた魔法使い達も立ち上がる。

「これまた骨の折れそうな相手だな」

 レンも立ち上がり剣を構える。

「おいレン、あんな化け物と戦うつもりか?」

「戦うもなにも相手はやる気十分のようだぞ」

 化け物はしっかりと此方を見据え、荒い息を吐き出している。

「最初の一撃が大きいわね、まともに動けそうなのはこちらは私とレンぐらいね」

 かなりの魔力を使ったのか、フーコメリアの連れて来た魔法使い達はグロッキー状態。こんな状態で化け物と戦える状態ではない。

 流石に相手が相手だ。俺や委員長がどうにかできる相手じゃない。俺達にできる事といえば邪魔にならないようにするぐらいか。

「応援の応援か……はぁ、この後の始末書が恐ろしいわ」

 フーコメリアは比較的元気な魔法使いの一人に指示を出し、頭を抱えた。

 指示を受けた魔法使いはゲートを開き、その中に消えた。今の口ぶりからして応援を呼びに行ったのだろう。流石にこんな化け物を相手にレンとフーコメリア、そしてこの場に居る満身創痍の魔法使い達だけでは分が悪そうだ。

「レン、今から全力で行くわよ。早い段階でダメージを与えて後は応援が来るまで粘りましょう」

「ふふん、倒してしまうかもしれないがな」

 フーコメリアが化け物に向けて火球を放ち、レンがその火球に紛れ化け物に斬りかかる。とりあえずあちらは二人に任せ、こっちはこっちで出来る事をやっておこう。

 満身創痍の魔法使い達を連れて比較的安全な岩陰まで移動する。

「申し訳ない」

 魔法使い達が済まなそうに頭を下げる。

「いや、礼を言うのはこっちですって、魔法で守ってもらっていなければ今頃大怪我をしていたでしょうし」

「ちょっと久遠寺君、依本さん見なかった?」

 話している途中、委員長に声を掛けられる。

「いや、見てないけど?」

 思えば依本さんの姿を見ていない。そういえば吹き飛ばされる前にあの煙に一番近い位置に居たのは依本さんだ。そうなると一番強い衝撃を受けているのは彼女だ。もしかしたら気を失っているのかもしれない。

「ちょ、ちょっと探してくる!」

「えっ、久遠寺君、ちょっと!」

 委員長の制止を振り切り岩陰から飛び出す。離れた場所ではレンとフーコメリアが化け物相手に善戦しているようだ。

 少し高い木によじ登る。昔登った経験のある木だ。記憶の中ではもう少し登り辛かった気がするのだが、成長した俺にはとても簡単な木登りだった。

 木の上から辺りを見回す。中央は大きく開けた広場、フーコメリアやレンが化け物と戦っている。化け物の向こう側は俺と委員長が来た道で山頂へと繋がる道。その反対側は確か違う登山コースだった気がする。

 全体的に俺達は山頂側の道よりも違う登山コースがある方向に飛ばされたからきっと依本さんもそっちの方向に飛ばされたと思うんだが。

 目を皿にするようにして周囲を見渡すと伸びきった雑草の中に誰かが横たわっている。見つけた!

