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あたしは、猫。  作者: 碧檎
幕間
44/71

暇な休日

「よし、これで終わりかな。じゃあお昼にするから、父さんを呼んで来るよ」

 僕はアリスに空の籠と小銭を渡す。

「アリスはパン屋さんでパンを買ってきてくれる? 今日はそっちにマリーもいるから、言えばすぐに用意してくれるよ」

「うん」

 アリスは大きく頷くと、籠を持ってお使いに行ってくれる。

 麦の収穫が終わって、一区切り着いたから、今日は仕事を休んで実家に戻ってきていた。休日――それは僕にとって久々の休日だったけれど、のんびりとは過ごせなかった。

 さすがにちゃんと引っ越しをしておこうと思ったのだ。僕の荷物は一度城を追い出された時のまま、まだ実家に大量に置いておいた。

 しばらくその〈居候〉状態が続いたけれど、いつまでもそうしてるわけにはいかない。領主として認めてもらうための準備はしていたけれど、肝心の引っ越しがまだだとうまく行くものも行かない気がする。

 父さんは相変わらず家から出たがらないけれど、今日こそは説得しようと思っていた。

 アリスがいると揉めそうな気がしたから、ちょっとお使いに行ってもらって。

「父さん、話があるんだ」

「……」

 父さんは黙って籠を編んでいる。

「アリスの事で」

「……」

 僕は一つ大きく息を吐くと、思い切って言った。

「――僕は、彼女を嫁にもらおうと思ってる」

「……」

 父さんは難しい顔をしたまま黙り込んでいたけれど、やがて躊躇うように口を開く。

「あの子は……難しいんじゃないか? ――賛成は出来ないな」

「いい子だよ」

「分かってる。素直でいい子だ。だが、貴族だ。――お前とは生きていく世界が違うだろう」

「違うかな」

「お前はユペール侯爵領を譲ってもらったらしいけれど、まだ王さまに認めてもらっていないんだろう?」

 僕は頷く。確かに、王は僕の侯爵位をまだ認めていない。だけど、こちらには切り札がある。

「いくら認めてもらったとしても、爵位なんてもの、お前には似合わないだろう。お前は粉屋の息子だ」

「似合わなくても手放すわけにいかないんだ。僕はアリスが欲しいから」

「身の丈が合わないとお前も彼女も辛いだけだぞ?」

「辛くなんか無いよ。僕は幸せだ。――とにかく、父さん。父さんも城に来て欲しいんだ。父さんが城に来てくれれば、粉屋を城に移せるし。僕は足場を固めたい」

 そうすれば、昼間アリスが一人になることが無くなると思っていた。シャルルがいないあの城は随分と寂しい。あのままでは、アリスは僕しか見えなくなってしまう。もともと、そういう傾向があったから余計に心配だった。

「わしは行かないぞ」

「まだそんな事言うのか?」

「わしはまだお前たちの同居を認めてないからな。――結婚もまだなのに――まさか、お前、あの子に手を出していないだろうな? わしはそういうのは許さんぞ」

「……」

 父さんは熱心に戒律を守っている。〈姦淫するべからず〉、その事を言っているのだと思う。

 それを言われると僕はもう黙るしかない。嘘は苦手だ。だから否定も肯定もしない。僕は彼女と添い遂げる事を、もう自分の中の神に誓っている。ただ教会に行って誓っていないだけのこと。悪い事をしているとも思わない。愛している少女を腕に囲うのに、神が許さないとも思えない。

「〈お貴族様風〉に都合のいいところだけ神を信じようとすれば――いつか罰が当たるぞ? 

神はいつもわしらを見ているんだ。いい行いも悪い行いも、全て見ているんだからな」

「……」

 父と神について語ることはしたくない。僕の信仰は浅い。まだ生まれたばかりだった。シャルルほど達観できなければ、対等に語る事等出来ないに決まっていた。

 僕は結局父の説得を諦める。先に侯爵位を得る事が先決――そう思ったのだった。結婚の見通しが立たなければ頑固な父を動かすのは無理な気がした。


 *


「生きていく世界が違う――か」

 手に持ったパンの籠を揺らす。先ほどマリーが入れてくれた、パン六つとデザートの林檎が三つ、籠の隙間をゴロゴロと転がる。

 あたしはリュシアンの家の前で少し立ち止まり、中から聞こえる声を聞いて、結局もう少し近所をぶらぶらとすることにした。

 リュシアンのお父さんがあたしの事避けてるなあって思ってたら、やっぱりそういう事だった。あたしの両親が反対するのと根本は同じなのかもしれない。生きていく世界が違うって、あたし、もう人間に戻ったのに。同じ人間なのに、そんな訳無いって可笑しくてしょうがない。笑いが出ちゃう。

