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あたしは、猫。  作者: 碧檎
第二部 第一章 消えた魔法の猫
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14 月色の魔法薬

 ガタガタと荷馬車の音が表に響いたかと思うと、通用門の開く音。激しい足音の後、玄関の扉が開いた音。そしてすぐさまマリーの大声が城中に響き渡った。

『お嬢様! お医者様が来られましたよ!!』

「――あ、帰ってきちゃった!」

 あたしは手元のランプを床の上に置き直すと、しゃがみ込んで慌てて探し物をしていた手を急がせた。

 あらかた探し終えた部屋を飛び出して、今、あたしは庭の物置に居た。

 戸棚の中には瓶類が詰め込まれている。シャルルが管理していた時のままで、怪しげな色をした液体が瓶に詰められて雑然と並んでいた。多分、中身は腐ってるんじゃないかって思うけれど、ラベルも何もついていないし、捨てていいものなのかも分からないので放置しているのだ。

 瓶を置いているところ、で思いついたのがこの場所だったのだけど、収穫は今のところ無し。

「やっぱり、こんなところにはないみたい……うーん」

 小さく呟いたつもりだったのに、狭い場所では音が籠るのか自分の声の大きさにびっくりして、さらに声をひそめた。

 そんなあたしの隣ではイーヴが座り込んだあたしのスカートの裾を一生懸命引っ張って何か訴えている。

「なにイーヴ、今忙しいの、後にしてよ。リュシアンが帰って来る前に探さないと明日行動出来ないんだもの」

「みゃあ!」

 イーヴはそれでもワンピースの裾を引っ張り続ける。尖った牙が小さな穴をあけているのを見て、慌てて彼の口から裾を引っ張り出した。そしてすぐに纏めて膝の裏に押し込んだ。

「破れちゃうからやめて! ご飯はさっきあげたでしょ! いい子だから我慢してね!」

「うみゃう……くそ、」

「――え?」

 なんか、今、人の声が混じらなかった? 一瞬動きを止めてイーヴをじっと見つめると、彼は気まずそうに俯いて毛繕いを始めた。そして妙に可愛らしい声で鳴く。

「……みゃう、みゃう」

 気のせいかしら?

「ま、いいわ」

 とにかくイーヴの邪魔が無いうちにと、再び作業に戻る。マリーの声は止まない。階段をどかどか駆け上がる音が聞こえたかと思うと、ぎゃーと窓から叫び声が庭に向かって飛び出した。

『お じ ょ う さ ま!? なんです、この部屋は! ああ、こんなに散らかして! お熱があるというのに一体何なさってるんです!? また・・いたずらですか!? 今日は往診が多い中やっとお医者様に来てもらったんです。――次の方が待ってるんですよ。今すぐお部屋に戻って下さい!!』

 またって何よ!? そう彼女の言葉に噛み付きながらも、手は休めなかった。

 立てかけられていたモップを端にやると、その奥の戸棚を漁る。埃っぽくて咳が出る。

 バケツをひっくり返して中の雑巾を床にぶちまける。無いとは思ったけれど、やっぱり魔法薬の瓶はここには無いみたい。

「えーと、引き出しの中は無かったし……、箪笥の中もないし、本棚の裏も探したんだけど。あとは……どこ探せばいいかしら?」

 あたしはうーんと唸る。最後に見たのはどこだったかしら。考えながら立ち上がり、物置の扉を音がしないようにそっと開ける。幸いマリーはまだ階上で大騒ぎしているようだ。


『ちょっと、あんたも手伝っておくれ! お嬢様をお捜し!』

『んだよ、めんどくせぇな! 昨日から探し物ばっかだろうが。どうせ夕方の散歩だろうよ』

『ぶつぶつ文句を言うんじゃないよ! あんたは庭を探すんだ』


 あぁ、ドゥまで引っ張り出そうとしているのかしら? 庭に来るの? じゃあ、移動しないと。

 あたしは警戒しつつ、そっと物置を抜け出す。玄関の扉を小さく開けて覗き込むと、ドゥが左翼の階段を降りて来る。彼が庭に出るのを物置の影に隠れてやり過ごすと、城の中に入って左翼の階段下に身を忍ばせた。

 そして魔法薬の在処に心を飛ばした。そうそう、最後に見たのは確か食堂で……リュシアン、女王陛下から預かったんだって、すごく大事そうにあれをどこかに仕舞って……ん? 大事?

「あ! 分かった! 書斎だわ! なぁんだ!」

 大事な物は全部あの部屋に仕舞ってある事を思い出す。

 あたしが立ち上がると、イーヴが妙に満足そうに「なー」と鳴き声を上げた。

「でも……じゃあ、どうしよう。鍵はリュシアンが持ってるのよね……。帰ってから用事をねつ造するしかなさそうよね……」

 それにあの鍵、リュシアンじゃないと開けられないし。あたしは手に感じた痺れを思い出した。

 扉には相変わらず複雑な魔法がかけられているようで、一度何気なく開けようとして痛い思いをしてからは、二度とするものかと思っている。

 ローズ姫が昔やったみたいに『綺麗な布が見たいの』とでも言ってみようかしら。そんな事を考えていると、

「……ふうん……」

「?」

 またもや人の声が聞こえた気がして、あたしは体を震わせる。見つかった!? 恐る恐る後ろを振り向くものの、そこにはマリーもドゥも居なくてほっとした。

 風の音かしら?