「久遠寺君!」

 何度か木に登ろうとした様子が見受けられる委員長が木の下で俺を呼んでいる。

「あっち、あっちの茂みに居る!」

 木から飛び降りると委員長の手を取って誰かが横たわっている場所へと急いだ。

「依本さんッ!」

 やはり倒れていたのは依本さんだった。何度か名前を呼ぶと依本さんは薄らと目を開けた。

「く、クオンジ? つぅ……一体何が……リオ姉ッ!?」

 ばっと依本さんは起き上がると周囲を見渡した。依本さんの様子を見るに大きな怪我もしていないようで一先ず安心だ。

 それでも安心ばかりではない。化け物と戦っているレンとフーコメリアの居る方向から大きな音がした。音に釣られる様に三人とも一斉にその方向を向いた。

「嘘だろ、あれがまさか……?」

 広場で暴れる化け物を見た依本さんの目が大きく見開かれる。誰もがあれをみて驚かないわけが無い。そしてその場に居た誰もがその状況から一つの答えを導き出すだろう。

 謎の煙に巻かれた魔法使いのお姉さん。そしてその煙がなくなると化け物が居た。その化け物は一体誰か。答えは言わずとも解る。

 驚いている依本さんをよそに化け物との戦いは続いている。人の倍はあるような大きな身体をした化け物相手では二対一でもレンやフーコメリア達の方が不利のようだ。

「まずいわね、二人とも押され始めていない?」

 少し前までは二人のほうが押していたように見えるのだが、体格の差がここにきてハッキリと現れている。強靭な身体から繰り出される一撃はどれもがレンやフーコメリアにとっては脅威、一撃も喰らえない状況ではより多くの体力を消費してしまうのだろう。

「レンッ!?」

 自身の倍以上の大きさのある化け物相手に戦っていたレンの体力の消耗は激しく、一撃を避け損ないバランスを崩し化け物の一撃を受けて吹き飛ばされた。

 吹き飛ばされたレンに駆け寄り抱き起こす。

「おい、大丈夫か!?」

「クキか……お前はまたこんな危ないところにホイホイと……怪我をしないうちに下がれ」

 俺の肩を駆りつつ立ち上がるレン。一撃を受ける前にフーコメリアのフォローの魔法があったようだ。でなければこれだけのダメージで済むはずが無い。

「レンッ! クッキー!」

 フーコメリアの叫び声。それがなにを意図するのかわかった。化け物の尻尾がこちらに向けて迫っていた。レンの受けたダメージは大きく満足に動けないようだ。レンをおいて一人だけ逃げるわけにはいかない。レンを抱え大きく跳ぶ。

 すぐ傍をうねりを上げて何かが通り過ぎる。やべぇ、これ絶対当たるとメッチャ痛いやつだ。

「馬鹿者! なにをやっている私なら大丈夫だ、早く離れろ!」

 俺を突き飛ばすことの出来ないやつが言っても全然説得力が無い。もう少しレンのダメージが抜けるまで抱えて逃げるしかない。

 尻尾そのものの一撃は痛そうだが、ピッチングマシーンみたいなもんだ。どの方向から来るってのが解りやすく避けられないってものじゃない。あと一、二回分ぐらいなら避けられる。