 本当に少しだけ笑って、でもすぐに溜息が出た。

 ――やっぱり大人になるって嫌だ。リュシアンのお父さんは好きだけど、あの堅い頭はどうにかならないかなって思っちゃう。まるで、以前のリュシアンみたい。彼を育ててきたんだから当然だけど。

 お貴族様――多少の侮蔑が混じったその言葉が胸に刺さる。確かにあたしも両親も大した信仰を持っていない。行事ごとに形だけは大事にするけれど、リュシアンたちみたいに熱心に祈ったりはしない。生活に根付いたものではなかった。

 戒律も、上流階級ではあってないようなもの。戒律を破っても世間にばれなければいいという、本当に形だけのものだった。

 カルバン侯爵である〈おとうさま〉はあたし相手だけでなく、普通に浮気をしていたみたいだし、――もともとその浮気相手の一人があたしのお母様なのだから。

 〈おとうさま〉は結婚はしていなかった。それは「運命の人に出会わなかったからだ」とよくお母様に言っていた。それこそ耳にタコができるくらいにお母様から聞かされた。でも、今考えるとその理由はもっと別なものだったんだと思う。騙されやすいお母様を利用していたんだと思う。

 お母様は子爵夫人だった。だけどあたしの実の〈お父さん〉が亡くなって、路頭に迷った。もともとお父さんも商才は無く、田舎の小さな領地を頂いて細々と暮らしていたのだ。生粋のお嬢様だったお母様がどういう経緯でお父さんと出会ったかはもう分からないのだけれど、

とにかくお母様はあたしと二人になって途方に暮れた。唯一頼れそうなお母様の実家の事はあたしも知らない。あたしが物心つく頃には既に疎遠になっていた、というより……――あのお母様が頼らなかったという事は、もう居ないのかもしれなかった。

 お母様は最初はなんとか頑張っていた。けれど、残っていた僅かな財産までだまし取られてしまって、それからお母様は変わってしまった。生きていくために――それから寂しかったのもあるんだろうと思う。持っている美貌を武器にすることにした。そうしているうちに、いつしかあんな風に歪んでしまった。

 そんなお母様の娘であるあたし。熱心な信仰を持つリュシアンのお父さんからすると、お母様のような生き方はとんでもないのだと思う。どこかでその話を聞いたのかもしれない。――だから、もしかしたら、リュシアンが変な女に引っかかってるってくらいに思ってるかも。

「認めない」「許さない」その言葉には、そういう頑さが見え隠れしていたような気がする。

「あ~あ」

 前途多難だわ。やっぱり、駆け落ちした方が随分楽なんじゃないかしら。でも、リュシアンはそんな気はさらさらないみたいだし。

 なんだかもやもやして、目の前にある石を蹴り上げた。

「――あいてっ!」

 悲鳴に顔を上げると、目の前で太った男がしゃがみ込んで、少し禿げかかった頭を撫でている。

「あ、ごめんなさい!」

 あたしは慌てて駆けつけて男が押さえている頭を覗いた。後頭部が薄いけれど、どうもそこに直撃したらしく、一気に赤みが増して来る。

「いってぇ……」

「だ、大丈夫? ごめんなさい!」

「大丈夫じゃねぇ! オトシマエどうつけてくれ……あれ?」

「あ」

 あたしは目を見開く。

「あ、あなた……」

「おうおう、久しぶりじゃねぇか!」

 その男は、忘れもしない――あの王のしもべ、〈でこぼこ二人組〉の片割れだった。


 *


「――ああ、あの偽侯爵、本物の侯爵になろうとしてるんだってな! おどろいたぜ」

 結局、あたしは男にお茶をご馳走する事になっていた。なかば強制的に店に連れ込まれて、誘拐かと思ったけれど……にぎやかな食堂で、目の前の男たちは熱心に食事を続けている。――どうも……心配する必要は無いらしい。

 男はドゥと名乗った。それって名前? と聞くと、彼は頷いた。なぜか、トロワという例の彼の相棒も隣に居た。あいかわらず太った蛙と骨と皮の蛇みたいな印象だったけれど、街の雰囲気に紛れたせいか前みたいなギラギラしたものは感じ取れない。

「俺たちゃ、クビになったんだよ」

「え? 王様のところ?」

「そうそう。あれだけ尽くしたのにさ、あっさりしたものだぜ?」

「王の権限が無くなったから仕方が無いんだ」

「……え? どういうこと?」

「あのひとは、もともと傀儡だったんだがな。ここのところ悪事が女王にばれて、権限がさらに減った。つまり小遣いが削られたんだが」

「……」

 小遣いという響きがなんだか哀れよね。

「で、俺たちは雇う金がなくなったってことで、クビってことだ」

 ドゥは笑いながら首をはねる仕草をする。それって笑い事なのかしら?

