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あたしは、猫。  作者: 碧檎
第二章 騙られた神の名
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18 間違った避妊方法

 半ば拘束されるように部屋に閉じ込められたあたしは、やって来た小柄な老医師の頭をじっと見つめていた。

 彼の頭のてっぺんは磨かれたようにつるつるで、それを隠すかのように長く伸ばしたもみあげを持ち上げている。これ、ふうって息を吹きかけたらぺろって剥がれるんじゃないかしら。

 そんな事を考えていると、リュシアンはすかさず察して慌てたように「だめだよ! 大人しくしてて」と注意する。

 あたしは大きく吸っていた息をひとまず床に落とした。

「ふうむ、体温が高くて、ひたすら眠いと」

 医師はあたしの企みにもまるで気が付かないまま、体温計を見つめた。

「確かに微熱がありますな。――食欲は?」

「問題ないわ。いつもよりたくさん食べてるくらい」

「はいはい、では吐き気などは?」

「別に何も。お腹が空きすぎるとうえってなるけど、そのくらい」

「食べれば治ると――ええ、ええ」

 ひたすら一方的に問うた医師は手元の紙にあたしの回答を書き付けて行く。そして突如満足げにげふんと咳をすると、ちょいちょいと人差し指で内緒話を促す。耳を貸すと、彼は小声で尋ねる。

「ご結婚は?」

「してるわ」

 あたしはマリーに見咎められないようにこっそりと、でもしっかりと断言する。

「そうですか。アレが旦那さまで?」

「そうよ、素敵でしょ?」

 あたしが胸を張ると、彼はニコニコして頷く。

「ええ、ええ。――では、あるべきものはありますかな」

「え? なんのこと?」

「ほら、月に一度来るアレですわ」

「え、ああ。アレ……」

 そんな事を問われるとは思いもしなかったあたしは面食らって一瞬言葉に詰まった。そして気を取り直してうーんと悩む。そういえば、暫く来てないような……

 あの憂鬱な気分には暫くなっていないし、お腹だって快調だ。

 もともと不規則だからあんまり気にしていなかったけれど。

「しばらく無いわ」

 答えると、老医師はうんうんと頷いた。笑顔が大きくなっている。

「本当はもっとしっかり検査した方がいいんだがね、そっちは専門じゃないもんだからね」

 そうぶつぶつ言いながら医師は、取り出した紙にさらさらとなにか書き付けている。

「そっち?」

「専門医に紹介状を書いてあげよう」

「は? 紹介状?」

 医師は急にあらたまって、曲がった腰をしゃんと伸ばし、にこりと笑った。そして、ひそひそ話を止めると、後ろの二人にも聞こえるような声で言った。

「おめでとうございます」

 あたしはすかさず尋ねる。

「なにがおめでたいの?」

「…………」

 医師はやれやれと言った調子であたしの後ろに居るマリーとリュシアンに助けを求めた。だけど、彼はきょとんと目を見開いた。その様子を不審に思って振り向くと、二人して青い顔をしている。

 医師が不思議そうに「どうかしましたかの。お嬢さんはご結婚されてると聞きましたがの」と尋ねるけれど、二人にはまるで聞こえていないし、あたしははてと首を傾げる。

 マリーがゆっくりと体をリュシアンの方へと向ける。そしてはぁっと握りしめた拳に息を吹きかけた。

 直後、マリーの拳骨と雷がリュシアンに落ちた。

「うぁ――――っ」

 寸ででリュシアンは拳骨を避けたけれど、その風圧で吹き飛ばされるかのように床に転がった。

「あれだけ言ったのに――なんできちんとしないんだい!」

「した! したってば――ちょっ、殴る前に話を聞いてくれよ!」

 リュシアンは床を転がって二発目を避けながら必死でマリーを説得する。

「問答無用だよ!」

 そのままリュシアンはマリーの拳骨に追われて部屋を飛び出して行く。マリーがあんなに怒るなんて、リュシアンは一体なにをしたの? そう驚いて呆然としていると、

「……何かまずかったのですかの?」

 マリーの怒りの剣幕にリュシアンと同じように吹き飛ばされたのか、医者の伸ばしたもみあげは無惨にもぺろりと頭から剥がれていた。彼はそれに気付くことも無いまま彼は帰り支度を始め、あたしは結局崩れた髪型の事を言い出せないままお礼を言って彼を見送る。