 ふと見下ろすと、イーヴが金の目であたしをじっと見上げていた。あたしと目が合うと、彼が目を細める。それが笑った顔に見えて、なぜかゾクリと肌が泡立った。


 *


 トロワには馬車で待機してもらう事にした。城内にはドゥが居る。駒は固めない方がいい。

「ああ、リュシアン様!」

 玄関の扉を開けるとマリーが僕を見つけて駆け寄ってきた。

「どうした!? 昨日の賊か!?」

 思わず叫ぶと、マリーは一瞬きょとんと目をしばたかせたけれど、その事を思い出したのか急に顔を青くした。

「違うんだ。アリスお嬢様が見当たらないだよ!」

「――なんだって!?」

「お熱があったから、一日お部屋に居てもらったんだ。でも、いつの間にか抜け出されて」

「門は?」

「一度も開けてないから、外じゃないと思うんだが」

 後ろを振り向くと重厚な城門が庭の向こうにそびえ立つ。あれはマリーでやっと一人で開けられる重さなのだ。アリスの力では一人では開けられない。そして通用門は開くのに鍵が必要で、これはマリーと僕しか持っていない。

「じゃあ、僕も探す。探してないのはどこ?」

「庭はドゥが探してるところだ。一階はさっきから私が」

「じゃあ、僕は二階を探して来る。マリーは一階を続けて」

 そう言って、マリーと分かれ、階段を駆け上ろうとした時だった。


「――動くな」


 低い声が、玄関と階段の上の広い吹き抜けから落ちてきた。

 恐る恐る見上げると、アリスが書斎の前でぼうっと突っ立っていた。


「アリス?」


 今の彼女の声だった? 僕が一歩足を踏み出すと、アリスが「つっ」と高い声を上げた。直前に聞いた低い声とは違う声。これがアリスの声だ。

 じゃあさっきの低い声の主は一体どこに?

 僕は暗闇に目を凝らした。白銀の髪に白い肌。白いワンピース。どこまでも白いアリスの首の辺りに黒い影が纏わりついている。

 その物体の正体が分かるなり、僕は叫んだ。


「イーヴ!?」

 琥珀の目がすうっと細まった。それが笑顔だと気が付いて、最初に違和感を感じた時の事を思い出した。ああ、どうして、僕はあの時の勘を大事にしなかったんだ――

「この部屋の鍵を開けろ。そしてエクリプスの実を取ってこい」

 黒猫はしゃべっていた。はっきりと、人の声で。掠れてはいないけれど、昨夜の声だと気が付く。

「魔法の、猫か」

「大変だったんだぜ? このお嬢さんの拷問に耐えるのは。悲鳴一つ上げられないんだから」

 猫は軽口を叩く。余裕の表情のすぐ上で、アリスの顔は苦悶で歪んでいた。ふと見ると、アリスの首には鋭い爪が突きつけられていた。爪の先に赤い筋を見つけ、腹の底でどす黒いものがぐるぐると渦巻いた。

 干上がった喉を嚥下すると、ぐっと拳を握りしめ、飛びかかりたい衝動を抑えた。――冷静になれ。彼女を無事に取り戻すためには、どうすればいい?

 考えろ。今、僕はどんな武器を持っている?

「魔法薬を何に使う? 何が目的だ? 誰に頼まれた?」

「答える必要は無いと思うけどね。ほら、急いで開けないと、可愛い奥さんに傷がつくよ」

 尖った爪がアリスの首筋をそっと撫でる。アリスの小さい悲鳴が上がり、赤い筋がさらに縦に伸びる。

「やめろ!」

「それとも、喰いちぎってやろうか?」

 彼は赤い喉をこちらに見せたかと思うと、アリスの首筋に牙を立てようとする。

「やめろ!!!! これが目的だろう!?」

 僕は鍵を胸のポケットから取り出す。そして一歩階段を上った。鍵を差し出すようにすると、イーヴは首を振る。

「この姿だし、俺じゃ鍵を開けられないんだろ? お前がやれ」

 彼が引っかからなかった事に心の中で舌打ちする。どうやら扉の秘密は漏れている。――じゃあ、次はどうする?