「今は職探しでな。心が荒んでたんだが……可愛い子と茶を飲んだら、なんだか少し癒されたな。なんなら、もうちょっと付き合ってもらってもいいけどよ。ほらここ宿屋になってるしさ」

「――ふざけないでよね!」

「ガハハ、だろうな――ほら、兄さんが迎えにきたぞ」

 バタンと大きな音に振り向くと戸口のところでリュシアンが血相を変えている。

「――アリス!」

 彼は飛ぶようにあたしに近づくと、あたしを背に庇って男二人組を睨みつける。今にも殴り掛かりそうなリュシアンにドゥは笑いながら言う。

「なーんもしてねえって、しても良かったけどよ」

「お前、たいがいにしていないとまた嫁に殺されかけるぞ」

 蛇男――トロワが釘を刺す。

「嫁?」

 いるの? この蛙に?

 思わず呟きかけたけれど、リュシアンにちらりと睨まれて口をつぐんだ。

「うお、告げ口は勘弁しろ」

「――いくぞ」

 男たちは風のように去る。その身のこなしに、あたしは忘れかけていた彼らの職業を思い出した。

「どこに行ったかと思った。駄目だよ、変なヤツに付いて行ったら。危ないだろ!」

 リュシアンは怖い顔をしたままそうやって怒ると、すぐに表情を和らげた。そして心配そうにあたしの目を覗き込んだ。

「僕が言ったのは近所のパン屋だったんだよ? 迷ったの?」

「う、うん……」

 リュシアンとお父さんの話を聞いたとは言えずに、曖昧に誤摩化す。

「あの男たちなんて?」

「うん、なんかクビになって職を探してるって」

「え……?」

 あたしがさっき聞いた王の事を話すとリュシアンは一気に渋い顔になる。

「じゃあ……爵位の事、放置されてるのって、そういう事なのかな」

「しゃくい?」

 あたしが尋ねると、リュシアンははっとして、笑って誤摩化す。

「なんでもないよ。それよりお腹が空いただろ? あれ、今――食べちゃった?」

 テーブルの上の空の皿を見てリュシアンは尋ねた。

「ううん、あたしはお茶だけ。あ、――あたし、あのひとに怪我させちゃって、お詫びをしてた……みたい」

 そういえば、と思い出して訳を伝えると、リュシアンは苦笑いしながら男たちの食事代を支払う。そしてあたしを連れて家に戻った。


 家ではリュシアンのお父さんが黙って籠を編んでいた。

「ただいま」

「ああ」

 なんだかぎくしゃくしてて気まずかった。あたしはさっきの会話を思い出して、「ただいま」と言うべきか「おじゃまします」と言うべきかで一瞬悩んだけれど、――結局なにも言えなかった。

「ほら、食事にしよう。――あ、今日は天気もいいし、外で食べようか」

 リュシアンは黙り込んだあたしを見ると、軽い調子でそう言って、あたしを外に連れ出した。

 秋の空は澄んだ青い色をしていた。あたしの髪を結わえているリボンみたいで、とっても綺麗。空気はその色と同じように澄んでいて、思い切り吸込むと、憂鬱さで重くなった心が少しだけ軽くなる。

 リュシアンは枯れ草の上に腰掛けるとあたしに隣を示した。

「アリス、ほら」

 リュシアンが柔らかいパンを半分にちぎって渡してくれる。噛み締めると素朴で甘い味がした。暖かい日差し。ぽっかり浮かぶ雲。おいしいパン。本当に――平和だなって思う。

 平和だけど、そして隣のリュシアンを見ると本当に幸せなんだけど、……なんだか寂しいのはどうしてなんだろう。

「そういえば――さっきの男たち、職を探してるって言ってたね」

「? うん」

 いきなりなにを言うのかしらとあたしは首を傾げる。

「連絡先聞けば良かったな……うん、後で調べてみよう」

 リュシアンはきょとんとするあたしを気にせずに、パンを食べ終わる。不思議に思いながらあたしがパンを食べ終わると、リュシアンはにっこり笑って立ち上がる。

「さてと、じゃあ、城に戻ろうか。帰ったらまた、大掃除だけどね」

 差し出された手を握る。大きくてあったかいその手が、風に吹かれて冷たくなりかけたあたしの手を暖めた。――もうすぐ冬が来る。でも彼が居れば、彼さえ居れば・・・・・・、きっとあの寂しい城でも温かい気持ちで過ごす事が出来るはず。

 ――きっとそうに決まってる。

 あたしはそう思いながら、彼の腕にぎゅっと抱きついた。

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