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あたしは、猫。  作者: 碧檎
第二章 花嫁がやって来た
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8 変態はお互い様

 白い薔薇のような女性だった。

 ふわりと裾の広がった白いドレスに身を纏ったその女性は、対照的に漆黒の艶やかな長い髪をしていた。その瞳は、青いけれど少し複雑な色合いをしていて、まるで瑠璃のようだ。それを縁取る睫毛は遠目からも分かるくらいに長く、瞬きをするのも重いのではないかと思うくらいだった。ドレスと同じくらいに白い肌はそこだけ照明があたっているかのように輝いている。

 卵形の綺麗な顔でひと際目を引くのは、その赤い唇。全体が落ち着いた色合いで纏められた中、そこだけが妙に浮いて酷く鮮やかだった。

「はじめまして」

 小鳥のさえずりかと思えるようなその軽やかな声にはっとする。

 周りの風景が目に入り、今が秋だったと漸く思い出す。

 ああ……春が来たのかと思った。

 あまりの衝撃に僕は呆然と立ち尽くしていた。

 こんなに綺麗な人間は初めて見たかもしれない。なんていうか……作り物めいた人形のような美しさ。

 ポケットの中からシャルルが小声で促す。

「ほらあ、ぼんやりしていないでエスコートしないと駄目よぅ。失礼でしょ」

 あ、そうか。練習したのに頭から消えていた。僕は慌てて馬車の側へと駆け寄った。

「本日は、このような場所へわざわざお越しいただき、ありがとうございます」

 吃りそうになりながら、必死で言葉を絞り出す。一言口に出す度に顔が赤らむのが分かった。ああ――こんな人の前で冷静になれなんて、無理だ。

「私、すごく楽しみにしていましてよ? あなたが……カラバ侯爵殿? 随分とお若いのね」

 クスリ、と微笑まれ、僕はとうとう言葉を失った。固まる僕に、アリスが横から助け舟を出してくれた――ように見えた。

「ここは冷えますから、中でお茶でもいかがでしょうか?」

 少し声が尖っている。ちらりとアリスを見ると、彼女は今にも噛み付きそうな顔で僕を睨んでいて、ぎょっとして我に返る。

「あら? そのメイドは?」

「アリスと申します、ローズ姫さま」

 鋭い敵意を剥き出しにしたアリスに、僕は焦る。猫の姿だったらきっと毛が逆立っていることだろう。

 ローズ姫はそんなアリスの視線にも動じず、春の空気を振りまきながらにっこりと微笑む。しかし、二人の間には秋風が木の葉をまき散らしながら通り過ぎた。春の雰囲気は俄に消え去る。

「……お茶を頂こうかしら。確かにここは冷えますものね?」


 暗い廊下に四人分の足音が響いていた。目の前で白いドレスがふわふわと動き、まるで蝶が飛んでいるようだ。僕は案内する途中、王に挨拶が遅れたことを詫びる。

「申し訳ありません。ご挨拶が遅れてしまいまして……」

「良いのだよ。ローズを見ると大抵の男がああなるものでな。私ももう慣れた」

 ふふと笑うと、王はその白く長い髭を撫でる。そして何を思いついたのか、彼は急に足幅を狭めると、前の二人と距離を取って小声で話しかけた。

「ところで、あのメイドだが……侯爵殿と良い仲なのかの?」

 僕は何も引っかかるものも無いのに、足をもつれさせて転びそうになった。

「い、いえ! 彼女とはなんでもない……」

「そうは見えなかったが……。まあよい。これを機会に関係を清算してもらえば」

 ほっほっほと髭に籠ったような笑い声をたてると、王はニヤリと笑う。

「その際は、城につれて来なさい。私が代わりに可愛がってやろう」

 体が強ばるのが分かった。

 王が馬車を降りた時に変な目でアリスを見てるなとは思っていた。僕がローズ姫に見とれるのと同じように、王もアリスに見とれていたんだろう。アリスと接するうちに忘れがちになっているけれど、かつて自分が受けた衝撃を思い出せば、王の態度にも簡単に納得がいった。

 でもその申し出を断る理由は――ある。

「あ、アリスは」

「彼女、猫だろう? 魔法の猫」

 僕はぎょっと目を剥く。

 知ってる? 知っていて?

 その目が嫌らしい光を放ち、僕は一瞬嫌悪で吐き気がした。

「都合が良いだろう? 妻には新しく猫を飼ったとでも言っておけば良いのだし。ほら、愛人を囲うとどうしても金がかかるから怪しまれるだろう。その点、猫なら餌さえ与えていればよいから金がかからない。ああ、魔法薬は必要だがね。そのくらいの金なら――少し遊ぶのにはちょうど良いだろう? おや? そういう使い方をしてるのかと思ったのだが? まさか本当に猫として可愛がってる訳ではあるまい?」

 ――な ん だ っ て ?

 この国の王。それはつまり聖職者でもあるはずなのに。反論していいのかと恐れるよりも、怒りで声が震えた。

「聖典には――」

「誰が作ったか分からないような? 要はね、バレなければいいのだよ? 高貴な愉しみではないか。それに」

 この、――――変態!

 ひょっとしたら口に出ていたかもしれない。僕は一瞬目の前の人物が王であることを忘れていた。拳に力が入り、それを持ち上げようとした瞬間、


 ガリ


「――っ!」脇腹に鋭い痛みを感じて飛び上がる。

 何するんだ――シャルル!

 僕は痛みに我に返り「ちょっと失礼します」と言うと、廊下の隅へと姿を隠す。

 ポケットを開けるとシャルルが顔を出して僕を睨みつけた。

「気持ちは分かるけど、ヘンタイはお互い様でしょう? 立場を思い出してね。今、死なれちゃ困るのよぅ?」

「……変態はお互い様って、何だ! 僕は……!」

「しっ」

 シャルルは口の前に人差し指を立てて僕を黙らせると、歯を剥き出してヒヒヒと笑う。

「だって、ねぇ。あなただって頭の中ではもう手を出しちゃってるじゃない」

 その言葉に頭が一気に沸騰した。シャルルをポケットごと握りつぶす。

「ぎゃっ」

「――二度とそんなこと言わないでくれ!」

 ポケットにシャルルを押し込むとボタンを閉じ、出て来れないようにする。

「ちょっと、出しなさいよぅ!」

 怒り狂って暴れるポケットを押さえつけて、王の元へと戻る。


 ――頭の中ではもう手を出しちゃってるじゃない――

 耳にその言葉がこびりついて離れなかった。


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