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あたしは、猫。  作者: 碧檎
第二部 第一章 消えた魔法の猫
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15 名前の無い猫

「どうして俺は変わらなかった?」

 不服そうにしたイーヴに僕はまず種明かしをしてやる事にした。

「僕の手元には二種類の実があっただけ。一方は魔法薬に加工済み。もう一方はまだ魔法の込められていないただの実だよ。見た感じ知らなかったみたいだけど。一粒だけ――アリスが飲んだヤツだけが魔法薬だったんだ。じっくり見ればすぐに分かる。形は同じだけど、色が違うから」

「ちっくしょう、聞いてねえ」

「誰に頼まれた?」

「俺の飼い主」

「だれ?」

「さぁな」

「とぼけるつもり?」

 僕が睨むとイーヴはふて腐れた顔でふいと横を向く。

「いいや、まじで、しらねぇだけだ。――こぎれいな恰好してたし、どっかの貴族様なんだろなってのは分かるんだ。気が付いたらそこに居たけどさ、外に出してもらえるわけでもねぇし、本人が自己紹介するわけでもねぇし」

「なるほどね」

「あたしも……何も教えてもらわなかったわ。メイドが話してるの聞かなければ、多分お父様の身分も忘れたままだったと思う」

 アリスも隣で頷く。その表情が少々苦しげで、僕は心配になった。

「大丈夫? 久々で疲れたんじゃ」

 きっと疲れたのは体だけじゃないだろう。

 おいで、と彼女を膝の上に誘うと、アリスは大人しく僕の膝に抱っこされた。久々に腕の中に彼女を抱いて――たとえそれが猫の姿であろうと、なんだか胸がじわっと熱くなった。まだ完全に仲直りしたわけじゃないけど、今なら、互いに素直に謝れそうだ。上手く仲直りできる気がした。

「ん、平気。ただ、なんか、薬、切れそうな感じがする。視界がちらちらして、肌がむずむずするのよね」

「もう?」

「うん、変よねぇ。まだ一時間も経ってない、のに。不良品、だったのかしら」

 直後、彼女の変身が解けて、膝の上に少女が現れた。ずしりとした重さに思わず腕に力を入れる。

 彼女が目を開けると、大きな緑色の目と目が合った。そして、

「あ――怪我!」

 すぐに首筋の赤い線に目が行き、吸い寄せられるように唇をあてる。傷口をなぞるようにして舐めると、血が消えて、醜かった傷跡が多少マシに見えてほっとした。

「ああ、良かった。傷は深くないよ。痕は残らなさそう」

「りゅしあん……」

 アリスが腕の中でもぞもぞと動き、戸惑った声を上げ、僕ははっとする。周りが息を呑んで僕とアリスを見ていた。自分のした行為に気が付いて、慌てて彼女の首筋から顔を上げ、彼女を腕の中から解放する。

「――しょ、消毒しただけだから!」

 アリスにではなく、皆に言い訳すると、

「よっ、お熱いねぇ」

 とドゥだけがニヤニヤと冷やかし、マリーは呆れ返った顔で深いため息をつく。

「ご主人、気持ちは分かるが後にしてくれ。尋問は終わってない」

 内心は分からないが表情の変わらないトロワが促し、放っておかれたイーヴが凶悪な顔をして僕を睨む。

「…………こんな間抜けそうなヤツにやり込められるなんて」

「リュシアンは、間抜けそうに見えても賢いのよ。やるときはやるのよ!」

 なぜか急に上機嫌になったアリスが胸を張る。相変わらずひと言多いなと思いつつも、僕は補足した。

「君は魔法薬の色をよく確かめなかっただろう。つまり薬を見た事はあっても詳しくないんだろうなって思ったんだ。少なくとも材料のままの実を見た事は無かっただろう? あと普通は猫よりも人の方が強いって思うだろうから、それを利用させてもらったよ。アリスは猫になったら喧嘩には圧倒的に強いんだ。だから出来れば彼女に変身して欲しかった」

 数々の喧嘩を思い出しながら言うと、

「人には牙も爪もねえからなぁ。嬢ちゃんは特に非力だしな」

 昔、それで痛い目を見たドゥがうんうんと頷く。

「お前、自分で飲むって言ってたけど、その時はどうするつもりだった?」

 イーヴの問いにアリスも興味深そうにこちらを見た。僕はくすりと笑ってタネを明かす。

「やっぱり詳しくないんだ? この魔法薬は、『望む姿になれる』魔法薬だよ。猫と人以外にも変身出来る。その時は獅子にでも変わるつもりだった」

 あまり知られてない魔法薬の効能だった。僕もシャルルに聞くまでは猫への変身とその逆にしか使えないと思っていたし。

「…………まじで」

 イーヴは獅子という響きにぞっとしたような顔をする。上手く獅子に変身出来なかった事を考えるとぞっとしたのは内緒だ。シャルルの言葉にによると、『想い描いた姿に変身出来る』だったから。本の中でしか見た事も無いのだから、とんでもない化け物に変身する可能性だってあった。――だからこそ慣れたアリスが変身出来るように上手く誘導する事が何よりも重要だったんだけど。