「このっ!」

 フーコメリアが注意を引こうとするが、化け物の狙いは以前俺達。

 もう一度うねりをあげて尻尾が迫り来る。

 まずい、さっきのはまぐれだ。全然避けられる気がしない。

 レンを放り投げると来る衝撃に身を硬くした。

「ガアアァァァッ!」

 化け物の咆哮、強く閉じた目を片方だけ開けると目の前には依本さんが立っていた。

「まったく、無茶をするなクオンジ」

「クッキー!」

 フーコメリアが魔法を使い化け物の脚をツタで絡め転倒させ、駆け寄ってくる。

「ありがとう依本さん、助かった」

「いや、別に……」

「この際、敵か味方と言う事は置いておきましょう。手を貸して頂戴」

 フーコメリアの言葉に依本さんが頷く。

「素直な返事ね。レンもいい? あの化け物の首元に赤く光っている場所があるの解る?」

 足に絡まったツタを引き千切ろうともがく化け物の首元にはフーコメリアの言うように赤く光る場所があった。

「あの場所にかなりの魔力が集まっているの」

「赤い光?」

 依本さんが何かを思い出したのか手を叩く。

「そういえばあの煙がリオ姉を包み込む時、あの男に渡された石が赤く光っていたような……」

「石?」

 フーコメリアが聞き返すと依本さんは頷いた。

「あぁ、確か少量の魔力がストックされている石で、魔力が切れたときの保険とか言っていたが……」

「なるほど、仕掛けが読めたわ」

 流石フーコメリア大先生だ。俺はまったくわからないというのに。

「あの化け物と魔法使いの魔力が繋がっているのはその石ね。それさえ砕けばあの化け物はあの姿を維持していられないわ」

 ツタを引き千切り自由になった化け物が立ち上がる。

「なるほど……だがあの位置に一撃を与えるのは簡単な事じゃないぞ?」

 レンはそういって眉を寄せる。確かにレンの言うとおりだ。二人係りでも攻める事の出来なかった場所だ。三人になったとはいえ、そう簡単に攻撃できる場所とは思えない。

「レンと依本さんが注意を引いて、魔法で貫くってのは?」

 俺の提案にフーコメリアは首を振る。

「何度か狙ってみたものの、命中は難しいわね」

「……手はある。二人が隙を作ってくれれば後はアタシが何とかする」

「出来るのね?」

 確認するようにフーコメリアが告げると依本さんは頷いた。


 作戦はいたって簡単。レンとフーコメリアが化け物の隙を作り、依本さんが化け物の弱点である場所を攻撃する。という作戦であるが、依本さんに言われついてきたのは広場から随分離れた場所だ。化け物とかなり離れてしまっている。

「一体ここからどうやって……」

「あんまりこっちの人間には見せたくなかったんだがなぁ、って今更か。あんなに魔法とか見ているんじゃあな……」

 依本さんはそういうと苦笑いを浮かべる。

「精霊よ、力を」

 依本さんはそう告げると真横に手をかざした。かざした手に光が集まる。光が集まりそれはものの形を成していく。

 しばらくすると依本さんの手には弓が握られていた。

「精霊剣……精霊族だったのか」

「剣、では無いけどな。なるほど、あの小さいのも精霊族か」

「なるほど、弓で狙うって訳か。でも当てられるのか?」

「はっは、本職を舐めるなよ」

 依本さんは一度だけ笑うと表情を引き締め弓を引き絞る。矢を持っていないと思ったが、よく見れば弓から一本の光が伸びている。きっとこれが矢なんだろう。

 俺は俺の役割を果たすために携帯電話を耳に当てる。こんな山奥にでも電波を届ける電話会社、グッジョブ。

 依本さんの合図をフーコメリア達のそばに居る委員長に伝え二人が巻き込まれないようにするための手段だ。

「……」

 弓を構え狙いをつける依本さん。俺にはそれを見守ることしかできない。

「今ッ」

 依本さんが狙いをつけ放とうとした時、依本さんの手から弓が消えた。

「ッ!? クソ、こんな時に安定しないのか!」

 前にレンが言っていたこちらでは精霊の力が弱まると。それは依本さんの精霊も同じようだ。

 ……レンの時も出来たし、きっと今回も出来るはずだ。

「依本さん、俺でもう一回試してくれ!」

「は? クオンジ、一体なにを」

 訳がわからないと言った様子で依本さんが俺を見つめる。

「いいから早く!」

 俺に急かされ訳の解らぬまま依本さんは俺に手をかざす。

「え、ええっと、力を……?」

 がくりと全身の力が抜ける。この体験をするのは三度目だがやはり慣れない。

「えっ、一体なんで? え?」

 弓を手に明らかに混乱している依本さんだったが表情を引き締める。

「すげえ力だ……」

 依本さんは狙いをつけ、合図を出す。

「今ッ!」

 放たれた光の矢は真っ直ぐに化け物の方向に進み……外れた。

『残念だけど外れたわ!』

『もう少し上手く狙わんかへっぽこ!』

 委員長の声に加え、レンの声も届く。

 ひく、ひくっと頬を引きつらせた依本さんがもう一度狙いをつける。

 やべぇ、これレンの時以上かも知れない。レンの時は一度大きく持っていかれたら終わりだったが、今回は放つ矢も魔力のようで、依本さんが矢を放つと更に疲労感が増すようだ。

「そこっ!」

 一度失敗し、化け物も飛び道具を警戒したか、二回目もまた外れた。これは本格的にまずいかもしれない。状況もそうだが、主に俺の体調。

 だるいを飛び越えて気持ち悪いに変わってきた。きっと顔色も酷いんだろう。

「依本さん……」

「悪い……次は決める」

 依本さんの表情も良くない。かなり緊張しているようにも見える。

「依本さん、賭けをしよう」

 気が付けば俺はそう口を開いていた。

「賭け?」

 狙いをつけている依本さんが聞き返す。

「もし次ので矢が狙ってる場所に決まったら俺が一つだけ依本さんの願いを聞くよ。外れたら逆な?」

「……いいけど、エロいのはなしだぞ?」

 依本さんはそう言って矢を放った。そして俺の意識もそこで途絶えた。

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