 顔を曇らせる僕に向かってイーヴはにっと笑うと、アリスの耳元で「階段の端に」と指示する。彼女は蒼白な顔で、指示に従った。

「ここから無事に出れると思っているのか?」

 僕は部屋の前に立つと、アリスの肩上のイーヴをじっと睨む。

「あぁ、大事な奥さんは怪我で済むかなぁ? ここの血管切っちゃったら、死ぬよね?」

 彼は僕の威嚇を無視して、逆に脅しを掛けてきた。

「ずっと連れて行くわけにいかないだろう。その姿ではアリスを運ぶ事も出来ない」

 イーヴは僕の言う事をまったく無視してにやりと笑った。

「確か、このお嬢さんも金になるんだろ? 別件で動いてるヤツがいたし。ユペールから出せばどうとでもなるだろ。お前が心配する事じゃない。おい――とにかく早くしろ」

 僕は鍵を差し込むとぐるりと回す。カチリと解錠の音が響くと、一気に部屋の扉を開けた。

「取ってこい」

 黴臭い匂いの中、部屋の奥へ進む。机の一番下の引き出しを漁って、二つあった瓶の一つを掴んだ。瓶を探すふりをして分からないように素早くふたを開ける。そして閉める。

 立ち上がると、部屋に差し込む月明かりに照らしてみせた。瓶の中では月の色の実がびっしりと詰まっていた。

 促されたアリスが出入り口に立っている。その肩の上でイーヴが疑いの眼差しを向けた。

「本物か?」

「どうせ見た事はあるんだろう? 信じられないなら、飲んで試せばいい」

 イーヴを試すようにそう言うけれど、彼は挑発には乗らなかった。

「確かに、その実は本物みたいだ。だけど飲むのはごめんだね。お前が細工でもしてるかもしれないだろ。例えば毒入りとか」

「…………」

 僕は無言のまま、慎重に眉を寄せた。イーヴは僕の顔色をじっとうかがう。心の内を読むように。

「とりあえず、一粒だけ飲んで試してもらおうか。それが本物かどうか」

 イーヴはにやりと笑って、アリスと僕を交互に見る。

 僕とアリスは一瞬目を見合わせる。怯えの消えた緑色の瞳が僕をじっと見つめていた。

「――じゃあ、僕が飲む」

 すかさず言う。――さあ、お前はどう出る? 

 と、彼は鼻で笑ってアリスに向かって囁いた。

「この女が飲むのが、一番都合が良さそうだ。本物だったとしても、偽物だったとしてもね。本物だったら、猫に変わって運びやすくなるし、毒だったら死んじゃうし。あぁ、死んじゃったら人質が居なくなるからちょっと困るかな。……でももし偽物だったら、俺、逆上しちゃうかもな」

 おどけた口調、でも、挑発するような目。――お前はどのくらい“それ”が欲しいんだ? 僕はそれが知りたい。

「それは本物だ! 僕が証明するからいいだろう!?」

 叫んで、僕が瓶を開けようとすると、イーヴは低く唸って威嚇した。

「おい! 勿体ないから止めろ。一粒いくらだと思ってる!? 試すのはこのお嬢さんにもう決めた。瓶をそこに置け。じゃないと、今すぐ噛み付くぞ」

 口元を引き締め、僕は彼の言う事に従ってテーブルの中央に瓶を置いた。

「それから、武器を置け。持ってるだろう?」

 僕は舌打ちすると腰に隠していた護身用の短剣を、鞘ごとテーブルの端に乗せる。

「置いたら、十歩下がれ。じゃ、今度はお嬢さんの番だ。――瓶から出せ」

 アリスは神妙な顔で彼の言う事をきく。瓶を手にとり、手のひらの上に魔法薬をざらざらと広げた。アリスはじっと白い粒の一叢を見つめる。そして慎重にその中の一粒を摘まみ上げると確かめるように僕を見た。

 華奢な親指と人差し指の間で、月色の魔法薬がささやかに光っていた。

「飲め」

 アリスがそれを口に含んだとたん、彼女の体が白く輝き急激に縮む。

「やった――本物か!」

 イーヴは変身を見たとたん、机に飛び乗り真っ白な粒を一粒口にくわえ、一気に飲みこんだ。


「え――――!? え」


 小さくなったアリスの隣に、姿の変わらなかった同じ大きさの黒猫が呆然と佇んでいるのを見て、僕はにやりと笑った。

 同じく笑みを浮かべたアリスに目で合図を送る。アリスは頷き、一気に笑みを深めると、爪を尖らせる。


「イーヴ?」


 低い低い声で、彼女が名を呼んだ。


「よくも騙したわね!? それから、それから、よくもレディの柔肌に傷を付けてくれたわねぇっ!!!!」

「え、え、え!!?? 俺、どうなって、なんで、同じものだったのに――――うわぁああ!!??」


 断末魔の声とはこういう声なのだろうか。

 アリスは呆然としていたイーヴにやられた分の倍は返したと思う。もしかしたら久々の動きやすい恰好で、堪っていた鬱憤を晴らしたのかもしれない。

 牙と爪を手に入れ、最早人質では無くなり敵となったアリス。そして僕に加えて途中でマリーも参戦し、不利と悟ったイーヴが庭に逃げ出したところを、待ち構えていたドゥとトロワがしっかり回収する。

「さあて、話を聞かせてもらおうかしら?」

 麻袋に詰められ、釈然としない顔のみを出されたイーヴを囲んで、猫のアリスが爪を研ぐ。夜通しの大尋問会の始まりだった。


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