「納得出来たら、今度はこっちの質問だ。その貴族は何を企んでエクリプスを手に入れようとしていたんだ?」

「さあね。上手く盗んで来れたら、金をくれるって言うし、屋敷から出してくれるって言うからさ。だから乗ったんだ」

「報酬は?」

「銀貨一枚だって言ってた。ただ――」

 この仕事で? 僕は眉を上げ、イーヴは首をひねった。

「ただ、何?」

「妙な言い方だったんだよな。一粒であろうと、たくさんであろうと報酬は同じって」

「そんな訳無いだろーが? 市場では一粒金貨一枚以上するのに?」

 ドゥが悲鳴を上げ、その声にイーヴはしかめっ面になる。

「あいつら十粒銀貨一枚って言ってたぞ? そんなに高いのか? じゃあこれ全部売ったら金貨百枚はくだらないじゃないか。俺、ぼったくられるところだったのか……」

「そうみたいだな」

 銀貨二十枚で金貨一枚と考えると、かなりのぼったくりだった。

 呆然としたイーヴの表情になんだか憐れみが湧いて来る。この猫はどうやら小悪党の部類らしい。もともと魔法の猫ということもある。つまりそれなりの過去を持っているんじゃないかって考えると、強く弾劾するのも気が引けた。

「これからどうするんだ?」

 尋ねると、イーヴは不快そうに目を細める。

「さあ? 俺に聞いてどうすんの? 憲兵にでも突き出すんじゃねーの?」

「そうせざるを得ないんだけどね。だけど……」

 アリスがじっと僕を見つめている。もの言いたげな、懇願するようなその目に僕はとても弱い。

「イーヴはどうしたい?」

 問いに彼が僅かに首を傾げ、僕はそれが彼の名ではない事を思い出した。

「……って、ホントの名前は知らなかったな。なんていうの?」

 彼は小さくため息をつく。

「名前は無い」

「無い? でも……」

「気が付いた時には“猫”って呼ばれてたけど。……それで、十分だろ?」

 声が自嘲気味に響いた。皆しんと黙り込む。その事一つで彼の境遇が窺えた。

 確かに、誰かが名付けてくれなければ。だれもが名を持たないままに生きていくしか無い。

 あぁ、これじゃあ、彼にこれ以上強く当たれない。皆そんな顔をしていた。そして、彼は、そんな目で見られるのにとても慣れていた。それがひしひしと感じられて、余計に痛々しかった。

「イーヴ」

 アリスが名を呼ぶ。まるで再び名を付けるかのようにはっきりと。するとイーヴは僅かに目を丸め、微かに笑った。

「何?」

「イーヴは何歳なの?」

 彼は首を振る。

「分からないけど、一歳くらいなんじゃないかな」

 その一致にもアリスとの境遇が重なって胸が詰まった。ああ、どうしよう。この猫は頭がいい。だからもしかしたらこれは彼の演出の内かもしれないのに。

「――リュシアン」

 アリスがとうとう僕に向き直った。その目が訴えるのは、確実に『あるお願い』だった。

「ああ、もう、そんな目で見なくても分かってる。僕の仕事を知っているだろう?」

「お前の仕事?」

 怪訝そうに見つめるイーヴの前で、アリスが花のように破顔して僕に抱きついた。

「リュシアン! ありがとう!」

 イーヴに僕は近づくと、袋から出す。訳が分からないと言う顔をした彼の前に屈んで、目線を同じにするとじっとその金の目を見つめた。

「提案があるんだけど。聞いてくれるかな」

「なんだ?」

「さっきの話だと、君は金のため、それから自由のためにこの仕事を請け負ったみたいだったけど、じゃあ、報酬を僕が払うと言ったら、君は僕に雇われてくれる?」

「――――な!?」

 僕の発言は、イーヴはもちろん他の人間にとっても驚きだったようだ。

「俺を飼う気か?」

 彼の嫌悪の籠った目が痛々しい。それを和らげようと、僕は慎重に言葉を選ぶ。

「いや、違うよ。もちろん、君は自由だ。家に閉じ込めたりはしない。あくまで仕事に対しての報酬だよ」

「…………俺みたいなコソドロを雇うって? 底抜けの馬鹿か?」

 横目で見ると、ドゥが「馬鹿だよな」と頷いて、マリーに「あんたが言うんじゃないよ」と小突かれている。

 その様子を眺めながら、僕は頷く。

「かもしれない。でも僕だって色々事情があるんだ。別に善意だけでやってるんじゃないよ?」

「もしかして……嫁が怖いのか?」

 アリスをじっと見てやれやれといった調子でイーヴは言った。

「怖いわけないでしょっ――――そ、そんな事無いわよね!?」

 アリスはイーヴを叱った後、こそこそと僕の反応を見守った。そんな彼女に苦笑いをして、僕は答える。

「……アリスに嫌われるのはこの世のどんな事よりも怖いよ」

 それは心からの本音だったけど、アリスは複雑そうな顔をするし、ドゥもトロワもマリーも呆れた顔をしてしまった。イーヴも例外ではなく、きっぱりと言い切った。

「へなちょこだな」

 僕は肩をすくめる。その評価はまぁ、ちょっと悔しいけれど。侮ってもらった方が色々やりやすそうだ。今回も舐められてたおかげで随分助かったみたいだし。

「それで、返事は?」

 じっと見つめると、イーヴは少し考えた後にやりと笑った。

「じゃ、追加の銀貨一枚で手を打ってやるよ。で、何すればいいんだよ?」

「え? 内容も聞かずに受けちゃうの?」

 アリスがもっともな意見で突っ込むと、イーヴはむっとして彼女を睨んだ。

「あのなぁ。あんたのペットに比べりゃ、どんな仕事も絶対マシに決まってる」

 そして彼は僕を見てにやりと笑った。


「――そうだろ? 城主サマ?」


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