 そして、テーブルの上に残された紹介状に何気なく目を通した後、目を丸くした。


 *


『ここをお開け!』

 遠くでマリーが扉に体当たりをしている音がする。

 棚を移動して扉を塞いだけれど、突破されるのはきっと時間の問題だ。部屋に居ないのがばれたら、ここもすぐ見つかるだろう。

 僕は右翼の自室に閉じこもったと見せかけて、窓から逃げ出して今は左翼の一室でひとときの平和を味わっていた。しかしすぐに先ほど発覚した事実が僕を押しつぶそうとする。

「ああ、一体どうして」

 頭を抱えると、部屋の主がケラケラと笑う。

「ごしゅじんー、今度は何やらかしたんだぁ? マリー、すっげー怒ってんな、殺されそう」

 ドゥが僕に尋ね、一緒に居たイーヴが「いい気味だ」とニヤニヤ笑う。

「……アリスが……」

 僕は先ほどの愕然とした気分を思い出しながら、言う。

「妊娠した」

「「はぁ!?」」

 ドゥとイーヴは二人して目を丸くした。

「そりゃ、おめでたい――………んだよな? 一応」

 僕の落ち込みようにドゥが恐る恐る確認を入れる。

「でも、僕は、避妊してた」

 つまり、アリスが他の男と……っていつ? いやむしろ――誰と!?

 ここ半年、ずっと城に閉じ込めていたアリスの相手となると……このドゥ・・・・しか居ないんだけど……アリスの性格上、有り得ない気もする。

 万が一彼が手込めにしようものなら、確実に手傷を負ってるだろうし、彼女がやられっぱなしで黙っているとは思えないし。

 それにこの男は、そういう卑怯な真似はしない気がする。隠し事が出来ないタイプだ。

 ドゥをじっとりと睨みつつ、悶々と考える。けれど答えは出ず、僕は頭をかきむしった。髪が数本落ちて、ドゥが「こら! 髪はな! 大事にしないと後々後悔するぞ!」とこの際どうでも良い事で僕を叱る。どちらかと言うと僕は心労で薄くなる方を心配すべきだった。

「なぁ、失敗したんじゃねえの」

 イーヴが物知り顔で茶茶をいれる。

「そんなことない」

 部屋からとっさに持ってきた資料を急いでめくると、参考にした箇所を指でなぞり、確認する。

「ほら、この通りにしてる。一度も間違えてないよ」

 ドゥとイーヴが僕の指先を覗き込む。

 一瞬、ぽかんとした間があった。

「…………あぁ、それ…………避妊じゃねぇよ」

 やがてドゥが呆れた様子で指摘した。

「え?」

 そしてイーヴも呆れた様子でこき下ろす。

「ばかか、こんなえせ情報掴みやがって。これ、何十年前の資料だよ。こんなの駄目だって俺でも知ってるよ。もっと薬とか道具とか使わなきゃ、いや、使っても完璧って事ねえんだしさぁ……」

 妙に詳しいなと思いつつ、僕は本を手に入れた経緯を思い出す。

 そういえば。元々はシャルルの持ち物を失敬したものだった。確かに年代物だった。でも、方法が間違っているとは思いもしなかった僕は呆然とした。

「じゃ、じゃあ、間違いなく僕の子……なんだ」

 ある意味ほっとして床にへたり込むと、ドゥが僕の肩をポンポンと叩く。

「当たり前だろ、ご主人。ってか、そんなサイテーな事まさか嬢ちゃんの前で言ってないだろうな? それこそ殺されかねねーぞ」

 それは分かってるので、もちろん言わなかったと思う。今となってはほんの少しでも疑った事さえ恥ずかしい。あのアリスだ。本気で有り得ないのに。


 遠くではまだ砲撃のような音が鳴り響いていた。

「分かったら、とりあえずあのマリーを何とかしてこいよ。話はそれからだ。城が壊れるだろ」

 耳を塞いだイーヴが、鬱陶しげに僕に訴え、僕は酷く重たい腰を上げた。


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